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第八話
あの日からの4連勤、菊の仕事っぷりは、残念ながら菊の記憶に留めておけなかった。
日々ただ我武者羅に、黙々と、目の前の仕事にのみ集中しただけの毎日だった。
たとえ、出勤して作業場に入る際に挨拶しても無視されたり、誰にも目を合わしてもらえなかったり、クリーニングから返ってきた自分のエプロンだけ片付けてもらえず、事務所の片隅の、忘れ物入れに入れられたりしていても、菊はもう泣かなかった。
頭の中で無理矢理明るめの音楽をエンドレスで流し、マスクの中で小さく口ずさみ、時に唇を噛み締めることで、菊は今日まで何とかやり過ごすことができた。
そしてようやく待ちに待った休みの水曜日。
菊は早朝のコンビニバイトに向かうべく、いつもよりはほんの少し軽い足取りで家を出た。
※ ※ ※
早朝5時。
近所のコンビニで商品の品出しに勤しむ菊の背後に、何者かが立っている気配を感じて菊は振り返った。
そして小さく息を飲む。
「なんでここにいるんですか。」
菊の声はあからさまに強ばり、目は三角に尖っていた。
そんな菊の態度に、
「今から出勤なので。」
男はいつもの低い声で微笑んだ。
上等なスーツに涼しげな目元。
島津だった。
「ああそうですか。お仕事頑張ってくださいね。」
自身も仕事中であることを思い出した菊は、島津に仕事用の声音で労いの言葉を投げると、早々に背を向け、商品の品出しを再開した。
「………」
しかし故意に黙殺している背後の男は、一向に菊の後ろから退こうとしない。
その気配にイライラしながら振り返ると、島津はなぜかいつもとは違い、顔から微笑みの一切を消し去っていた。
「な、何なんですか?なんか用ですか?」
雰囲気も若干硬質な感じを受ける。
菊は恐る恐る島津に問うと、いつもより僅かばかり小さめの声で、島津は呟くように言った。
「あなたは、きっと『ころりん』の復活のために奔走するのだと思っていました。」
「はい?」
「働くことは生きること、ということの本当の意味を、僕はあなたに強く感じていましたが、…勝手に思い込んでいたみたいですね。」
「はあ?」
一瞬、菊は男の真意を聞き返そうと試みた。
しかし同時に腹の底から込み上げた怒りに近い感情に、菊の正常な思考は一気に吹き飛んだ。
「あなたねぇ!前々から思っていたけど、物言いに含みを持たせすぎですよ!言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃないですか!」
早朝のコンビニの、閑散とした店内であることをいいことに、菊は苛立ちをそのまま言葉にのせて島津に不躾にぶつけた。若干スーパー中松での鬱憤も込められていたが、それは致し方がない。
しかしそんな菊の威勢に、島津はなぜかふふっと笑った。
「それは失礼しました。では少しはっきりと言わせていただきますね。あなたの今のやり方では、『ころりん』復活など夢のまた夢ではないですか?事業を立ち上げる気がおありなら、アプローチの方法を変えた方が効率がよいと思われますよ。」
そして島津はにっこり微笑み、踵を返すと、何も買わずに早朝のコンビニを後にした。
(はっきり言うと言っておきながら、全然要領を得なかった…)
それでも確かに何かが菊の胸に去来した。
辛うじてわかったのは、今のままでは『ころりん』復活は叶わないかもしれないという事実。
「だったらどうすればいいのか、具体的に教えてくれたらいいじゃないの!」
とはいえ結局、島津への不信感は、菊の中でますますもって大きく膨らんでいった。
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