赤塚不二夫さんの作品と十字架

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赤塚不二夫さんの作品と十字架

 13年前の8月のある朝、ベッドで寝ているときに「赤塚不二夫さんが亡くなったって」と母から聞いて目が覚めた。  最初の思いは「とうとうか」だった。6年ほど意識のないまま闘病されていたことはメディアを通して知っていた。  一方で、赤塚さんが亡くなる少し前に、NHKで放送されたドキュメンタリー※を観て、いつか目を覚まして再起してほしいとの思いも直前まで抱いていた。  自分と赤塚作品の最初の出会いは「天才バカボン」のアニメ版。大工になったバカボンのパパが、銭湯を底なしにしてしまう話がとても面白くて、今でも印象に残っている。  やがて父から買い与えられた文庫版「天才バカボン」「もーれつア太郎」「おそ松くん」を読み進め、自分にとってのマンガ、またギャグの教科書の1つとして、赤塚マンガには沢山の影響を受けて育った。  バカボンの中期があまりに危険な話ばかりなので、小学中学年くらいまでは一時否定的な印象を持っていた時期もあるが、5年生のときに読んだ「説明いり左手漫画なのだ」※※に心を鷲掴みにされ、それからバカボンの後期と「レッツラゴン」「大先生を読む」等を買い集めるようになる。  説明いり左手漫画は、自分にとって衝撃的な面白さだった。  内容は、作者とアシスタント全員が右手を怪我したから左手で描くという設定で、登場人物の心情を文章で説明するというネタである。  なんといっても、その面白さは、顔でニコニコ笑いながら心の中では互いに相手をぶっ殺そうと考えている人間の二面性をダイレクトに描き、笑いに転化させた点にある。  学習院大学教授の中条省平さんは、先述のドキュメンタリーの中で、赤塚作品を「純粋なギャグを追求することが人間の本質の追求になっている」と論じている。  件のドキュメンタリーで、赤塚さんの自宅が映し出されたとき、玄関先に十字架が飾られているのを見て「あっ」と思った。  調べたところ、赤塚さんの2番目の奥様であられた故赤塚眞知子さんのブログ※※※で、赤塚さんが意識不明の状態のとき、クリスマスに病院でゴスペルを聞いて赤塚さんが一粒の涙を流したという記述を発見した。  また、その後日、ゴスペルを聞いて赤塚さんの顔がスマイルになったという記述もあった。  讃美歌やゴスペルは、神様の慈愛や人に対するあわれみをほめ讃えるものだ。  以下は一般にもよく知られている「アメイジング・グレイス」の歌詞からの抜粋である。 Amazing grace!(how sweet the sound) That saved a wretch like me! I once was lost but now am found Was blind, but now I see. 'Twas grace that taught my heart to fear. And grace my fears relieved; How precious did that grace appear, The hour I first believed. Through many dangers, toils and snares. I have already come; 'Tis grace has brought me safe thus far, And grace will lead me home. 驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)、 私のように悲惨な者を救って下さった。 かつては迷ったが、今は見つけられ、 かつては盲目であったが、今は見える。 神の恵みが私の心に恐れることを教え、 そして、これらの恵みが恐れから私を解放した どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、 私が最初に信じた時に。 多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、 私はすでに辿り着いた。 この恵みが、ここまで私を無事に導いてくださった。 だから、恵みが私を家に導くだろう。 (引用元:Wikipedia)  赤塚さんのマンガはただ単純に笑えないものも多い。子供の頃、あるクラスメイトは「バカボンは、パパが後輩をよくいじめるから嫌い」といっていた。  パパの極悪非道に関しては、確かにその通りである。実際そうした点もあって、自分が低学年に好きだった赤塚作品はバカボンよりア太郎やおそ松くんだった。  だがバカボンの初期では、パパはもともと町内でバカにされいじめられるキャラクターだった。バカにされた側が、次第に今度はバカにする側へと変貌したのだ。  このギャグの変遷を単純に論じることは非常に難しいが、赤塚不二夫さんは、人間の綺麗な部分も醜い部分もすべてひっくるめてギャグに昇華し、私たちの生きる力に変えようとしていたのではないかと思われる。  なお、自伝『これでいいのだ』(文春文庫)を読むと、満州での生い立ち等から赤塚作品のルーツに触れることができる。  赤塚不二夫さんが、晩年キリストに出会ったのかは分からない。  しかし、人間の本質を追求したギャグマンガを描き続けた赤塚さんの作品世界を完成させるただ唯一の切り札は、イエス・キリストの十字架にしかないと自分には思えてならない。  かつて神につくられた最高傑作である「神の作品」なのに、神に背を向けて生きている私たち人間。  そんな人間の罪を帳消しにするために、人が受けるべき罪の罰を代わりに受けられたイエス様。  神の独り子が人として生まれるという、神様の逆転的救済法は、バカが天才になり天才がバカになるバカボンのセオリーにも通じる。  そして死で終わりではなく、イエス様は3日目に復活された。どんなに先行きが見えない暗闇の中にいるときでも、復活の希望、天国の喜びを、イエス様はいつでも私たちに与えてくださっている。  さて、赤塚さんが、自分が描いた中で1番好きなマンガと公言した「レッツラゴン」の中には、ときに冒涜的なギャグもあった。  だが、それすらも超越して、すべてを赦し包み込む神の愛の最たる証拠がイエス様の十字架である。それが赤塚さんの自宅に飾られていたのがとても嬉しかった。  〈注〉  ※……「プレミアム10 赤塚不二夫なのだ‼︎」NHK総合、2008年5月30日放送(同年3月16日にBSハイビジョンで放送された番組の再編集版)  ※※……竹書房文庫「天才バカボン」15巻に収録  ※※※……故赤塚眞知子さんのブログ……「これでいいのだ‼︎マチ子さんの看護師・社長・小姑・ママ母・料理人・小悪魔…そして妻、日記」2006年5月30日、6月1日アーカイブ  
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