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煮え切らないものを感じながらも、黒髪に連れてこられた余白に足を踏み入れた。
「ここって……」
トイは、両手に抱きかかえた日記を零してしまいそうになるくらいの強い既視感に、眉間の奥がちかちかと明滅するのを覚えた。
風に揺れる翡翠の若葉のように覚束ない調子でゆらゆらと歩きだしたトイの視線の先には、紺碧に煌めく水面が幻想的な美しい湖を抱えた森の中の湖畔があった。
「俺の、夢の場所だ」
夢では周囲の全景までは映りこんでいなかったが、銀の日が凪の湖面に降り注ぎ、それを覆う翡翠の木々の囁く音。それらはまさに、トイが何度も夢に見た光景だった。
そこで、はた、と。
「あれ、あの子って……もし、かして――夢に出てきた、あの黒髪の子なのか?」
トイを誘うように二度も現れた謎めいたあの子どもと、夢に出てきたトイと口づけをする黒髪が重なる。
しかし、前者は長い髪を降ろしていたのに対して、後者は夢で見る時は毎回髪をまとめていた。小さな違いだが、似ているだけで別人かもしれない。
それに、夢で見た方はずっとキスをしていて、顔がよく見えなかった。例の子どもの顔はちゃんと見えていたから、夢で顔さえ見られれば判別もつく。
例の子。あどけなさが残る顔に、影が差す目許。引き込まれそうな眼力の割に、少しやつれた頬。トイよりも筋肉質の身体に、半透明で色ははっきり分からなかったが、地味な衣をまとっていた。
対して、夢の子で分かっているのは、まとめた髪と、「トイ」と呟く葉を抱くような低い音が心地いい声だけ。
「分からない事を考えたって、しょうがないか」
絡まりそうな思考を一度整理して、トイは遠巻きに湖を眺めながら進んだ。
いずれにせよ、この場所が夢で見た景色と合致するのは、ひっかかる。
何か手がかりがないかと、注意深く歩いていると、地面に横たわる人影が見えた。
微動だにしないその様子に不気味さを覚え、思わず立ち止まったトイは、首筋に感じたひんやりとした感触に、はっと息を呑んだ。
――なんだ、何をされている?
早鐘を打つ鼓動に焦るトイは、うなじを撫でる声に不思議と懐かしさを覚えた。
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