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6.音を奏でる力
――音の力と導陣について。
トイは〈世界を喰らう森〉の事や失われた目の事を覚えていなかった。
常識すら記憶にないとなると厄介だ。
ナツメはそう言いながら、トイに導陣を使ってみせた事がある。
「俺たちの身体は、音で出来ているんだ。死ぬと、音が空に溶けて、〈魂〉だけになる。〈魂〉は、これくらいの――」
ナツメは人差し指と親指を広げ、焚火の前で掲げた。膝を抱いて対面に座るトイは翡翠の目を輝かせてナツメを見つめていた。
「大きさの、木片のようなものだ。俺が子どもだった時は、それを加工して衣服を着せたように見せていたが、今はそのまま木に括ったり川に流したりしている」
「ナツメがいつも持っているのは、〈魂〉なの?」
「――あぁ。そして、今俺が書いているような模様を手の甲に描く事で、身体の音を奏でて導陣を使える。ほら、見えるか?」
「あっ!」
ナツメは左の手の甲に複雑な模様を指で描き、それを宙に掲げた。すると、模様を書いた方のナツメの拳を包み込むように淡い緑の光が灯った。
「これは光を灯す導陣だ。獣除けのために焚火をしているが、宿で灯りが必要になった時はこっちを使う事が多いな」
「ナツメ凄い!ナツメ!と、トイにも教えてくれ!」
「導陣は、相性があるんだ。身体の音と使いたい導陣の音の相性が良くないと、使う事ができない。まずは、それを探すところからだな」
「えぇ……トイもそれやりたい!」
「んー、まあ、これくらいなら簡単だし、お前でも出来るかもな。よし、教えてやろう」
その前に、飯にしよう。
ナツメはトイの大好物の「香草粥、刻み肉を添えて」を木椀いっぱいによそってやってから、トイに光の導陣を教えてやった。はじめは苦戦したトイも、すぐに覚え、小一時間後には焚火の周りを光る拳を振り回して走っていた。
「なあ、トイ」
「なーにー?」
粥の鍋を片付けながら、ナツメはトイを捕まえた。
というよりは、ナツメに向かって走ってきたトイの頭を片手で押さえただけだったが。
「お前、女の子だよな」
「はぇ?」
ナツメは、宿の風呂で見たトイの裸体を思い出していた。
水が滴り、妙に色っぽい鎖骨の周りは絹のように柔らかい。細い腕は艶っぽくて、その割に握る力が強いから驚きだ。胸はトイの手のひらに収まるくらいの膨らみで、茂みの薄い下腹部はしなやかだった。
ナツメはそれを何度も見た経験を踏まえてその台詞を吐いたのだが、当の本人にはきょとん、とされてしまった。
「ほら、風呂で見た時にさ」
「んー。トイにはよく分からない。強いて言うなら、ナツメみたいになりたい!ふんっ」
「はぁ。まぁ、好きにすればいいか」
ナツメは些か短絡的だった、と考えを改め、頭を放してやった。
緑の拳はくるくると焚火を何周かした後、ぽすん、と胡坐をかくナツメの膝の上にやってきた。
「お前、重いんだから乗るなよ」
「えぇー」
トイが記憶を失っているからはっきりとは分からないが、見た目は齢十五くらいだった。
線は細くとも、それなりに重い。半ばからかって、首根っこを掴んで隣に座らせる。
「男も女も、まあなんでもいい。トイ」
「何?」
「お前は、好きに生きろ」
「……?うん」
それは、焚火を囲んだ夜の事だった。
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