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潜入
硝子扉を乱暴に開いた男は、おぉ! と、驚きの声をあげた。
「これはこれは、美しいお嬢様だ! 隼人君、やっとその気になったのだね」
隼人は慌てて男を黙らせようと歩を進めたのだが、時、既に遅し。
「年は離れているようだが、いや、お似合いだよ。
お嬢様は女学校に行っているのだろう? 大学出の隼人君の奥方なら当然だろうけど、卒業の頃には君は三十五、六。男盛りだ。
いやぁ、目出度い。
しかし、リベラルな長瀬家だけあるね、許婚者のお嬢様に仕事を手伝わせるなど、立派だ! 真立派だ!」
「富山男爵、違います。この子は、その、許婚者などでは」
「違うわけはなかろう。密室で男女が四六時中二人切りなど、普通は許されまい」
「ですから、そもそもそこからが間違いで」
「なにがだね」
「この子は、男の子なのです」
富山の目が、子供に向けられた。
小さな白い顔。真ん中で分けられた真っ黒で艷やかな髪は顎の辺りで切り揃えられている。通った鼻筋と、形の良い薄い唇。整い過ぎて嫌味なまでの美貌。切れ長な、釣り上がり気味の黒い目は今、怒りを表している。
「麻上圭と申します」
十五歳にしては高い声で、不本意そうながら、丁寧に頭を下げた。
「や、これはどうも、失礼を」
男の格好をしていてさえ、中性的な容姿から少女に見られるのは今更であるが、まさか、十四も違う隼人の伴侶候補に見られるなどとは思いもよらず、面食らうしかない。
「圭君、こちらは富山男爵。父の友人でね」
「そう、彼が赤ん坊の頃から知っているのだよ」
成る程、知り合いか。と、無言のまま、圭の視線は語っていた。だから驚きもせず、逃げもしないのだな。と。
「長瀬萬請負」。所謂なんでも屋であるが、硝子扉を開いた日本人は十割が十割、隼人の姿を見た途端に逃げ出してしまう。
肌は日本人らしい色であるが、目は、白人特有のくっきりとした二重で、瞳は鼈甲色である。身の丈は六尺二寸と高い。
しかし、見る人を最も驚かせるのは髪の色だろう。柔らかな癖毛は、白人を見慣れている人でさえ驚かせるほど鮮やかな紅色。
かつて、白人を紅毛人などと呼んでいた時代があったが、隼人のような髪の色の人間がいたのだろう。
圭が手伝いを始めるまで依頼客の八割は外国人、二割は知人という状態だった。
今では圭の姿を見て五割は留まるようになったが、外国人と少女という誤解が当たり前となりつつある。
「ご依頼を伺いましょう」
圭に座るよう促して、隼人は帳面を開き、万年筆の蓋を外した。
「実は、上の娘に縁談があるのだよ。とても良い話で、わしも妻も両手を上げて喜んでいるのだが」
富山は一冊の、千代紙の貼られた帳面を鞄から取り出した。
「上の娘は女子学習院を来年卒業する。親のわしがいうのもなんだが、まぁ、器量もなかなかだし、花嫁修業も完璧で、淑やかな、どこへ嫁がせても問題のない、自慢の娘なのだが、下の娘が少々」
「姉が高子さん、妹が園子さんでしたね。確か、一卵性双生児」
二人を知らぬ圭への説明のつもりで呟く。
「そう、園子がね、どうやら男に誑かされているようなのだよ」
富山が開いた頁には、成る程、新しい女の恋が綴られている。
『姉様も私の周りの女も親が決めた相手に唯々諾々と嫁ぐのだろう。しかし私は違う。自分の未来は自分で決める。たとえ父に逆らうことになろうとも、愛するあの方と共に新しい時代を育むのだ』
『男の言いなりになるだけの人生など、私は望みはしない。私は自分で稼ぎ、自分で生活し、未来を切り拓く。自分だけの力で』
『あの方の告白は私を喜ばせた。私だけを愛していると。私も他の誰も見えはしない』
ここ一月毎日記された日記は、殆ど天気と授業、少女らしくその日頂いた甘い物など、差し障りのないのだが、内三日分はこの通りで、年頃の娘を持つ父親が慌てる気持ちは理解できる。
「園子も女子学習院へ行かせるつもりだったのだが、どうしても嫌だと言い張り、親が根負けした次第だ。我が儘な娘でね」
「相手は勿論、分からないのですね」
「わからない。我が家では使用人の男と言っても、若い者はいない。女学校への行き帰りは車だし」
「運転手は?」
「五十近い男だが」
「ありませんね」
「わしの目の届かぬのは女学校だけ。
隼人君、どうかお願いだ。妙な男に引っかかったり、いや、万一孕まされたりしたら」
「女学校で、それはないでしょう」
「いやいやいや、何が起こるか分からないよ」
「まぁ、女学校とはいえ、教師や使用人は男もいるでしょうし。
誰か伝を辿って、女学校の生徒を」
「どうだろう隼人君。彼に潜入してもらうのは」
思いもよらぬ言葉に、隼人は再び慌てた。
大人しい圭だが、女の子に間違えられるのを極端に嫌う。
「制服やなんかはすぐ用意できるし」
「女学校に男の子は、ねぇ」
「やりましょう。園子さんの写真と情報をお願いします」
「圭君、君」
「伝を頼ったとしても、お堅い女学校の生徒が、男性と二人きりで話しをするわけにもいきますまい。結局、私が女装して同席しなければならなくなるのでしょう?
それに、淑やかな令嬢が、同級生の噂を簡単に喋るとも思えません」
「それはそうだろうけど」
「結局のところ、私が女装して潜入するのが一番手っ取り早い方法だと思いますから」
「ありがとう。よろしく頼むよ。
わしはすぐ、転校の手続きをして来なければ。
名前はどうしようか?」
隼人はどうやら、観念せざるを得ないようだ。
「そうですね、私の遠縁ということにして、長瀬」
周りを見渡す。が、目ぼしい物はなく、考える。圭とは全く違う名前を。
「華族の華で、華子」
「良い名だね。
じゃ、明日からよろしく」
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