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13.耳かきをしながら
「わかってくれたのなら、それでいいよ」
お兄さんは優しいなと、狐乃音は思った。
未払いをしていた人に、お兄さんはメールの返信を出した。その内容は、穏やかなものだった。
「お支払いいただき、嬉しく思いますって。そんな感じに始めてさ」
「はい」
さらさらという、雨音が静かに響いている。けれど、寒くはなかった。
広い和室に二人だけ。誰にも邪魔されずに、ゆったりとお話を続けられる。
「このご時世、劇団の運営がとてつもなく大変なのは、理解しておりますって。……でも、こういうことはもう、しないでくださいねって。言うべきことは言っておいたよ。なるべく、優しくね」
「そうですか」
「こういうこと。人が聞いたら、甘いって、言われるかもしれないけどさ……」
「そんなことは、ありませんよ」
狐乃音はふと、思った。
「お兄さん。よかったら、耳かきをしませんか?」
ああ、いいなとお兄さんは思った。狐乃音の厚意に、甘えることにした。
「お願いしても、いいかな?」
勿論ですと、狐乃音は頷いた。
そして、狐乃音は自分の膝を枕代わりにして、お兄さんに耳かきをしてあげた。
「脚本が欲しいのなら、なるべく安く引き受けるよって。そう返したよ」
「はい」
大人の狐乃音はゆっくりと丁寧に、耳かきをしてくれる。
「怒ってね。ふざけるな、もう二度と依頼なんか受けないぞって言っちゃうのも、それはそれで勿論、正解なんだろうけどさ」
狐乃音の、細くて白い指がゆっくりと動いている。
「仕事で、人を怒るのって。ものすごく難しいことでね。……ああ。というか、ごめんね。さっきからしょうもない、仕事の愚痴を聞かせちゃって」
それは違う。狐乃音は、気にせず続けて欲しいと望んだ。
「いいえ。もっと、聞かせてください。お兄さんの考えている事を、もっと知りたいです。教えてください」
「ありがとう。聞いてくれて」
狐乃音は、今は大人の姿に変身しているけれど。本来は、小さな子供の姿とまるで同じ。好奇心はとっても旺盛。
「いろんな考えがあるのは確かだけど。僕は……。商売柄、極力敵を作らないようにしているよ」
「敵、ですか」
「そ。……昔。僕が会社勤めしていた頃にね。メールでも電話でも、頭ごなしに怒ったりするような人がいてさ。例えどんなに正論であったとしても、強く言われたら、恨みに思われるものだよ。人はそういうもの」
「そうですね」
「フリーランスのような弱い立場だと、尚更だよ。いつ誰が助けてくれるか、わからないから」
組織という、後ろ盾のない立場。味方は一人でも多い方がいい。
「そういう攻撃的な人って。よくできるなあって思うよ。……クレームを入れる側になったとしても、ものすごく気を使うものだから」
「大変なお仕事、ですよね」
右耳の次は左耳。頭の向きを変えつつ、狐乃音はお兄さんに笑いかけた。
「お兄さん。耳かきが終わったら、このまま一緒にお昼寝しませんか? きっと、気持ちいいですよ?」
「そうだね。そうしようかな」
もちろん、もふもふホールドはそのまま。毛布なんていらない。
完全に心を許しあえる二人。
どんなことがあろうと、私はお兄さんの味方です。
狐乃音はそんなことを思いながら、尻尾でお兄さんを包みなおしたのだった。
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