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 荒祭は山麓の草が少し禿げた場所にホンダ車を止めた。  厚ぼったい一重瞼を細め、フロントガラス越しにぼんやり景色を眺めていたら、メガネの細やかな汚れが突然気になった。  ウエストポーチからクロスを抜き出す。  光に透かして拭き残しがないか何度も何度も確認し、丁寧に磨き上げた。  車中のデジタル時計は午前8時36分を指していた。  気が済むとトランクを開け、ビバークに備えたキャンプ道具一式を詰めたザックを下ろす。  点在する家は間近で見ると屋根が崩れ木戸は開けっ放しで傾き、明らかに廃墟と見える物も含まれる。  しかし耕された畑に実る作物が人の存在を明らかにしていた。  畦道の間に小川が流れていた。  薄い木の板が渡されているが足を伸ばせば渡れる幅だ。  山の斜面を覆う草は同種でも生気無く褐色に枯れ掛けた部分と、濛々と繁る部分とが対比していて日光の照射による違いかと空を仰ぐ。  登山口の藪に埋もれて黒ずんだ木の板に不死原岳と掠れた文字が読めた。  今か昔か。  外部から訪れる者の為の標だろうか。  
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