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君をスカウトだ!
都内のとある大学の門を 江戸 一 は熱心に見つめていた。梅雨の合間の晴れわたる青空が眩しい日の午後である。
大学生たちが楽し気にわいわいと出ていく様子を、分厚いレンズの奥の、二つの切れ長の目が鋭く見張っている。
一は木ではなく森を見ている。それは一人一人の顔ではなく、トータルの印象。言うなれば生命の輝きである。
何十人もの学生をスルーした頃、一は小さく息を吐いた。もう時間がない。こんな短時間で見つけるなんて無謀だったか、しかし街中で探す方がよっぽど難しい。ここならば若者が集まっている、効率がいいはずだが……。一が眉間に皺を寄せた時、その男が人々の合間にひっそりと現れた。
その存在感は薄かった。わらわらと談笑し横に広がる学生たちの隙間を、柳のようにゆらゆらすり抜けていく。白いシャツにグレーのパーカー、大きめのジーンズに足元はブランドスニーカーの類似品の類似品のような代物。ぺしゃんこの黒いショルダーバックを斜め掛けしている。
下がりかけた顔を上げた一の口元には、薄っすらと笑みが浮かんだ。
彼だ。
一の動きは速かった。道路を挟んで門の向かいにいた一は彼を追った。あの空気感は人混みに紛れたら探すのは困難。今、仕留めなければいけない。
一方、自分が追われているなどと露ほども知らぬ男は、静かに歩を進めていく。全く洒落っ気のない服装ながら、スラリと伸びた長い手足の妙で、ダサいようでダサくなく、しかしやはりダサいかもしれないと思わせる男であった。百六十五センチの一よりも目線が一つ二つは高いであろうか。一は自然と駆け足になった。
対象まであと五歩、四歩、三、二、一!
一の手が、無防備な男の背に触れた。振り向いた男を間近に見て一は躊躇なく大きく口を開いた。
「一緒に来てくれ!」
眉間に軽く皺をよせ戸惑いの表情を浮かべた男を無視し、一は男の腕を掴み停めている車へと向かった。
太い腕ではないが、適度に筋肉はついているようだ。マドモアゼルはあまり細すぎる男は好みではない、と一は内心思い出す。
一自身も細身ではあるが、見かけより力があり現役男子学生をグイグイと引っ張っていく。
一瞬、ポカンと引っ張られた男はようやくハッとしたように口を開いた。
「何ですか⁉ あなた⁉」
「声も悪くない! いいぞ!」
一のアルトの数段低い音。
「いいぞじゃなくって! 誰ですか⁉ 学校の人じゃ、ないですよね?」
黒いシンプルなパンツスーツ姿の一は見方によっては就活生と思う者もいるだろうが、実際の学生からすれば流石にそうは思えない小慣れ感があった。
「まさしく初対面の一見だ。アルバイトしないか?」
「アルバイト?」
「君をスカウトだ!」
一は人差し指を、男の曇った大きな額縁メガネに向けた。
ぼさぼさで伸ばしているというより伸びてしまった感のある髪は顔の輪郭も大きくぼかしていたが、唯一はっきりと見える口元から整った白い歯が見える。
「えっ、スカウトなんですか⁉ アルバイトなんですか⁉」
「両方だ。こんなところで騒いでいると目立つぞ! さあ、乗った!」
一が黒のワンボックスカーに男を押しやると、男はアタフタと後部座席に転がりあっという間にドアを閉められた。一は素早く運転席に滑り込むと、踵の低いパンプスでアクセルを踏み込んだ。
後に残されたのは車の白い排気ガスのみ。
白昼堂々一人の男子学生が誘拐まがいに連れ去られた痕跡も目撃者もなかった。
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