通り雨

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通り雨

 霙はホテルを出たが、この辺に土地勘もないし、そうお金も持って来ていない。  ホテル近くの公園にあった滑り台の下のトンネルに入り、ブツブツと文句を言っていた。 「生まれる前からの婚約者って、何時代の話よ。どこかの格式のある家ならともかく、普通のサラリーマン家庭におかしいじゃない。こんなの聞いたら、皆絶対に笑うに決まってる。  家出、しちゃった。でも、これで嫌だって事、わかってくれるかなあ」  そう言って、外を見た。  午後9時を過ぎ、ポツポツと、雨が降り始めたところだった。  真秀は家を出たものの、どこに行こうか迷った。へたなところに行くと、すぐに見つかっておしまいだ。友人や親類は頼れない、なんてものじゃない。  そうして人のいない方へと歩いていると公園に行きついたが、ちょうど雨がぱらついて来たので、すぐ目の前にある大きな滑り台の下のトンネルに潜り込んだ。 「あ」  そこには先客がいた。霙である。 「雨宿りしたいんだけど、いいかな」  彼氏と待ち合わせをしているとかなら、誤解させてしまうかも知れないと、一応真秀は訊いてみた。 「あ、どうぞ。って、私の家でも何でもないんだけどね。へへ」  霙は笑い、それで真秀はほっとした。  それで黙って、雨のやむのを待つ。  幸い短い通り雨で、すぐに空は晴れた。  が、どちらも行く当てはない。ただそのまま座っていた。 「えっと、止んだみたいだけど」 「ああ、うん。そうね……。そっちは?帰らないの?」 「あ、まあ、うん、そうだな……」  それで何となく、お互いに察した。 「家出か?」 「う、勢いで飛び出して来ちゃったというか。そっちは?」 「……同じく」  それで、どちらからともなく苦笑した。 「私はか……」 「か?」 「違う。山田……雪」  霙はとっさに、川を山に変え、霙を天気つながりの雪に変えた。  真秀は間と「か」が妙な気はしたが、自分も名前を名乗る流れなので、偽名をと考え、違和感を忘れてしまった。 「俺は、……白瀬まさひで、だ」  黒を白に変え、真秀をよく読み間違えられるまさひでにした。 「白瀬君ね。よろしく」 「山田さんか。こちらこそ」  どちらも、偽名を捻り出せたことにホッとしていたのだった。  それで、家出の原因を語りだす。 「聞いてよ、白瀬君。うちのおじいちゃんったら、いきなり私に許婚がいるとか正式に婚約するとか言い出すのよ。酷いと思わない?まだ高校2年生よ?」 「ああ、同い年だったのか。  それには同感だな。実は俺も、同じ事を言われてな」 「へえ。意外と世の中の人って、許婚がいたりするのかな」 「どうなんだろう?」  2人は首を傾げた。  真秀は、自分の家が多少一般的ではない事は自覚しているが、よその事情に詳しいわけではない。 「相手はどんな人なの?」 「知らないな。写真を見る前に出て来てしまったから。  でも、大人しくてかわいらしいとか言ってたな。  相手に不服があるわけじゃないんだ。生まれる前から決まっているというのが、何か、こう……」  それに霙が勢い込んで同意した。 「わかる!私もそう思うもん!  出会いとか、告白とか、そういう課程もドキドキするもんじゃない?したいじゃない?」  2人はますます意気投合し、手を取り合わんばかりにして盛り上がった。 「大人しくてかわいい?今どき許婚って言われて大人しく従うなんて、それは大人しいとかじゃなくて、何も考えてないんじゃないの?」 「人形ってわけだな。そういう女性はなあ。  そっちのも、許婚ならそういう行為も許されるとか思って、隙あらば押し倒して来るような奴かも知れないぞ」 「うわ、気持ち悪い。ないわぁ」  2人はお互いを同志と認め、許婚から逃げられることを祈り合った。  乾いたパンという音が聞こえて来たのは、そんな時だった。
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