糞にまつわる話

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糞にまつわる話

 ある日の朝、白髪頭の初老の男が玄関先で怒っているのが見えた。彼の足元を見ると長さが五センチ、太さ二センチ大の(ふん)が二つ転がっている。どうするのかと見ていたら、この男は足でその糞を道路に向かって蹴り出した。  一つ、二つ。軽いために遠くへは飛ばない。両方とも歩道を越えた車線にやっと届いたというところに落ちた。と思った瞬間、その上を車が通り過ぎた。  後に、固めの目玉焼きがつぶれたような糞が残った。  儂は知っている。この日の六時過ぎ、夜が明けて周りが薄っすらと形を表したとき、中年の男が白い犬をつれて歩道を北の方から歩いてきた。  犬は二十メートルほどの間隔で立っている電柱の前に来るたびに、鼻を近づけ臭いをかいでいる。電柱の周りを二度、三度半回転すると、片足を上げ電柱に小便をかけている。男は急ぐ風もなく、犬の様子をじっと見ている。  初老の男の家の前に来たとき、犬は電柱と同じように門柱の臭いを嗅いでいたが、今度はその横の草むらに入り込みクルクルっと2回転したかと思うと尻を下げた。数十秒して尻を上げたとき、あの二切れの糞が草の上に転がっていた。   飼い主の男はその間、キョロキョロと玄関付近を窺がっていたが、犬が用を済ましたのを見届けるとリードを思いっきり引っぱつた。一瞬、犬は首輪による首つり状態になったが、慌てて男の足元に走り寄った。すると、男は足早に南の方に去っていった。  これは儂、個カラスの意見だが、糞をして放っておいて何が悪い。いずれ自然にかえる。最近は道が舗装されていて少し時間はかかるが、いつかは消えてなくなる。しかも肝心なのは、犬は自分で糞を持ち帰ることはできない。  その点、猫は賢い。必ず自分で穴を掘って、その中に糞をし、さらに上から土をかけとる。  始末が悪いのは人間の方だ。  この初老の男の家の前の歩道には、毎日のようにタバコの吸い殻が捨ててある。時には、近くのコンビニの袋やパンの包装パックもある。ビニール袋は簡単には自然にかえらない。(たち)の悪い奴は、わざわざ初老の男の庭に投げ込んでいきよる。ブロック塀の上にジュース空き缶やペットボトルを並べる奴もいる。初老の男がこれらのごみを拾っているのを何度も見てきた。  上から見ているとよく分かる。ごみを捨てていく連中は子供、若者、年寄りもいる。しかも、たいてい同じ顔ぶれだ。  昔の人はこう言った。「天知る。地知る。我知る。カラス知る」いつかバチが当たる。  犬はかわいそうだ。糞が黒っぽいからすぐわかる。しかも臭い。  その点、儂らカラスはうまくすればバレない。なぜなら飛びながらするし糞(人間社会では尿酸とかいうらしい)は白い。  ところが最近、公園や駅前でハトの奴が白い糞を見せびらかしたものだから、人間は鳥の糞は白いことを知ってしまった。白い糞など想像もしていなかったはずなのに、 「ハトの馬鹿野郎、なんてことしてくれたのだ」 70633c76-2b18-4b47-8420-b9844b691916
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