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第三話
三ヶ月後。
菊は、職業案内所の受付を終え、自分の番号が掲示されるであろう電光掲示板を、ベンチに座ってぼんやりと眺めていた。
そんな菊の隣に座った初老の男性が、菊を見るなり、「おっ」と声を上げた。
その声にゆるゆると視線を投げて、菊も「あっ」と声をあげた。
「あんた、『ころりん』の店員さんだろ?俺のこと、覚えてねぇかい?」
「ええ、ええ、覚えてます!その節はどうも!」
「ころりん」の名を聞いたのは実に三ヶ月ぶり。
それでもひどく懐かしく、菊の胸はじんわりと暖かくなった。
「『ころりん』が失くなったらさ、俺たちみたいな独り身には堪えるよ。ずっとコンビニ弁当ってなると飽きちまうしさぁ。」
「……、そうですね。」
「その点、『ころりん』の弁当は毎日食っても飽きなかったなぁ。」
「………。そうですね。」
この瞬間、菊の脳裏を掠めたのは、「ころりん」閉店後に、落ち込む菊へ投げられた父親の何気ない言葉だった。
『お前が好きだったのは、』
(そうよ!)
菊は勢いよく立ち上がり、初老の男性が驚き目を丸くしたのも視野に入れずに受付へと駆け出した。駆け出し、勢い余って受付の台へ軽くぶつかった。
衝撃に驚いた受付の中年女性は顔をあげるなり口を半開きにして、面食らった眼差しのまま菊を見遣った。
「な、なんですか、あなた、」
「あの!」
受付の女性の困惑を無視して菊は、頬を紅潮させ、目を輝かせながら大きな声で言った。
「あのすみません!受付キャンセルでお願いします!」
「は?はい?」
初老の男性はそんな菊を追いかけ、少々狼狽した様子で菊の肩を叩いた。
「お、おい、どうしたんだい。俺、なんか変なこと言ったか?」
「いいえ!」
はっきり言い切った菊は、満面の笑みで振り返り、初老の男性に向け深く頭を下げた。
「ありがとうございました!お陰さまで私、やらなくちゃいけないこと、思い出しました!」
初老の男性の横をすり抜け、菊はベンチに置いたままにしていた鞄をむんずと掴むと、気持ちの焦りを抑えきれずに駆け足で家路へと向かった。
※ ※ ※
家に帰って早速ネットを駆使して調べても、要領を得ない。ましてスマホの割れた画面では読みづらく、らちが明かない。
菊は慌てて再び家を出た。
車で五分ほどのネットカフェへ立ち寄る頃には、すっかり西の空が茜色に染まっている。
「あ、しまった!」
今日の夕飯の当番は菊であったことを思い出したが、作る余裕は今の菊にはどこにもない。
急いで父親にLINEする。
《今日の夕飯はありません。》
数分後に落胆を知らせる返信と共に、魂が抜けるウサギのスタンプが送られてきたが、相手にする気にもなれず、既読スルーにしたまま、ひたすらネットカフェで【キッチンカーによる移動販売】について調べ続けた。
午後8時。
ようやく帰宅の途につくと、小さなアパートの4畳半ほどの居間の真ん中、小さなちゃぶ台の上にコンビニ弁当が2つ、置いてあった。
「おうおう、無職の娘さんよ。当番も守らずLINEも無視して、今まで一体何してたんだ?」
風呂から上がった父親が、頭をガシガシとタオルで乾かしながら、嫌味ったらしくニヤリと笑った。
菊はあからさまにムッとしながらも、背に腹は代えられないと、その場に勢いよく土下座した。
「お父さん!お願い!お金貸して!」
父親は無精髭だらけの顎を擦りながらちゃぶ台傍に腰を下ろすと、頬杖をついて、「なんで?」とニヤついたまま聞いた。
「なんでって、」
「何するつもりなんだ?」
父親は、娘の必死さが面白いらしく、白い歯をちらつかせて、
「金がいるならきちんとプレゼンしてみせろよ。」
と煽る。
「私、キッチンカーをやりたいの!『ころりん』のおむすびを、復活させたいのよ!」
「へぇ、…なんで?」
「好きだからよ!意欲があれば、どんな仕事だって頑張れるから!」
父親はハハハと豪快に笑い飛ばし、
「そんなリスキーなことに金は貸せねぇなぁ。やるなら一からやってみなよ。」
そうはっきりと言い切った父親の目は、仕事の同僚に向けるのと同じ眼差しだった。
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