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9.ばか、大好き
地平線を遠く見渡せば、彼方に黒い塊が見える。
目を凝らすと、それが巨大な木々の集まりだと分かる。トイには、山脈か何かに見えていた。
〈世界を喰らう森〉を知るまで、あれが森なのだと分からなかった。
ナツメやこの国の人々にとっては、忌むべき記憶と共に、その森の存在が鮮明に脳裏に焼き付いている。
「よし、出来た!」
満足げに紙束を掲げるトイは、この日は珍しく荷台に座っていた。
ナツメの足の間にいては、上手く導陣が使えなかったのだろう。ただでさえ狭いのだから、日記を書くのはもっと窮屈そうだ。
「日記か?」
「そう!やっと今日までのぶんが書けたんだ」
「そうか。それで、何か分かったか?」
「うーん……何も?」
出発の日から、およそひと月が経過していた。
あと数時間もすれば、ナツメがトイを連れてくる予定の場所まで到達する。
〈森〉そのものが検問のようなもので、見えない壁でもあるかのように、〈森〉に一定の距離以上近づくと人の気配が一切無くなる。獣も滅多にやってこない。
「まあそのうち思い出すよ」
「……だと、いいな」
ナツメはこのひと月の最後の旅の中で、野営の術やいくつかの複雑な導陣の使い方などをトイに指南していた。ぎこちなくはあるが、何とか身体に叩き込んだトイは、他の時間をほとんど日記に費やしていた。
この一年の長い旅路を記すのが、よほど楽しかったのだろう。
「あっ、そうだ。大事な事を聞き忘れてた」
「どうした?」
「いや。ナツメ、〈森〉はずっと昔に現れたって言ってたでしょ?どうして急にそんなものが現れたんだろうって。自然的なものか、人為的なものか。俺としては、やっぱり大陸を喰らう森なんて自然発生するとは思えないんだよなぁ」
でも、そんな事できる導陣はないんでしょ、と確認するように続けたトイに、ナツメは沈黙で応えた。
ふいの間隙に、手綱の鋭い音が響いた。
「動物を喰らう植物もいるんだ。世界を喰っちまう植物でできた森もありそうだろ」
実際あるんだしな、と冗談かどうか分かりにくいような声色で言うナツメに、トイがげんなりとする。ナツメの言葉尻が僅かに上がっていたのだ。こういう時、たいていナツメはトイをからかっている。
「もうっ」
はっはっは、と肩を揺らして笑ったナツメは、馬のいななきを待ってから真剣な声を放った。
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