オンライントリップ・イリュージョン

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 事件とは無関係かもしれないが、と前置きして、現場を改めた鑑識のひとりが耳打ちしてくれた。  雪渡のスマホには、俺宛てのメールが大量に保存されていた、と。 「雪渡明日花は、班長の婚約者とバディを組んでいたんだ」 「班長含めた三人とも同期で、かなり仲がよかったらしい」  部下達が大声で内緒話をしている横で、俺は先刻の会話を反芻していた。  残っていたメールはどれも未完成だった。本文が二、三言でも書かれていればまだいい方で、題名すら途中のものや、宛先だけ選択して力尽きたものも多かった。 「ある事件でも、ふたりは一緒に捜査にあたっていた。で、犯人をあと一歩のところまで追いつめたらしいんだが、それに逆上した犯人が逃げ込んだ倉庫に火をつけた」  言いたいことがあるなら遠慮するなと伝えてはあった。事件の後も何度か会ったし、その時の彼女は明るく振る舞って見えていた。  そう弁解すると、老鑑識は目の端にしわを作った。  そうさ。あんたが佳い奴だからこそ、だったんだろうさ。 「見張りについていた雪渡はそれに気づかなかった。そのせいでふたりとも火事に巻き込まれて……助かったのは雪渡だけだったらしい」 「じゃあある意味、雪渡明日花は班長の婚約者の仇……」 「シッ、声が大きい」  うかがうような視線が飛んでくる。が、あえて反応はしなかった。  仇。そう考えたことはなかった。罪は火をつけた犯人にある。捜査員側に非はない。そう思っているし、そう接してきたつもりだ。  だが、雪渡自身はどうだっただろう。 「あ、そうか」  不意に部下のひとりが、合点がいった風に手を打ち鳴らした。 「それってもしかして、班長の耳がおかしくなったのと同じ事件ですか。確か応援に行って、爆風を浴びて」 「ああ。あの事件以来、班長の左耳はほとんど聞こえていない。だから、話しかける時は必ず右側からって言われているだろ。ねえ班長」 「悪いが」  手を挙げる。部下ふたりは水を打ったように静かになった。 「しばらく席を外してくれないか」  事件について考えたいからだと言った。が、それは実のところ体のいい口実だった。本当はもう何も聞きたくなかったし、何も考えたくなかった。 「分かりました」 「すまんな」  神妙な顔つきで部下達が部屋を出ていく。  何もしないつもりだった手は、いつの間にか無意識にスマホを操作し、例のコーヒー専門店のページを開いていた。ギョロ目のウェイターがコーヒービーカー片手に笑っている。 「一体、どうやって」  このホームページは例の映像と関係がある。確信があった。なのに、証明ができない。  でたらめに画面をタップする。何も起きない。いや、ウェイターから吹き出しが出た。『至福の一杯をお探しですか』ノーサンキューだ。  雪渡。お前は一体、何を見た。  彼女のスマホも、直前までこのページを表示していた。他に進んだ形跡はない。最終到達地点はここだったはずだ。 『お探しの品種があるなら、検索にキーワードをご入力ください』 「検索、か」  便利な機能だ。具体的な単語でなくても、優秀な検索エンジンならふんわりした文章からでも関連記事を見つけ出してくる。  このコーヒー店なら、豆の品種名はもちろん、香りや味に関する言葉からも適合する商品を瞬時に示すという風に。 (だがそれでも、探し出せないものはある)  たとえば今まさに探している、オンライン麻薬事件の黒幕。 (そうさ。そうなんだが、)  それでも。検索ボックスを眺めていると考えてしまう。何か反応が返ってくるのではないかと。  キーをタップする。オンライン麻薬。犯人。検索開始。 『お探しの商品は見つかりませんでした。条件を変えてお試しください』 「だろうな」  ため息を吐く。予測のつきすぎた答え。だが、なぜかやめる気にはなれなかった。  興奮。死因。原色。波の映像。検索開始。 『お探しの商品は見つかりませんでした。条件を変えてお試しください』 (そういえば昔、スパイ物の映画にあったな)  どこにでもある普通のバー。主人公がメニューにはない注文をささやくと、店主が味つけを聞いてくる。それが合言葉になっていて、的確に答えてみせた主人公は秘密の部屋に続く隠し通路へと通されるのだ。  なら、この店の合言葉は何だ。 (ないさ。そんなもの……分かっちゃいるんだ)  火事。熱傷。相棒。辞職。  いい加減、疲れ果てていたのだろう。自分が何を入力しているかも意識しないまま、俺は検索ボックスに文字を入れ続けた。半ば呆然と、頭に浮かんだ単語を吟味もせず手当たり次第に投げつけていった。  突然の電話。書きかけのメール。謝罪。  雪渡。お前は一体、何を探していた。 『お探しの商品は見つかりませんでした。条件を変えてお試しください』  そして。唐突に気がついた。 「なんだ……?」  何か聴こえる、と。 「これは、誰かの、声か」  右耳をすませる。  雨の音と、サイレン、風が木を揺らす音、そして誰か、女の──この声色はまるで──。 (この音はスマホから……つまり) 「──そうか」  次の瞬間、俺はスマホを勢いよく床に叩きつけていた。ケースが弾け飛び、液晶画面が砕けて辺りに飛び散る。 「どうしました!」  部下達が血相変えて飛び込んできた。まるで、部屋のすぐ外で様子をうかがってでもいたような素早さだった。 「何も聞こえないな!?」  怒鳴り返すと皆、訳が分からないといった風で目を白黒させた。 「はい、いえ、何も」 「ならいい」  粉々にひび割れたディスプレイが暗転しているのを確認して、ひとまず安堵の息を吐く。 「至急探してくれ」 「誰を」 「店主だ! 例のコーヒー専門店の……やはり、カギはそこにあったんだ」
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