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他にもいくつか考えたが、現時点では分からない事が多い。最も高い可能性としては、記憶の断絶があるにせよ、既に〈世界を喰らう森〉の中にいるという事だが――。
「よ、っと」
半分に割れてしまった鍋を適当に投げる。〈森〉が音に聞くように国をも喰らう程の悪食なら鍋にも襲い掛かるかと思ったが、地面にぶつかって鍋がさらに小型になっただけで、森は静観を貫いている。
これが、〈世界を喰らう森〉だと言うには、些かおとなしすぎる、ような気がした。
「上だ。下を向くよりも」
トイはナツメとの別れ際に言われた事を思い出し、ええいままよと立ち上がった。
散乱する荷物の中から、日記だけを持ってトイは歩き出した。この荷物を中心に放射状に探索して、一度この場所に戻り、ここの木の空洞で睡眠を取ろう、と算段を付けて歩き出した。
その時、だった。
「あれは――っ!?」
何の前触れもなく、トイから少し離れた木々の隙間に、ぼんやりと例の子どもが浮かび上がる。
口許に怪しげな微笑みを浮かべたまま、その子どもはトイを誘うように長い黒髪を翻して歩き出した。森に差す木漏れ日の滝を潜りぬけ、ゆっくりと進む子どもの身体は、よく見ると透明がかっていた。全身が厚い氷に覆われているみたいに、きらきらと薄い光を湛えている。
「ついて来いって事なのか……」
トイは迷った末に、子どもについていく事にした。
友好的にせよ敵意が隠れているにせよ、手がかりもないまま森をうろつくよりはましだ、と。
子どもについて暫く歩くと、視界の先に開けた場所が見えた。
だんだんその場所が近づくにつれ、どうやら円形に木々の生えていない空間が広がっているらしいと分かり、トイは警戒心を強めた。
森の余白に出る寸前、子どもはくるっ、とターンしてトイを振り返る。
何かを言っているようだったが、子どもが口を開くと不自然なくらい周囲から音が消えて、何も聞き取れなかった。
「ちょっと待って……っ。君には、聞きたい事、が……」
トイの呼び止めも虚しく、黒髪の子どもは姿を消してしまった。
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