地獄にて

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地獄にて 奥山の 針の山坂 泣く亡者 声聞く時ぞ 地獄悲しき 「鬼灯さまーっ!」  鬼の獄卒が駆けて来た。頭の角を揺らして、涙ぐんでさえいる。 「静かになさい。獄卒は静かにしてこそ、亡者どもの悲鳴がよく響くものです」  地獄の副官、鬼灯はささやくように言った。  地獄の長官は閻魔大王、その直属の者が鬼灯だ。大王がやさしく話しかけ、亡者にかすかな希望を抱かせる。その小さな希望を冷徹に打ち砕く算段をするのが副官の勤め。希望を砕いて、絶望を与えるのが地獄である。 「いくら責めても責めても、堪えてしまう亡者がいるんです」 「堪えて・・・とは」  鬼の獄卒を狼狽させる亡者、これでは立場が逆だ。地獄の管理者として、放置できない問題である。 「その亡者は、今はどこに?」 「針山地獄です」  鬼灯は肯き、現場へ向かう。  しかし、いきなり亡者に対面したりはしない。まず、遠くから観察する。  針山は嘘つきが落ちる地獄の一つである。 我が腕は 細りにけりな いたずらに 地獄の山を ながめせし間に  亡者は一句詠み、また針山を登り始める。  一歩足を踏み出すごとに、針が足を貫通する。激痛が足から脳天へ伝わる。  ぐぐぐっ・・・唇を噛んだ。血で口を真っ赤に染め、また踏み出す。  責め苦の中で、現世での記憶が薄れる。自分の名前も思い出せなくなっていく。  ふむ、鬼灯は首を傾げた。 「地獄に落ちて、なおも句を詠む心を忘れないとは。獄卒に雇いたいくらいですね」  鬼灯はもう少しながめていたくなった。  前の亡者が転んだ。針が背に刺さり、悲鳴を上げる。  となりの亡者が倒れた。顔面に針が刺さり、目がつぶれる。  後ろでは、足の萎えた亡者が座り込んだ。尻に針が刺さり、小便と大便をもらした。 これやこの 泣くもわめくも 針山の 助ける者無く 地獄の坂道  亡者は、また一句詠んだ。  そして、また登る、足を血まみれにして。  と、亡者は足を止めた。針山の頂上に着いていた。  いつもなら、屈強な鬼の獄卒が現れ、亡者を山のふもとまで突き落とす。  今回は誰も現れない。  涼しい風が吹いた。足の痛みが抜けていく。  ぱちぱちぱち、誰かが手をたたいた。振り返ると、立派なひげの者がいた。着ている物からして、獄卒ではない。  実は鬼灯、地獄の副官である。 「針山、登頂ですね。おめでとう」  亡者はみがまえた。かすかな希望を与え、次には絶望の責め苦がくる。火のような絶望か、氷のような絶望か。  気が付くと、宮殿にいた。  閻魔大王が柔やかな笑みをかけてきた。  体から傷が消えた。痛みと苦しみの日々が夢かと疑う。 「あなたに、あれを見てほしいのです」  鬼灯は鏡を指した。  現世の出来事が映る。  おおっ、亡者の目に涙がうかんだ。  息子の笑顔であった。 きみがため 惜しからざりし 命さえ 世の果てより 思いけるかな  亡者は涙ながら、また句を詠んだ。  息子は笑顔をふりまく。女に、金持ちに、そして・・・ギャングにも。  あっちこっちに笑顔をまいて、笑顔の意味がぶつかり合う。女を笑顔で騙し、金持ちを笑顔で騙し、ギャングには笑顔で許しを請う。  ついには、女を刺し殺し、金持ちの家に火を付け、ギャングに追われて・・・崖から身を投げた。  亡者は首を振った。 「こんなフェイクニュースに興味はありません」 「フェイクニュースを心に満たしていたのは、あなた自身でしょう」  鬼灯は亡者の心を刺した。  かたくなだった亡者の心にヒビが入った。割れ目から真実が流れ出る。  それは、わたしがやりました・・・亡者は息子の罪をかぶり、地獄へ落ちた。毎日の責め苦も、息子の代りと思えば、むしろ誇らしかった。息子の安楽を願って、我が身の責め苦を甘受していた。 「おお、新しい亡者の到着です」  鬼灯の言葉に、亡者は振り返る。  息子がいた。  地獄に落ちてはならないはずの息子が、死んだら天国へ行くはずの息子が、すべての罪は自分がかぶったから無罪のはずの息子が・・・!  あれから、また何をしたのか・・・ 契りおき 幸せ祈る 命にて あはれ地獄に 恨みのなみだ  亡者は体を震わせた。何かを語りたいが、それを口にすれば、自分の体を刻む刃になる。  おおおおっ、と吠えた。  頭に角が生えた。口から大きな牙がはみ出る。筋肉が盛り上がり、手の爪は鉄のように硬くなった。 「新しい鬼の獄卒が生まれました。肉親に責められ、いたぶられる。これより苦しい責めがありましょうや。我が子を責める鬼、これほど恐ろしい鬼がおりましょうや」  鬼灯は氷のような笑みを鬼に送った。  鬼は自分の息子に手をかける。  これこそ地獄・・・と思った。 ももしきの 地獄の責め場 しのぶにも なおあまりある 亡者の泣き声  鬼灯は新しい鬼の獄卒のために句を詠んだ。 < おわり >
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