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それから数日して、佐々木さんは元気になって水曜日にようやく【ランデブー】を開けた。パンを心待ちにしていたお客さんたちがひっきりなしにお店に入っていくのを、僕は隣で見ていた。 立て看板を出しているときに久しぶりにパンの香りがして、僕はほっとする。そっと店内を覗くとコック帽を被った佐々木さんが見える。そういえば最初はこの姿しか知らなかった。もう、いろんな佐々木さんを見れるようになったなあとニマニマしてしまう。あげくのはてにキスまでできちゃったなんて。 僕は【レコメンドブックス】に戻って、作業を始めた。平日の午前中。今日は珍しく学生がたまに入ってくる。大学生かな、【ランデブー】の紙袋を持った女の子たちが店内で本を漁っていた。三人組の女の子たちは楽しそうに、話をしている。 「ねえ、パン屋さんの店員さんかっこいいよねえ」 「今さらじゃん!結構有名だよ。真紀、遅い」 「そうそう、おばちゃんの中でも人気らしくて」 その話を聞きながら、僕はうんうんと頷く。やっぱ、もてるなあ。 「ああ、でもお母さんが言ってたけどさ、お見合いの話を持ってきたおばちゃんがいたんだって」 「えー、今時?」 「うん。でもあのお兄さん優しいからそのまま受けちゃったらしいよ」 「なあんだあ、じゃあ見込みないねー。うちの彼氏で我慢するわ」 「真紀、ひっどーい」 結局彼女たちは本を買うことはなく、そのまま店を後にした。 「……ありがとうございました」 僕はそう言いながらも、さっきの盗み聞きしてしまった話を頭の中で反芻させる。お見合いをするのだろうか。確かに佐々木さんはそういう年齢かもしれないけれど、と思いつつも僕には止める権利はないとため息をつく。僕はただの、隣の本屋にいる友達なんだから。これから先、佐々木さんに彼女ができて、結婚しても、僕はずっと、このまえの内緒のキスだけを思い出しながら暮らしていくんだ。そう思っていると、ぼろ、っと涙が出てきた。何だよ、最初から分かっていたことじゃないか。たまたま、上手く仲良くなったからって、欲を出したところで変わらないだろ。それでもポタポタと涙が止まらなくなってきて、手で顔を覆う。今日、安田さんが休みでよかった。こんな僕を見たらきっと大騒ぎするだろう。 仲良くなりたい、って思っていたのに仲良くなったらもっと苦しいだなんて、なんの罰ゲームだよ…… 今日もふんわりとパンの香りがする。 あの見合いの話を聞いて以来、僕は佐々木さんを避けるようにした。朝の挨拶も、メールもしなくなった。気持ちが落ち着くまで顔を見ないようにしよう、と誓って過ごしていたのに。僕が避けてもどうしても姿は見えてしまう。そりゃ隣だもん。たまに買い出しか何かで外出する佐々木さんの姿が、うちの店内のガラス越しに見えて。相変わらず忙しそうだなあ、なんてぼんやり見たり。ほぼ毎日、朝挨拶を交わしていたけど、僕と会わなくなって佐々木さんはどう思ってるだろうか。何にも、思わないかな。 店内に流している音楽がふいに気になった。ああ、映画の主題歌になった曲。楽曲を提供したのは初めから恋人同士だと公表している男性二人組のミュージシャンだったっけ。顔は見たことないけど。かなり勇気がいることだろうに、二人ともすごいな。僕は気持ちを打ち上げる勇気さえない。
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