時代錯誤の西上さん

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 私はほくそ笑んでいた。 できるものなら豪快に笑いたかった。 ま、それぐらいは我慢してやるとしよう。 で? 『迎え』とやらはいつ来るんだ? 「今までありがとうお父様」 「大好きだよ。じいちゃん」 「後はお任せください。お義父さん」 「あなた‥‥‥」 美しい妻は、それ以上何も言わず、私の手を握っている。 若く、非の打ち所がない妻。 前の妻から生まれたとは思えない、賢い娘と優秀な孫。 最高級の病室。 これ以上の死に方があるかね? 私が要らない物は、全て無能な人間どもにくれてやった。 私は物を粗末にはせん。 だからこそ、この世の富みは私を慕ってやって来た。 そして。 殺されたわけでもなく人生を全うし、 最高の環境で逝く。 悔しかったらやってみるがいい。 私に取り付けられた機械の波がなだらかになっていく。 控えていた若い医者が立ち上がった。 いよいよか‥‥‥ 医者が、くくっと笑った。 「くたばる直前まで反省無したぁ、ほんとにふてぇ野郎だな」 『西上(にしがみ)』 やつの名札にはそう書いてあった。 私はたいして驚かずに。 「この鼻ったれ小僧。今までの私なら、その一言で貴様なぞ絶海の孤島ですら働けなくしてやったものを。情けない奴だ。 私にそれができなくなるまで辛抱強く待っていたのか?」 「口の減らねぇじじぃだぜ。よくそれで米寿までやって来られたもんだ」 医者はまたくくっと笑った。 もう一人医者が入って来た。 そっちの医者は、当たり障りなく私の脈や目の中を診て、当たり障りなく丁寧に病室(へや)を出て行った。 (おっしゃ――っ!) 声を潜めてはいるが、孫がガッツポーズをする。 やはりな。わたしはまた、たいして驚かなかった。 「おやめなさい。誰か来たら大変よ」 「いいじゃないか、この子も僕も、君も本当に我慢した」 「そして(あや)さんもね。お疲れ様でした。こんなの世話、本当に誰も引き受けたがらなかったんだから」 「とんでもございません」 妻が笑いながら言う。 「充分なお給金もいただきましたから」 「本当に良かったの? 籍入れなくて」 ――!? なに? 「はい。(わたくし)にはたくさんのお得意様がいらっしゃいますし、 その中に、実は本当に添い遂げたいと思っている方がおられるのです。 少なくともそれは、この方ではありませんので」 「すげ~」 「言ってみたいもんだわねぇ‥‥‥」 私が見込んだ妻(?)の美しさと度量は、誰の目から見ても尊敬に(あたい)するらしい。だが‥‥‥ 婚姻届けは確かに部下に出させたはずだった。 何より、私の莫大な財産は正式な妻になっていた方が、よりたくさん手に入ったではないか。 「あ~あ、大金積まれても嫌だったってか~」 「うるさいっ!」 どこの馬の骨ともわからぬ医者(あおにさい)に、この私が馬鹿にされる(いわ)れは無い。 「悔しい‥‥‥お母様に今のこいつの姿、見せてあげたかった」 娘が涙ぐむ。 他の三人が、優しく娘の背に触れた。 「きっと見ていらっしゃいますよ」 「てかばあちゃん、向こうでとっくに誰か優しいイケメンとくっついてさ。 のことなんか忘れてんじゃね?」 四人は密やかに笑い、蔑んだ眼で、遺体(わたし)を見下ろした。 「さてと」 青二才が言う。 「あんたこれからどうするよ」
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