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長髪で眼鏡で、清潔感のないその男は、私にお茶を飲んでから帰るように勧めたので、私は小屋のなかに入った。 埃っぽい臭いのなかには、たくさんの書物が重なっていた。 その書物の山の奥から、擦れるような音が聞えたので、私は驚いて全身が硬くなってしまった。 山の奥から… 小屋にやって来た鳥がこちらを見ていた。 彼は、その鳥に視線を移して呟いた。 「クル…」 「それって何?」 「この子の名前…」 灰色の鳥は、首を傾げながらコロコロと喉を鳴らした。 「玲が言ってた…ドローン…」 「表向きはね…でも、本当は僕がつくった失敗作で、今は愛くるしい鋼の鳥さ…。」 「失敗って何?」 「タイムマシン…」 クルは小さな鳴き声を上げながら、一歩二歩と少しずつこちらにやって来た。 「そうなんだ…」 私は彼をチラリと見上げた。 「僕は、玲の大学時代の教授なんだ…今は、大学を辞めてこんな道楽みたいな研究をしてるんだけどね…僕は昔から、タイムマシンに関心があってね…自分でつくってみたいと思っていたんだ…それで、自分の持てるだけの知識と経験にもとにクルを作った…理論上では完璧な筈だった…理論上ではね…」 彼は満面の笑顔で私を見下ろしながら、話を続けた。 「けれど、無理だった…クルは時空を超えることは出来なかった…やはり人の力で時を操作するなんて無理な話なのかもしれない…そう考えていたときに玲に出会った…僕は彼の思いに共感し、彼と一緒に研究することにしたんだ…。」 彼はやかんに麦茶の葉を入れると、さび付いたコンロの上に置いた。 「君は、玲の同居人と聞いているけど…どこまで分かってるのかな…でも、この包を持って来たってことは、玲の仕事部屋のことは知ってるんだよね?」 玲の仕事部屋… 私の脳裏に、扉の隙間から覗いた玲の背中が浮かんだ… 「知ってるよ…色々な箱が置いてあった…」 「うん…それは、異形の身体を保管するための箱なんだ…そして、玲の髪の毛は箱を縛る力がある…。」 私は、玲がみどりに渡した小さな箱を思い出した。 その箱には、リボンがついていた。 黒いリボンが… 「玲の髪の毛…蓋が開かないようにするため?」 「鋭いね…玲の髪がなければ、異形が箱に納まることはない…飛び出して持ち主の身体に戻ってしまうからね…同じように、異形の身体を形成してその形を留めておくために、玲の髪が必要なんだ…。」 クルが、私の足元をコツリと突いた。 冷たい嘴がふくらはぎに当たったが、私は少しも動けなかった。 徐々に分かってきた… 彼が玲の髪を何に使おうとしているのか… 先程、クルが隠れていた書物の山の奥には、七色に輝く塊が蠢いていた。 「これは、玲の両親の形見であり、僕の研究でもあるんだ…。」 塊は、幾重にも黒い紐が巡らされていた。 玲の髪が… 私は、恐怖と冷静の狭間のなかで呟いた。 「そういうこと…玲が殺されなかった理由…」 ずっと疑問だったけれど、誰にも聞けなかった理由。 玲は異形なのでその両親も当然、異形の筈だ。 でも、玲の両親は人間だった。 玲は養子だったのだ。 養子であるとはいえ、異形であることに変わりはない。 タイムマシンの材料になり得るのだ。 そもそも、どうして玲は養子になったのか…それも疑問だった…。 「玲の両親は彼の髪を利用するために彼を生かし、養子にしたんだ…」 利用価値がないと、子どもになれないのだろうか? 親子のことはよく分からない。 でも… それは違う気がする… 私は、里花が山小屋の暖炉の前で読んでくれた絵本の挿絵を思い出した。 挿絵のなかでは、熊の親子が身体を寄せ合い笑っていた。 そして、玲の表情を思い浮かべて納得した。 いつも彼の表情がかたい理由… 彼は、無条件に自分を受け入れてくれる誰かに出会ったことがないのだろう… そして、それは… 私も同じだ。 彼は先程、私から受け取った包から玲の髪を取り出し、七色に輝く塊の上に載せた。 短かった髪は、生き物のように激しく動き出して長く伸びると塊を覆った。 「髪は永久にこれらの形を留めておくことはできない…どうしても綻びが出てくる…」 彼は塊のそばに落ちている髪の毛を拾い上げると、私に手渡した。 髪の毛が裂けている… 枝毛、というやつだろう… 「以前は5年毎に交換すればよかったんだけど、玲もオジサンになったからな…髪の毛の強度が落ちたのかな…。」 私は、枝毛を見つめながら彼に尋ねた。 「あなたと玲の研究って何?」 「異形の身体を使わずにタイムマシンをつくること…」 彼はやかんからコップに麦茶を注ぐと、私に手渡した。
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