オンライントリップ・イリュージョン

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「またか。今月何度目だ」  第一印象は『空き巣に入られたよう』だった。  床には大量の紙屑やら本やらが散乱し、棚は倒れ、戸という戸が開きっぱなしになっている。  足の踏み場もない。なんてぼやきながら、土足で部屋に踏み込む。中は身内──刑事やら鑑識やらで、すっかりごった返していた。 「三度目です」 「今回も特徴は一致しているのか」 「ええ。今のところ」  被害者は、部屋の真ん中に倒れていた。この家の主らしい。うつ伏せで、完全に白目を剥き、手足をだらりとてんでバラバラの方向に投げ出している。 「見てください。興奮で神経が焼き切れたって顔をしてやがる。詳しい死因は検死を待ってからですが、まあ十中八九、こいつも前三件と同じでしょうよ」 「班長」  部下のひとりがこちらに手招いて、机の上を指さした。 「ありました」  それは小さなノートパソコンだった。画面には、ぐにゃぐにゃと不規則にのたうつ原色の波のようなものが映し出されている。本能的な嫌悪感を覚えて、俺はすぐ映像から目をそらした。 「確定だな」 「ええ。オンライン麻薬」  数ヶ月ほど前から変死体の側で見つかるようになった、正体不明の不気味な映像。  見ると反射的に吐き気を催す不快な代物だが、どうやら一部の人間はこれを目にすると多幸感を覚え、ひどく興奮するらしい。それを裏づける痕跡が、被害者達の身体や生活空間に遺されていた。 「そして、徐々にこの映像なしではいられなくなる。依存し多用するうち、脳が興奮に耐えきれず崩壊して死に至る、か」  捜査本部ではこの映像を『オンライン麻薬』と名づけ、出所を探っていた。 「自分には、こんなものに熱中する気なんて到底知れないですがね。気色の悪い……映像の出元、まだ判らないんですか」 「どうだろうな。サイバー犯罪課が血眼になっているって話だが」  エンターキーに触れる。すると画面が切り替わり、シンプルな白い画面が現れた。 「これも同じ、だな」  映像を解析しようとなんらかの操作を加えると、決まってこの画面、コーヒー専門店のホームページが現れる。  この専門店は実在する個人経営店で、全国に珍しい品種のコーヒー豆を通信販売していると裏がとれた。販売実績は十分。固定客も少なからずいるようだ。 「単純に考えれば、怪しいのはこのホームページですがね」 「だが再現性が取れていない。捜査班が思いつく限りの操作を試したが、このホームページから例の映像を表示させることはできなかった」 「実際、このホームページから何人もの人が通販を利用しているわけですしね。そして誰も、妙な映像にたどり着いてはいない」 「この店はスケープゴートに利用されただけかもしれない。可能性は十分にある」  ホームページの中央には検索ボックスが設置されている。ここに好みの味や豆の名前を入力すると、適合する商品が表示される仕組みだ。 「ここまでやって何も見つかっていないんですもんね。どこをクリックしても、ページを開いてみても」  適当に画像や文字、逆に何も表示されていない空白などをクリックしてみる。しかし何も変化はない。イメージキャラクターらしい、ぎょろ目のウェイターがにこにこ笑いながら首を振るだけだ。 「地道に探っていくしかない。とりあえずガイシャの身元を洗って──ん?」  不意に内ポケットが震えた。スマホの振動だ。 (着信? 誰だ)  画面を確認する。反射的に顔が歪んだ。なんで、今。 「すまん。ちょっと」  部下が怪訝そうな顔をしたが、構わず通話ボタンを押した。かろうじて生きている右耳に押し当てる。驚いたように息を呑む気配がした。 『あっ……』 「どうした」 『ごめんなさい、その、間違って押しちゃったみたい』  電話の向こうで相手は明らかに動揺していた。 『ごめんなさい、出ると思わなくて。いま仕事中でしょう。また後でかけ直すから、ごめん』 「いい。なんだ」 『ううん。本当、間違いだから。気にしないで』 「言いたいことがあるんじゃないのか」 『ごめんなさい。大丈夫』 「謝らなくていい。ただ用件を」 『捜査、頑張って』 「おい」  一方的に電話は切れた。舌打ちしてスマホをポケットに戻す。 「誰です?」  好奇心に満ちた目で部下達が見ていた。 「恋人とか」 「違う」  正確な単語を口にしようとしたところで、アレを言い表す適当な言葉を持たないことに気がついた。 「雪渡(ゆわたり)だ」  仕方なく名前を告げる。 「ユワタリ?」 「え、もしかして元刑事の雪渡明日花(ゆわたりあすか)ですか。班長、まだ彼女と親交があったんですか」 「親交って言うほどじゃねえ」 「けど現に電話が」 「今日初めてかかってきたんだよ」  驚いたのは俺の方だ。口の中でぼやく。  いつ、何の用でかけてきてもいい。番号を渡した時、確かにそう言った。それでも決して今まで、彼女がかけてくることはなかったのだ。 (あいつ、あの短時間で何回謝りやがった)  胸の内で指を折る。あいつはいつもそうだ。あの事件から、ずっと。 「とりあえずパソコンは押収だな」 「はあ、でも」  複雑な表情で部下が口をつぐむ。手元のパソコンは相変わらず、何の変哲もないコーヒー豆の写真を表示し続けている。 「でもじゃない。とにかくだ、捜査して……いやもうやっているが」  自分で言いながら気が滅入ってくる。 「もっと別方向からもだ……何か見つけなくちゃならん。見つかるはずだ。どこかに、必ず」  結局その後、雪渡が電話をかけてくることはなかった。  その夜。口実代わりにコンビニでシュークリームと栄養ドリンクを買い、俺は久方ぶりに雪渡のマンションを訪ねた。  互いに現役だった頃、よくこれで身体に喝を入れて無茶をやった。そんな思い出話に花を咲かせて茶を濁すつもりだった。  そうすれば、この説明のつかない嫌な胸騒ぎもきっと落ち着く。ついでに電話の用件を聞き出してやれば、電話を待つ手間も省けるだろうという魂胆だった。 「雪渡」  だが、いくら呼び鈴を鳴らしても応答はなかった。 「おい雪渡。俺だ」  留守なのか。しかし、部屋に明かりは灯っている。  胸騒ぎが膨れていく。 「入るぞ」  ドアノブに手をかけると、玄関の戸は呆気なく開いた。  不用心だ。らしくない。ぼやきながら中に入る。廊下に上がる頃には小走りになっていた。 「雪渡。いるなら返事をしろ!」  リビングに入る。机にだらりと倒れ込むゴム人形のようなモノが目に飛び込んできた。  思い出したくもない記憶が脳裏をよぎる。  ひゅぅ、と喉の奥が鳴った。 「ゆわたり」  駆け寄る。抱え起こす。脈も呼吸も触れてこない。重みはあるのに緊張のない、ぐにゃりとした感触。  抱き上げた反動で頭が横に傾き、見慣れた鳶色の瞳がこちらを向いたが、その視線が俺を捉えることはなかった。 「何故だ」  外傷は見当たらない。表情は緊張してはいるが苦悶の色は薄く、むしろどこか恍惚としてさえ見えた。  周囲を見回す。右手があったすぐ横に、スマホが伏せられているのが目に入った。直前まで操作していたのに違いない。反射的に手に取って、俺はもう少しで悲鳴をあげそうになった。  例の不規則に踊る原色の波が、俺をあざ笑うようにうごめいていた。
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