ホルスト少将

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ホルスト少将

 昼食を取り終え、ウェスリーは兵営内の庁舎へ向かった。  庁舎と呼ばれる二階建ての瀟洒(しょうしゃ)な石造りの建物は、営門を入って右を少し奥に進んだところにある。庁舎には師団司令部が置かれていて、司令部付きの将兵が出入りする他、隊長職の将校らが軍議のために頻繁に訪れる。ウェスリーもこの短い期間にミハルに同行する形で何度か建物内に入ったことはあった。  しかし本格的に司令部へ足を踏み入れるのは初めてである。  兵営の他の建物とはやや造りの違う重厚な装飾のなされた入り口や廊下を抜け、目的の部屋へ辿り着いた。師団長執務室である。  深く息を吸ってからはっきりと音を立てて扉を叩くと、室内よりすぐに返答がある。 「入れ」  ウェスリーは重い木製扉を開け室内に入ると、後ろ手に扉を閉めその場で直立し右拳を胸前に掲げ敬礼する。 「失礼致します。ウェスリー・ポーター曹長、参りました」  大きな執務机の向こう側、木枠に天鵞絨(ビロード)を張り付けた上等な肘掛椅子に腰かけている男が見える。褐色の肌、禿頭(とくとう)の峻厳な面持ちをした第七師団師団長、ホルスト・シュヴァルツシルト少将である。  読んでいた書類から視線を上げ、ホルストはウェスリーを見る。まるで睨まれているような鋭い視線にウェスリーは内心怖気づく。 「ウェスリー曹長、ご苦労。ミハル大尉とはどうだ」  ホルストが低くこもったような声で問う。 「どう、とは……」 「うまくやっているか」  うまく。自信が無い。 「……問題は無いと思います」 「あの男は往々にして言葉足らずだ。その意図を汲み取るのに苦労するだろうと思うが」 「それは私の経験が足りないせいだと理解しています」 「ふむ」  ホルストが椅子から立ち上がる。立ち上がってみるとかなりの長身であることが改めて分かる。執務机の横まで出てくると、片手を広げ机近くの床を指し示して、扉の前で硬直したように立つウェスリーに近くまで来るよう促した。 「楽にしたまえ。本題に入ろう」  示された辺りまで歩を進めるが、決して楽な姿勢にはなれないウェスリーである。体の横に腕を下ろすが直立したままでホルストに向かい合った。見たところホルストは齢四十辺り、ウェスリーの父アリスターと同年代だろうか。  ホルストは改めて話し始める。 「今朝合同演習実施の通達を聞いたことと思うが」 「はい」 「聞いた通り今回はアーデルランドでの演習となる。主催はあちらだが、もちろん我が西部軍も様々準備は行う必要がある。また期間中演習の進行、実際の指揮には各部隊長があたることになる。ミハル大尉にとって大隊長となっては初めての合同演習だ」  ウェスリーにはホルストの言わんとすることがいまいち分からない。口を挟まず聞き続ける。 「ミハルは……ミハル大尉は、優秀な軍人だが事務作業は恐ろしいまでに苦手だ。もはや知ってのこととは思う」 「……そのようにお見受けします」 「君にはミハル大尉を補佐してやってほしいのだ」 「私が、ですか。恐れながら、大隊長副官がおられるかと……」  つい思ったことをそのまま口にしてしまう。ホルストの両目がぎろりとウェスリーの目を見据え、ウェスリーは身動ぎした。威圧的な眼差しに反して落ち着いた声音でホルストは返す。 「……ミハル大尉は奔放に見えて意外と他者に気を許さぬところがある。副官には有能な者を選んでいるが、彼と阿吽の呼吸というわけにいかない。合同演習は平時の訓練や討伐任務とは違いやや政治的な側面もある故、ミハル大尉の一挙手一投足を補助できる者が望ましいと私は思っている。これは正式な辞令ではないが、ミハルの動きをより良くするためにも内々に君に任せたいのだ」 「尽力は致しますが、私は彼のパートナーになって日も浅く、そもそも私自身の経験が圧倒的に不足していますので……」  反抗する気は無いのだがあまりに突然の話に思え、ウェスリーは反論めいた物言いをせざるを得ない。ホルストは頓着せず続ける。 「君は経験不足を知識で補えるだけの勉強家のようだ」 「そのような」 「謙遜はここでは無意味だ。訓練学校在籍時の成績は把握している。それ以前の魔法大学における成績も照会した。魔法術の知識のみならず、座学は全般に群を抜いた成績だな。入隊後も、その知識を任務遂行に役立てているとの報告を多数受けている」  滔々と言われ、ウェスリーは言葉を失う。ホルストは胸の前で腕を組んで、唇を固く引き結ぶと鼻から深く息を吐いた。目は鋭くウェスリーを見つめたままだ。再び口を開く。 「何より君はミハル大尉自身が選んだパートナーだ。彼は君に随分と気を許しているように見える」  気を許している。そうなのか。思うがままに自由に振舞っているようにしか見えない。  思って自然と不服に見える顔をしていたのだろうか、ホルストが薄い眉を片方上げて問う。 「君は彼が気に食わないか」  ウェスリーは慌てた。上官への反抗的態度と見られるのは不本意だ。 「いえ、そういうわけでは」 「では頼んだぞ」 「了解致しました」  観念したように応じるウェスリー。  ホルストは組んでいた腕を解き、椅子の近くへ戻って行きつつ机に片手を突く。 「具体的な指示は順次出ることになる。まずはミハル大尉と情報を共有するところから始めてくれ」 「はい」 「あいつの秘書のようなことをさせるが、不満があればここに言いに来い」 「は……いえ」  思いも寄らぬ申し出にウェスリーは戸惑う。ホルストの発言から時折漏れる、ミハルに対する親しみのようなものは気のせいではあるまい。長い付き合いなのだろうか。  話が終わったことをホルストの態度で察して、ウェスリーは来た時と同じように扉の前で敬礼し、退室した。  執務室の扉を閉め廊下に出ると、ようやく体の力が抜ける。廊下を歩きながら懐中時計を確認する。時間的に言って、ミハルは午後の巡回に出ている最中だろう。  今から出て合流できるかは分からないが、通信魔法を用いて追うことだけでも伝えておこう。ミハルから応答は無いにしても。 「……一応パートナーだしな」  庁舎の階段を下りながら独り呟く。  踊り場の大きな窓から、雪の勢いが少し強くなっているのが見えた。
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