オンライントリップ・イリュージョン

3/4
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
「つまり、スケープゴートはあの気色悪い映像の方だったわけだ」  マンションの一室をにらみながら、俺は電話をかけていた。相手は件の、コーヒー店店主。  奴の居場所はすぐに突き止められた。電話も難なくつながり、本人が通話に出た。  意外だった。捜査が難航していることをいいことに、とっくに雲隠れしているとばかり思っていた。たとえ主犯がいなくとも、奴が仕掛けた罠は作動し続けただろうから。 「いかにも怪しい動画が残されていたことで、我々はあの映像がガイシャの脳をおかしくしたんだと思い込んだ。あれこそがオンライン麻薬の本体だと」 「…………」  電話の向こうで、奴は口を挟むでもなく静かだった。だが吐息は聞こえてくる。こちらの言葉に耳を傾けている証拠だ。  自分に容疑がかけられているというのに、なんて落ち着き払っているのだろう。絶対に捕まらないと、裁かれないと安心しきっているのか。 「だが違った。彼らを虜にしたのは映像じゃない。音だ。彼らが探し求めた、検索していたものを模した音声だった。そうだな」  あのサイトで検索できるのはコーヒー豆だけではなかった。  たとえば雨音や人の会話、動物の鳴き声に機械の動作音。コーヒーにはおよそ無関係な単語にも、あの検索ボックスは反応する。  そして表示されるのは写真でも文章でもない。入力された単語に関連した音声が流れるよう調整されていたのだ。 「興味をそそられない音、求めているものと違う音声なら、人は何の反応も示さない。すぐにページを閉じて、聴くのをやめてしまうだろう」  が、その人間にとって意味のある音なら──意味ある音に、似ている音声だったなら。思わず聞きほれてしまったかもしれない。罠が仕掛けられているとも知らずに。 「あんたが検索ボックスに仕掛けた罠は大きく三つだ。一つ、入力されたキーワードに対応した音声を流すこと。二つ、相手が無反応なら音の種類を変え、逆に手を止めるなど反応が見られた場合は音量を上げて更に注意を促すこと。そして、」  三つ。流す音声に『麻薬』を仕込むこと。 「サイトから採取した音声を解析したところ、脳にエンドルフィンやドーパミンといった快楽物質を分泌させる特殊なパルスの混入が見つかった」  可聴域を超えた波長ゆえに、聴いた当人もきっと気づかなかったことだろう。そして知らぬうち、パルスのもたらす快感なしでは過ごせなくなり……最期には脳の働きに不調をきたし、命を落とすのだ。  そして被害者が力尽き、ホームページを操作しないまま一定の時間が経つと、自動的にページが例のグロテスクな動画へと切り替わって『オンライン麻薬』の現場が完成する。  トリガーは操作することじゃなかった。から、今まで発見されなかったのだ。  片耳の聴力を失っていなかったら、俺自身、はたして無事だったかどうか。 「その気になって調べたらすぐに見つかったよ。あんたのサイトの検索ボックスに秘密のパスワードを入れると『至福のひととき』が味わえるって『都市伝説』がな。恐らく被害者の大多数は、この都市伝説からあんたのサイトを知ったんだろう」 『至福の一杯をお探しですか』  あのキャッチフレーズは実のところ、巧妙なさそい文句だったわけだ。 「……人間というのは、不思議なものですね」  やっと口を開いた奴の声色は、穏やかだった。 「コーヒー専門店のホームページなんかに、コーヒーとは全く無関係の言葉を入力したくなるなんて」 「まったくだ。最初に見つけた奴はよっぽどの暇人か、変人か」 「ふふ。現代人にとってはね、刑事さん。電子媒体への入力も『言語』のひとつなんですよ。言葉やジェスチャーと同系列のものなんです」  ましてや検索機能は『こたえ』が返ってくるものですから。 「つい『語りかけ』てしまう。探しているものを、差し出してくれる気がして」 「それを利用した」 「人助けのつもりだったんですよ」  その言葉を、俺は自供と受け取った。 「お前を逮捕する」  手振りで合図する。警官達が部屋になだれ込んでいく。逃げ場はない。 「……残念だな」  一瞬の沈黙の後で、奴はぽつりと言った。 「まさか、警察がここまですると思ってなかったんです。骨折ってくれたあなたになら、逮捕されてみてもよかった」 「なんだ。まるで捕まらないかのような口ぶりじゃないか」 「捕まらないんですよ。だって私」  ため息混じりに告白したその声は、本当に口惜しそうだった。 「もう死んでいるんですから」 「班長!」  部屋に押し入った部下が、血相を変えてまろび出てきた。 「今こうして話しているのはね、『私』が生前に作ったAIなんです。ネット上でしか存在できない。さしずめ、オンライン犯人ってとこですかね」 「大変です! 奴が、奴は……!」 「でも、本当に残念だ。あなたに手錠をかけられたかった。きっと」 「さぞかし、いい音がしたでしょうにね」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!