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初雪の日
気付けば砂と岩の荒れた地に立っている。
この場所は見覚えがある。
ウェスリーは何かしようとしていたことを思い出せずに歩き出した。
砂を孕んだ乾いた風が叩きつけるように吹く。煽られる髪が視界を遮って邪魔だ。
見つけなきゃいけないのに。
何を?
不意に足元の塊に躓いてウェスリーは膝を突いた。
何かと思って見ると死体である。軍服を着た下士官の死体だ。
その毛髪の色に、胸に迫るものを感じてウェスリーは彼を抱き起した。
金茶色の顎髭。
その死体は目をぱちっと開いて言葉を発した。
「ウェスリー、君は魔法大学出身だったんだね」
肘から先の無い右腕が顎髭を触ろうともぞもぞ動く。
「君は死なないが僕はこの通りだ」
首から血がどくどくと流れている。
自分の声で目が覚めた。
どの程度の声量で叫んだのかは分からないが、確かに叫声を上げたのだろう。
全身が汗でじっとりとしているのを不快に感じつつウェスリーは上体を起こす。窓の方を見るとまだ外は真暗い。寝直す気にはならず寝台から起き上がった。汗のせいで肌がひやりとする。
生家から持ってきた置時計に目を遣る。時刻は〇四三〇を少し過ぎたところだ。他の将兵はまだ眠りの中であろう。
重い頭を項垂れてウェスリーは深く溜息を吐いた。
まただ。
ウェスリーは訓練の際、他の者のものと一か所にまとめて置いてあった自らの雑嚢に、戻ってくると大量の土が詰め込まれているのを発見して目を半眼に閉じた。ずっしりと重くなった雑嚢を片手にぶら下げて、巡回の準備をするため練兵場を出ようと移動する。途中どこか人目に付かないところで土を捨てよう。
ここ最近、ウェスリーの装備にちょっとした害が加えられることがある。
このような女学生じみた虐め行為を軍の中で被るとは、ある種新鮮な驚きであった。しかし何度も続くと嫌気が差してくる。
つい先日ウェスリーは箒兵第二大隊大隊長であるミハルのパートナーに任命された。同時に階級が昇進した。入隊時伍長だったのだが、二階級上がって曹長である。士官学校卒でもなく大した実績を挙げたわけでもないのに、大多数の同期より早く昇進している。先輩将兵にもウェスリーより下階級になった者が多くいる。
虐めたくもなるだろうな。
ウェスリーは諦めたようにそう思って寝不足の頭をもたげ歩を進める。
ウェスリーの懸念と言えば、そんな他愛もない虐めのことではなかった。
今回ミハルのパートナーになると同時にウェスリーはミハル班の一員ということになったのだが、班員は自分以外全員、それなりに長くミハル班に所属していると聞いた。
ミハルの前パートナーはどうだったかというと、パートナーになっておよそ一年というところだったらしい。彼は先日のオーガ殲滅作戦にて片腕を失う重傷を負い、そのまま退役したそうだ。若くして多数の戦果を挙げ、順調に昇級しつつある有望な士官だったという。
その彼に取って代わる形でミハルのパートナーになったウェスリーを班員はどう思っているのか。受け入れてもらえるのか。
ウェスリーにはそこが気懸かりだったのだ。
未だ班単位で長時間行動したことはない。業務上の差し障りのない会話は問題なく交わしているが、馴染めている気は全くしない。たまに笑われているような気さえする。
内心他の将兵達と同じようにウェスリーを良く思っていないのではないか。事が起こった時に命にも関わるであろう班員同士の信頼関係や連携なんて構築できるのか。いざという局面で班員から見捨てられて命を落とすなんて、冗談で済まない。
悩ましく思うウェスリーは、そんな折、合同演習実施の通達を聞いたのである。
「アーデルはなー、飯が美味い。甘味も見たことない種類のがたくさんあるんだ。行く度新しい食い物が出てて、飲食街を歩いてるだけでおもしれえの」
午前の巡回にいつも通り二人で出発したところ、日朝点呼時に隣国アーデルランドとの軍事合同演習実施の通達を受けたためだろうが、ミハルはその話題に掛かりきりとなっている。
十一月、箒木の月に入って数日、今冬初めての雪が朝からちらついていた。ウェスリーは分厚い防寒飛行服を着用して出発したが、ミハルはまだ通常の飛行服に襟巻を巻いた程度の装いである。特に寒そうにする様子も無くアーデルランドの話を続けるミハルを、ウェスリーは横目で見ながら飛ぶ。
どうやら合同演習は今まで二度ほど経験しているようで、その内一度はアーデルランドでの演習だったのだそうだ。横並びに飛んでいる箒上のミハルを見ると、にこにこと屈託無く笑っている。
パートナーになってから知ったのだが、粗雑かつ不愛想で知られるこの男は意外とよく笑う。笑顔だけでなく他の表情も、ウェスリーが想像していたより多彩で豊かだったのだ。普段隊内で見せているとっつきにくい態度は彼なりの大隊長としての所作なのだろうか。とは言え何も考えていない可能性が高い、とウェスリーは思っている。
ミハルはウェスリーに水を向けた。
「お前行きたいとこないの?」
「魔法書店に……」
言いかけて口をつぐむ。あの日スヴェンと似たような会話をしたことを思い出したのだ。スヴェンはあの時ウェスリーの返事を聞いて何と言ったろう。
「お前、ほんとおべんきょ好きだね」
ウェスリーの胸中を知る由もないミハルは両眉を下げて笑う。
「楽しいこともすりゃいいじゃん。食べたり飲んだり」
「……俺にとっては魔法学は楽しい」
「うわあーまじかよぉ」
揶揄うような調子で言われてウェスリーはむっとする。
「人が何を楽しいと思うかは自由だろ」
「そらまあそうだけどよりによって勉強かよ」
「あんたはもっと勉強した方がいいんじゃないのか」
「お。言ってくれるね。俺だって別に座学が壊滅的だったわけじゃねえぞ。魔法は確かに苦手だし覚える気も全くしねえが」
彼の言う通り、ウェスリーはミハルが戦闘中に魔法を使用しているのを見たことが無い。軍に入っているからには訓練学校卒業時に初級魔術士試験を合格はしているはずだが、初級魔法術以外は覚える気が無いのだろう。
「今時、魔法を覚える気が無いってのもどうなんだ」
「俺はそれでも戦える」
それは確かにその通りなのだが。
思ってそれ以上何も言えなくなるウェスリーである。なんとなく悔しい。
変な沈黙ができてしまい、まだ何か言ってやろうかと言葉を探すウェスリーだったが、邪魔が入った。ミハルの襟に付けられた通信機が起動する音が聞こえたのである。
ざらざらした音声が話し始める。
『こちら通信部。ミハル大尉、貴官の担当区域内で魔物出現の通報あり』
「すぐ向かう。座標は」
『陸区〇三七・〇五一です。目標はワーム、数は三から五と推量。地中に潜りつつ移動しているとの話ですので、お見落としの無いように』
「了解、通信終わる」
『通信終了します』
通信兵の言葉の後、通信機が停止する。ミハルは箒を転回させようと柄を持つ手に力を込めた。ウェスリーが声を掛ける。
「班員招集しますか?」
「いらねえだろ」
ぐんっと旋回し方向を変えたミハルの箒が急激に速度を上げた。第七師団最速と言われるミハルの箒は速い。ウェスリーは何度一緒に飛んでも慣れない。今も見る間に二人の箒はその距離を広げていく。もはや音声拡張器の効果圏外だ。
パートナーなんかいらないと言ったミハルの言葉が頭を過ぎる。きっとこうして皆置いて行かれていたのだろう。そして実際ミハルは大抵の魔物なら一人で討伐してしまう。
では何故自分をパートナーにした?
望んだわけではない。選ばれて嬉しいと思うほどにはミハルという軍人を知ってもいない。かといって選ばれたことへの自負が無いわけではない。自負を表に出せるほどの自信があるわけでもない。
自分の中には消化しきれない雑多な思いが漠然とある。明確に言葉や態度で示してもらえたならどれだけ楽だろう。
なんでだ、ミハル大尉。
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