名探偵の卵

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名探偵の卵

朝影(あさかげ)諒太(りょうた)】 「無いなー」  ラブホテルの近くにあるツナヤで、理愛が探しているのは『容疑者Xの健診』なる迷作映画だ。9割の酷評と1割の絶賛をほしいままにしている。僕も当然、興味が無い。 「無いなら違うのにすれば?」 「だが、お姉ちゃんが言ってたやつだからなぁ……」  どうして僕らがDVDを借りようとしているのかというと、ラブホでのご飯休憩の間に観たいと理愛が言い出したから。それで、偲愛さんオススメのエロ映画を探す運びになったというわけだ。いろいろ意味が分からないね。 「むー」  小動物のようにチョロチョロ動く理愛を眺めていると、横合いから声が聞こえた。 「『容疑者Xの健診』は……」  低音アルトボイスだ。僕らと目的は一緒らしい。横を向くと、同じジャンルらしきDVDを何枚か持った眼鏡美人が……。 「あ」 「?」  変な顔をされてしまった。ごめんなさいの意味で軽く頭を下げると、すぐに興味を失ったのか、エロ映画探しを再開した。 「……」  この眼鏡美人、三浦さゆりさんだ。こんな所で会うとは思わなかった。だからといって特に何かがあるわけではないんだけどね。  いつの間にか理愛が近くから居なくなってる。どこに行ったんだろ? 「……まさか」  残念な予想が頭を(よぎ)る。しかし理愛ならあり得る、というか真っ先に行きそうだ。  18禁コーナーを探す。  果たして、大人と子どもを(へだ)てる、あるいは思春期のように曖昧(あいまい)かつ不完全な領域(18禁コーナーの入口)で理愛の声を耳にする。 「あったー!」  どうやらお目当てのブツを見つけたみたいだ。  エロコメディとは聞いていたけど、本当に18禁コーナーにあるのか……。    待ってると理愛がDVDを携えて出てきた。何も知らない人が見たら「マセた女子中学生がエロDVDを漁りに来た」と思うだろうね。知ってる人が見たら「エロ女が平常運転してるんだな」となる。つまり僕の感想である。 「よーし、コンビニで食糧を買って、ラブホに行くぞ!」  なぜこの娘さんはそういうことを大きな声で言うのか。近くに居た人が好色な顔になっちゃったよ。 「……りょーかい」  お腹空いた。 「結構キレイだな」  ラブホに到着し、下から2番目に安い部屋に入った理愛の第一声だ。 「そうかもね」  テキトーに同意したけど、ラブホテルにしろビジネスホテルにしろ、そんなに詳しくないからここが一般的に見て綺麗か否かはよく分からない。  ソファに座った理愛がコテン、と首を傾げる。 「どうした? つっ立ってないで座ったらどうだ?」  ソファをポンポンしてる。隣に座れということらしい。 「そうだね」  素直に隣に座る。このソファ、近くで見ると微妙に年季(ねんき)が入ってる。  コンビニの袋から理愛のサンドイッチとストレートティを取り出してやる。 「ありがと」 「うん」  僕用のおにぎりとお茶も取り出す。 「で、なんでラブホに来たわけ?」 「……ラブホに来る理由なんて1つしかないだろ?」  いや、最近はラブホ女子会なるものがあったり、利用法は多様化してるよ。  くっついてきた理愛から離れつつ、切り返す。 「捜査は関係無いの?」 「勿論、無いぞ。ただ諒太のオ○ン○ンが欲しかっただけだ」 「……え、本当に?」  理愛がクスクスと笑う。 「勿論、嘘だ。ヤりたかったか?」 「全然」 「おいコラ」 「嘘嘘。理愛は本当に可愛いよ。だから(?)早く捜査について教えてほしいなぁ」  理愛が揺れる。 「……お、おう」  意外と照れるよね。おかしいね。 「……私の狙いは中川未来の男関係だ。交換殺人とした場合の疑わしい共犯者の組み合わせは覚えているな?」 「確か『中川さんと陽平さんパターン』か『中川さんと笹川さんパターン』だよね」 「そうだ。中川未来は美人だ。それは間違いない。だからきっとエロいアレコレで桧山陽平か笹川圭一のどちらかを籠絡(ろうらく)したはずだ!」  おにぎりの封を開け、頬張る。おいしい。 「……聞いてるのか?」 「ひいへふほ(聞いてるよ)」  理愛は目を細めていたが、なんだかんだで説明を続ける。 「……警察がやった接点探しは知人、親族、隣人への聞き込みと携帯などの通信分野のチェックだ。しかし、それでは見つけられなかった」 「ひはいはへー(みたいだねー)」 「だから私たちは違う方法で調べる。それが、それぞれの生活圏の重なる場所にあるラブホでの聞き込みだ!」 「はふほほー(なるほどー)」  高菜おいしい。 「……やっぱり聞いてないだろ」  若干の怒気が混ざっている。  お茶でおにぎりを流し込む。 「ちゃんと聞いてるよ。それより理愛は食べないの? 食べさせてあげようか?」 「なな何を言っている! 自分で食べられる!」 「そっか」 「そうだ!」    一気に真っ赤だ。理愛の照れるポイントが一番のミステリーだと思う。  理愛がサンドイッチの包装を破り、食べ始める。完全にリスである。 「おいしい?」 「……んぐ、まぁまぁかな」 「そっか」  チョロいなぁ。   「見たことないね」 「そうですか」  理愛とラブホ通いを始めて5日、(いま)だ情報を得られずにいた。 「分かりました。ありがとうございました」  礼を言って、バイバイする。  うーん、捜査方針変えた方がいいのかな。  理愛と次のラブホに向かう。 「やり方、変えた方がいいんじゃない?」 「むー」  暫し唸っていた理愛だったけど。 「分かった。次で駄目ならそうする」  同意してくれた。 「うん。そうしよう」  一見、ビジネスホテルのような外観のラブホテル──「オールドヴァージンホテル」に到着した。  入口に人が居ないタイプなので、お部屋選択用のパネル横にひっそりと備え付けられた電話で従業員にお願いする。 「はぁ、分かりました。事務室まで来てください」  なんだかよく分かってなさそうだけど、拒絶はしないみたいだ。よかった。 「ありがとうございます。事務室はどこでしょうか?」 「地下1階です」 「分かりました。すぐに行きます」  電話を切る。 「行こう」 「おう」  事務室で出迎えたのは珍しく若い女の人だった。特有の匂いを裏付けるように、大きな灰皿には口紅の付いた煙草(たばこ)が詰め込まれている。 「……若い声だとは思ってたけどよ、ここまで若いとは思わなかったぜ」  電話では敬語だったのに、もうタメ口だ。 「これでも警察から正式に依頼を受けてるんですよ」 「マジか。ヤバ」  普通に驚いている。気持ちは分かる。僕も未だに信じられないもん。 「質問させていただいてもいいですか?」 「おー、いいぞ。つーか、敬語疲れねぇか? 普通に話していいぜ」  いいのかな。まぁいいか。そっちのが楽だし。 「じゃあお言葉に甘えて」  教科書が入れられたトートバッグの端に詰め込んだ写真を取り出す。 「この3人に見覚えない?」  3枚の写真には、中川未来さん、桧山陽平さん、笹川圭一さんがそれぞれ写されている。  ラブホの人が写真を受け取り、思案顔になる。あまり期待はできないかもね。しかし──。 「……この2人なら来たことあるぜ」  え、嘘……。   「本当か! 詳しく教えろ!」  僕より先に理愛が食いつく。  気持ちは分かるけど命令口調は流石に駄目じゃないかな。  しかし、僕の心配は無意味だったみたいだ。ラブホの人は気にした様子を見せずに教えてくれた。   「たまたまホテルん中ですれ違ったことがあんだよ。多分、見間違いじゃねぇぜ」  彼女が指し示したのは桧山陽平さんと中川未来さん。笹川圭一さんは違ったようだ。  物的証拠はあるかな。 「防犯カメラとかに映像は残ってる?」 「あー、それは大して役に立たねぇんじゃねぇかな。ウチのホテルってそんなにカメラ多くねぇし、こいつらマスクしてたしよ。私が見た時は下ろしてたけど、人目を気にしてんだったら、あんまり下ろさねぇだろ?」 「それは確かに……」  理愛が追加の質問をする。 「見たのは1回だけか?」 「ああ。来たのが1回とは限らねぇが、私がしっかり見たのは1回だけだ」 「ふむ……」  理愛が何かを考え始めた。もう少し質問してみよう。 「この2人に関して何か気になることってあった?」 「あー、んー、ねぇかな。別に珍しい感じの客じゃねぇし」 「じゃあ2人を見た日時って覚えてる?」 「えー、えー、いつだったっけ。昼間だったような気がする」 「なるほど……」  ということは、土日か、仕事を休んだかのどちらかってことだよね、多分。  僕の訊きたいことは、あとは無いかな。理愛はどうだろ? 「理愛は他に何かある?」 「ん、そうだな。こいつらの車の情報、ナンバーとかはあるか?」  あ、そっちがあったね。頭に無かったよ。 「地道に見直せば分かるかもしんねぇが、私はやりたくねぇぞ。つーか、はっきりとは分かんねぇと思うぜ。さっきも言ったけどよ、ウチのホテル、防犯に手ぇ抜いてんだ。カメラ映像の質もわりぃんだよ」 「む、そうか。仕方ないな。だが、かなり助かったぞ」  偉そうだなぁ。    しかしラブホの人は全く気にしていないみたいだ。 「はいよ。それなら今度は客として来てくれよ。あんたら付き合ってんだろ?」 「まだ突き合ってはいないぞ」  何かアクセントに若干の違和感がある。   「マジか。完全にヤってる奴らの距離感だぜ?」 「……そ、そうか?」 「ああ」  なんか妙な空気……。早く帰ろう、そうしよう。  そう思った時──。 ──prrrrrrrrrrrr。  理愛のスマホが鳴る。友だちは居ないはずだから、お姉さんかも。  理愛が断りも入れずに電話に出る。一応、謝っておこう。 「なんかごめん」 「いいよ、こんくらい」  見た目はヤンキー崩れのデリヘル嬢(イメージ)なのに、優しい人だ。    突然、理愛の雰囲気が変わる。 「……なんだと!?」  なんだろ? 理愛が珍しく真面目に驚いている。 「……分かった。すぐ行く」  難しい顔で通話を終わらせた理愛が宣言する。 「第三の事件発生だ」 「……え、どういうこと?」  だって交換殺人なら殺害対象は基本的には2人なんじゃないの? つまり第二の事件で終わりのはず。やっぱり交換殺人じゃなかった? でも、怪しすぎる繋がりがあったみたいだし……。  混乱する僕に追い討ちが。 「中川未来が殺された。また子宮を滅多刺しだ。分かったら早く行くぞ」   返事なんて待たずにドアを開け、行ってしまった。  カチリ、と煙草の匂い。 「ふー、あんたも大変だな。吸うか?」  煙草を差し出されても、僕は吸わない人だ。普通にお断りする。 「いや、気持ちだけありがたく受け取るよ」 「そうか」 「僕も行くね」 「はいよ」 「うん。ありがとね」 「どういたしまして」      ──妊婦連続殺人事件について、警察は通り魔による犯行と見て捜査を進めています。  昨日(6月27日)、ネットのニュース記事を読んだら、そんな風に書かれていた。  第三の事件も含めて考えると、警察が正しいような気がしてくるけど……、でもなぁ……。  ここ数日でかなり慣れてきたはずのアクセルがいつもより重い。  今は、第三の事件の現場──M区の準工業地域にある取り壊し予定の廃工場へ移動中だ。 「……3件目の殺人事件が起きちゃったけど、これってどういうことだと思う?」  理愛に訊いてみる。 「うむ。そもそも中川未来に動機があったという前提と交換殺人という推理が間違っているのかもしれないな」  間違ったのにすんごい偉そう。鋼のメンタルとは理愛のためにある言葉だね。 「だが、間違っておらず、“何らかの理由”での仲間割れ等も十分あり得ると思う。桧山陽平と中川未来が肉体的に繋がっていた可能性が浮上した以上、私の推理も単なる妄想の域に収まってはいないはずだ」  うん、そうだね。そうだけど、息をするように然り気無く下ネタを入れるのはどうかと思うよ。 「その“何らかの理由”は何だと思うの?」 「うむ。やはり性の不一致、つまり求めるプレイにすれ違いがあったと私は見ている」 「……そっかぁ」  ブレないなぁ。  遺体が発見された大きな廃工場にパトカーが群がっている。  それを見て理愛が「うむ」と頷く。 「まるでAV女優を囲む汁男優のようだな」 「……ユニークな感性だね」  眼科と精神科を勧めた方がいいのかな。でも治療は困難を極めるだろうなぁ。  車から降りて廃工場へ入ろうとすると、青い制服を着たポリスマンにふつーに止められた。 「こらこら、見て分かる通り、事件があったから入れないよ」 「私たちは関係者だ」  それだけ言って、行こうとする理愛の前に移動する若いポリスマン。偲愛さんを呼ぼうか。スマホを操作。 「いらっしゃ~い」  呼ぶまでもなかった。初めて会った時と同じノリで偲愛さんがやって来た。  ポリスマンが目を見開く。 「え、十七夜月(かのう)巡査部長のお知り合いですか?」 「はい~。探偵の理愛ちゃんと朝影ワトソン諒太くんです~」 「は、はぁ、そうですか……」  なんか罪悪感が……。  ポリスマンは「ハーフか……」と呟いている。  ……ちょっと思ったんだけど、警察官って変な人しか居ないのかな? それはなんか嫌だなぁ。 「早速、現場に行きますよ~」 「分かりました」 「おう」  偲愛さんの後をアヒルよろしく付いていく。  (ほこり)っぽい現場からは、すでに遺体は運び出されていた。床には人形(ヒトガタ)にテープが貼られていて、かなりの血痕が残されている。あらら。  廃工場内をぐるっと見回した理愛が質問をする。 「第一発見者は?」  確かにこんなとこに来る人間は限られている。というか、あんまり思いつかない。 「廃墟マニアのお兄さんです~」 「あー、つまり、本当にたまたま死体を見つけたってことか?」 「そうらしいです~。写真系SNSに彼が撮った廃墟の写真がたくさん投稿されているから、マニアというのは嘘ではなさそうです~」  なるほど。じゃあ第一発見者は犯人ではないかもね。    それにしても凄い血。生々しい鉄の匂い、生ゴミの腐った匂い、工場の埃と油の匂いが混ざって、独特の感じになってる。気持ちの良いものじゃないね。 「殺害方法は一緒ですか?」 「はい~。今回は妊婦さんじゃないみたいですけれど、赤ちゃんのお部屋が抜け道だらけです~」   理愛が問う。 「具体的には?」 「心臓1回と子宮を10回以上です~」 「……ふむ? そうか」  何か気になるのかな。よく分からないや。 「それから~、さっき理愛ちゃんが、中川さんと陽平さんがイケナイ関係かもって言ってたから、早速、第三の事件のアリバイ確認のために本人と勤務先に電話してみました~」 「! どうだった?」  移動中、偲愛さんに電話で伝えてたやつだ。それを受けて動いてくれたらしい。 「本人には繋がらなかったのですが、会社の人が、陽平さんは有給休暇を取ってる、と教えてくれました~。そして完璧なアリバイがありました~」  なんだそれ。黒っぽさと白っぽさが同居してる。 「鑑識さんの簡単な死亡時刻の推定では、亡くなったのは6月23日ごろなんですけれど、陽平さんは21日から26日まで社員旅行でアメリカに居たみたいです~」  へー。超強力なアリバイじゃん。少なくとも実行犯ではないね。  これは本格的に交換殺人説が揺らぎ始めたんじゃないかな。理愛はどうするんだろ? 「……死体の写真を見せてくれ」  まずは情報を整理するようだ。そりゃあそうだよね。  偲愛さんが鑑識さんからタブレットを借りて、画像を表示させる。 「はい、どうぞ~」 「うむ」  理愛が受け取る。僕も見たい。後ろから覗く。  遺体は腐敗が進んでいる。 「なかなか悲惨ですね」 「ですね~」  画像がスライドされる。全体像から傷、顔へと来たところで理愛の指が止まる。 「どうしたの?」 「……」  僕の問には答えずに、顔の画像をアップにする。まじまじと見つめている。僕にはただの腐敗死体にしか見えないけど……。 「お姉ちゃん、これってメイクしてるよな?」 「え? ちょっと見せてください~」  偲愛さんが「う~ん?」と唸る。死亡直後ならまだしも、ここまでになっちゃうと分かりにくいよね。  しかし偲愛さんは一応の結論を出したようだ。 「言われてみればそんな気もします~」 「……」  何を考えてるんだろ? 辺りをキョロキョロし始めた。僕も(なら)う。  ん? なんだあれ。  遺体があった場所の近くの床に“細長い三角の血痕”がある。 「あの血痕は何ですか?」 「諒太くん、とっても目が良いのですね~」   僕の視力は左右それぞれ2.0ある。スポーツをやってる知り合いに言わせれば動体視力もヤバいらしい。視力はともかく、動体視力は日常生活で役に立ったことはほとんど無い。せいぜい蚊と戦うときくらいしか有用性を感じない。  偲愛さんが説明する。 「私たちは凶器を落とした時のものと考えています~。でも凶器は発見できませんでした~」  へー。 「じゃあ、あの足跡(あしあと)のようなものは何ですか?」  埃っぽい床に何ヵ所かある“曖昧な足跡のようなもの”の1つを指差す。テープで囲まれている。 「あれは、おそらく成人男性の足跡です~。でも形や模様がはっきりしませんし、中川さんと第一発見者さんのものもあってややこしいです~」  2日前は強風の日だったから、風で砂埃(すなぼこり)が乱されたりしたのかも。この廃工場、スカスカで風通しが良さそうだし。 「足跡は3人分だけですか?」 「まだ断言はできないようですが、鑑識さんはその可能性が高いと言ってます~」 「なるほど……」  うん。僕に解決は無理だね。推理はよく分からない。ミステリーは、小説どころか映画もドラマも全く観ない僕にできるわけがない。でも──。 「もう一度、桧山陽平に電話だ!」  理愛には何かが見えているみたいだ。 「? いいですけれど~」  偲愛さんがスマホを操作し、耳に当てるが……。 「繋がらないです~」 「ちっ」と理愛が舌打ち1つ。 「諒太! お姉ちゃん! 桧山陽平のマンションに行くぞ!」  手を引かれる。理愛の手は小さい。 「理愛ちゃん、説明してほしいです~」  偲愛さんには心底同意する。 「一体、どうしたのさ?」  「私の推理通りならマズイんだよ」  んー?    丸っこい警光灯(けいこうとう)が赤い光を撒き散らす。理愛が「理由は車で話すから今は急げ」と主張した結果だ。    偲愛さんが運転する覆面パトカーで移動中、理愛は推理を語り出した。 「結論から言おう。第三の事件は中川未来による『他殺を偽装した自殺』だ」  なんでさ? 「順番に説明する。前提として今回の一連の事件は、やはり中川未来と桧山陽平の共犯による交換殺人であったと思う。つまり、第一の事件の実行犯は中川未来で、第二の事件の実行犯は桧山陽平だ」  まぁ、2人の繋がりとアリバイを考えるとそうだけどさ。 「悲鳴が無かったのはどうしてなの?」  夜に警戒もせずに接近を許し、悲鳴も無く殺されているのは少し違和感がある。だって被害者とそれぞれの実行犯に面識があったって話は聞いてないし。 「……断定はできないが、第一の事件については中川未来が小柄な若い美女であり、被害者の桧山司が高身長のモデル系美女だったことが原因だろう。それで、桧山司は警戒心をそこまで持たなかった」 「あー、それはあるかもね」  ガッチリした男性が近づいた場合に比べれば、警戒レベルは低いよね。まして自分よりかなり小さい女性なら尚更だ。  ……ん?  「陽平さんが警戒されなかった理由は何ですか~?」  僕の疑問は偲愛さんが訊いてくれた。    第二の事件被害者の侑里さんと陽平さんは、実は顔見知りだったのかな? 「……それに関してはほとんど分からん。強いて言えば、中川未来と桧山陽平がイチャイチャしてるところに遭遇したことでもあったんじゃないか? 仮に父親殺しの共犯関係にある姉妹とするならば、距離感が通常より近くてもおかしくはないだろ」 「まぁねー。妹である中川さんのアパートでたまたま鉢合わせして、それで顔を知っていたパターンも無くはないかもね」 「うむ。積極的な肯定はできなくとも、矛盾の無い解釈の余地は十分にある」  ここまでは分かった。でも第三の事件はどういうことだろ。 「中川さんの自殺っていうのは?」 「そうだな、先ずは動機の面から説明するか」 「うん」 「中川未来は桧山陽平を本当に愛していた……のだと思う。共犯という特別な関係は、言ってしまえば不倫の上位互換のようなスリルと特別感を与えてくれたはずだ。それが愛を深めた、あるいは錯覚させた。ありそうな話だろう?」 「まぁそうかもね。えーと、つまり中川さんは陽平さんのために他殺を偽装したってこと?」  雨が降ってきた。偲愛さんがワイパーを掛ける。 「そうだ。桧山陽平には絶対に無理なタイミングに、第一、第二の事件の殺害方法に類似した手段で自殺することで、一連の事件の容疑者リストから桧山陽平を確実に外すことが狙いだ」  なるほど。背景にある感情と目的は理解した。 「でも、それだけじゃあ、過程部分の推理が抜けてるよ」 「分かっている。ちゃんと説明する」  理愛がリュックからペットボトルのアップルティを出し、口を潤す。後部座席からははっきりとは見えないけど、多分、いつもみたいにイヤらしく唇を舐めたと思う。 「現場と死体の状態も今言ったことに相反しないんだ。まず1つ、床にあった“細長い三角の血痕”。これはお姉ちゃんが言ってた通り、凶器を落とした、もしくは置いた(・・・)跡のはずだ。2つ目は現場に残された、中川未来と第一発見者以外の足跡(あしあと)。これは桧山陽平が後から(・・・)凶器を回収した時のものだろう。3つ目は傷。傷が第一、第二の事件に比べて少ないのは、必要性と負担の面から説明できる。特に第一、第二の事件では心臓と子宮以外──脇腹も刺されていたのに、第三の事件だけはそれが無かった。第一、第二の事件では、確実に当てるために、あるいは被害者が動いて狙いが逸れたせいで脇腹に刺した、あるいは刺さってしまったと考えられる。一方、第三の事件にそれが無かったのは、自殺であるため、その必要もそうなる可能性も無いからだ。最低限、連続猟奇殺人を演出するのに必要な子宮滅多刺しと心臓への刺し傷さえあれば良かったんだ。ただし、それも負担が大きすぎて全く同じにはなっていない。ついでに4つ目。これは根拠としてはちょっと弱いが、腐敗しても分かるほどしっかりメイクが()されていたことだ。おそらく、桧山陽平に見られる最期の顔を少しでも良くしたいと思ったからだろう。正直、偶然の可能性は否定できないがな」  またアップルティを飲み、すぐに続ける。 「手順はこうだ。まず自殺実行前に中川未来が、26日ごろを配達日に指定した配達時間指定郵便で凶器の回収を頼む趣旨の手紙を桧山陽平に出す。偽名を使うか、差出人不明にするかのどちらかでな。そして23日ごろに自殺。社員旅行から帰った桧山陽平が手紙を読み、26日に凶器を回収。足跡の乱れを見るに、強風であった26日のうちに足跡が付けられたと考えるべきだろう。こんな感じで自殺と凶器の回収を分担し、他殺を偽装した。これが私の推理だ」  理愛が「ふぅー」と疲労を吐き出す。  おつかれー。でもごめん、新しい疑問があるんだ。 「どうして手紙を出したと考えたの? この偽装自殺が、共犯の2人により(あらかじ)め計画されたものである可能性も無くはないんじゃない?」  計画したものじゃなくて中川さんの独断なら不自然ではないけど、そう考えるだけの要素ってあるかな。 「全く。馬鹿か、諒太は」 「ごめんね。理愛と居るとドキドキして頭が回らないんだ」 「あらまぁ~」    ボン。    偲愛さんの声と理愛がペットボトルを落とした音が重なる。(ふた)は閉まってたはずだからセーフだね。 「……そ、そうか。それなら仕方ないな。うん。私は美人だからな。ムラムラしても仕方ない。うんうん」 「ドキドキね」 「手紙を出したのは、中川未来が桧山陽平に無断で偽装自殺を計画、実行したからだ」  いや、ホント変な時だけスルースキル高いよね。 「根拠は、桧山陽平が有給休暇を使っていることと連絡が取れないこと。仮に2人で計画したものだとしたら、桧山陽平が普段と違う行動を取ったり、警察からの電話に出ないのはおかしい。疑いを晴らすには、何食わぬ顔で普段通りの行動を取り、堂々と警察の対応をするべきだ。これくらいは誰でも思いつくのに、そうしていない。ここまで言えば分かるだろ?」 「え、分かんないけど」 「なぜだ。本当に私を愛しているのか?」 「え、それはもっと意味が分かんないんだけど」 「え」 「「……」」  僕らの間に沈黙が生まれ。 「ふふふ」  偲愛さんが意味深に笑う。  ごほん、とわざとらしい咳払いをした理愛が、何も無かったかのように続ける。 「えー、桧山陽平が非合理的な行動を取ったのは、中川未来を失ったからだ。要するに、意に反して愛する人を死なせてしまい、結果、合理的な行動を取れる精神状態でなくなった。つまり『非合理的な行動』=『桧山陽平の知らない偽装自殺だった』ということだ」  言われてみれば、そんな気がする。でもそれって……。 「最悪(・・)も想定しとかなきゃいけないってことだよね?」 「そうだ。だから急いで桧山陽平のマンションに向かってるんだ」   これに偲愛さんが相槌(あいづち)を打つ。 「そうだったのですね~。エッチな理由かと思ってました~」 「本当ですねー」  全く同じこと考えてたよ。 「貴様らなぁ……」  いや、その反応はおかしい。普段の言動を振り返ってほしいものだ。  陽平さんのマンションのドアベルを鳴らす。待っても人が出てくる気配はない。 「マンションに居ないかもしれないね」 「……だが居るかもしれない」 「そりゃあ、可能性はあるけどさ」  理愛がリュックから細いドライバーのような物(?)を取り出す。そして、それを鍵穴へ入れる……て、ピッキングじゃん。どうしてできるのさ。  一切の迷いを感じない。手慣れてる感が凄いや。 ──ガチャリ。 「ウッソ。はやぁ」 「あらあら~」  ほんの数十秒ほどで鍵が開いてしまった。しかし。 「チェーンロックだね。これって開けれないんじゃ……」 「ばかぁ! それは単なる思い込みだ! こんなのはな──」  今度はリュックから小さい粘着テープと輪ゴムを取り出した。  そのリュック、何でも入ってるね。アダルトグッズが詰まってるのかと思ってたよ。  理愛が玄関扉を可能な限り開け、隙間から手を入れる。輪ゴムとテープで何やら細工をしているみたいだ。無駄に洗練された動きである。もしかして泥棒を兼業してるのだろうか? 多分、下着泥棒だよね。ヤバいなぁ。  細工を終えた理愛が玄関扉を一旦閉め、そしてもう一度開ける。するとどうしたものか、チェーンロックが外れているではありませんか。 「すごー。理愛って大分ヤバい奴だね」  偲愛さんが、うんうん、と頷く。 「そうですよ~。付き合うなら苦労しますよ~」 「予想はできます」  トータル2分掛からずに鍵を無力化する系彼女。凄い。凄くヤバい。  ガバッと玄関扉を開け放つ。 「? なんか変な匂いが……」 「そうですか~? 私は特に感じません~」  じゃあ僕の気のせい? でも嗅覚、というか五感の鋭さには自信があるんだけどなぁ。 「……行くぞ」  理愛が靴を脱ぐ。僕と偲愛さんも続く。そして──。  床に赤い液体。倒れる男。投げ出されたナイフ。 「まぁ! 大変です~」  偲愛さんが倒れる男──桧山陽平さんを確認する。胸部を中心に赤い染みが広がっている。  すぐに偲愛さんが眉尻を下げる。 「駄目です~。もうどうすることもできません~」    理愛は突っ立ったままだ。 「多分、自殺だよね」  数拍(すうはく)あって、理愛からため息が聞こえた。 「……だな。私の推理が当たってしまったんだろう」  (なん)とはなしに部屋の中に視線をさ迷わすと、テーブルに封筒があることに気づく。  あれって……。 「理愛。あれって遺書とかじゃない?」  触っていいか分からないから指差すだけに留める。 「む? 確認してみよう」  しかし理愛には僕の気遣いが分からなかったようだ。ふつーに手に取って、ビリっと開けやがった。  これっていいのかな? 一応、事件か事故の現場なんだからって思うけど、理愛ってそういうのにあんまり囚われないよね。  まぁ、そうは言っても僕も気になるから見るんだけどさ。  理愛の後ろから、封筒に入っていた手紙らしきものを読む。気がつけば偲愛さんも横に居る。    手紙には……。 ──私たちが起こした事件の真相を記しておく。私が……。  事件の真相、要するに自白だね。  それによると、未来さんの動機を除き、理愛の推理通りだったようだ。未来さんの動機は「子どものころ、父親と姉の侑里さんに過剰な暴力を受けていた怨み」と書かれている。真実はともかく、少なくとも陽平さんはそう認識していたってことだね。  そして最後に。 ──未来に逢いに行きます。さようなら。  と記されていた。なんだかなぁ。 「「「……」」」  3人分の沈黙。壁に掛けられたアナログ時計の音が耳に付く。やがて。 「はぁー」  理愛が無力感を(にじ)ます。 「あーあ、逮捕できなかったな」 「でも仕方ないよ。自殺されたら手の打ちようがない」 「それはそうだが……、今回は私の負けだよ」  理愛が「はい」と手紙を偲愛さんに渡す。声にいつもの元気がない。  血の匂いが鼻につく。この惨状(さんじょう)は確かに負けかもね。ちょっと悔しい。  でも終わりは終わりだ。現実は受け入れるさ。  
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