第19話 <砂漠の井戸>

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第19話 <砂漠の井戸>

エッサウィラからマラケシュのバスターミナルに戻る頃には、 日はとっぷりと暮れていた。
 最後のモロッコの夜ということもあって、 宿までのんびり歩いて帰ることにした。
 何だか不思議な安心感があったのは、 隣に優がいるからっていうのもあるけど、 
もっとこう「どうあれ自分は大丈夫」という根拠のない安心感。
 モロッコの旅でいろいろあったけど、その都度なんとかやってこれた。
 正解のない旅の中、誰かに言われるままでなく、 自分の頭で考えて選択する。
 そんな力がほんの少しだけどついた気がする。
 どんな結果になっても自分で受け止める覚悟があれば、 何を選んでも大丈夫。 多少の失敗は挽回できる。
 自分で選んでいると思えば視点も外向きに変わる。 
誰にどう思われようが、自分の「こうしたい」が強くなれば、 
自分で自分の道を切り開く事ができる。
 こういうのを自分の足で立つっていうのかな?
 自分の足で立つのは怖いと思っていたけど、 それはむしろ自由で軽やかだ。
 でもこう思えるようになったのは、自分一人の力ではない。 
モロッコという地で、 この人との出会いで気づけた事はたくさんあった。
 ゆっくりと歩調を合わせて歩き、 クトゥビアの塔の前にさしかかった頃、優が言った。
 「ねぇ、礼拝の呼びかけのアザーンってあるじゃん? 
モロッコ人が日本の焼き芋屋の声を聞くと アザーンを思い出すんだってよ」
 「ぶっ! 確かに似てる!
 ってことは私たちも焼き芋屋の声を聞いたら アザーンを思い出すのかな?」
 「ははは」と二人で笑った。
 ふと、「また、会えるかな?」と聞こうと思ったけど、 何だか野暮な気がしてやめた。
 私が日本で焼き芋屋の声を聞く時…… って全然ロマンチックじゃないが、 
ふわふわの茶色の髪と長いまつげ、 モハメッドの大きな笑い声、
モロッコの人々の屈託のなさ、 そんなものを思い出してわくわくしたり、
暖かくなったり、 ちょっと切なくなったり。 
真っ暗な宇宙の中に放り込まれてしまったような時も、 
それらは宇宙にきらめく星みたいに いつでも私を照らし導いてくれる。
 あれ? 砂漠の井戸って、もしかしてこれ? 
この瞬間見つけた、と言うより 「あぁこれだ」とわかったと言った方がしっくりくるか。
 でもそれはこの旅の中の時間、 笑ったり怒ったり悩んだり、心が磨かれたから見えた事。 磨かれた心の中には気づけば「大切」が生まれていた。 ふいに優は立ち止まり、じっと私の顔を見つめた。 「何?」と聞くと、「ううん」と首を横に振った。
 そして、すっと私の頬に手を触れ、
優しい目をして 「奈美、すっぴんもかわいいよ」と言った。
 265d6a8e-bb00-40c3-ab4f-1fb60e3f5edf 「え?」
 次の瞬間優は「パン!」と手を叩いて、
 「はい! ジューススタンドまで競争! 負けた方がおごりね!」 とフナ広場の方に走り出した。
 一瞬何が起こったかわからなかったが、すぐに私は 「ずるい! 待てコラ!」と優を追いかけた。
 観光客や地元の人々で賑わう中、 二人は笑いながらジューススタンドまで広場を駆け抜けた。
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