3.翡翠の瞳

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 子どもが再び目を覚ましたのはそれからすぐ後の事で、男から逃げようとする子どもを落ち着かせるために男は自分の両手首を縄で縛っていた。 「さっきはすまなかった。いきなり抱きしめて。この通りだ」  か細い息が、頭を下げた男の耳に聞こえてきて、恐る恐る顔をあげると、逃げようとしていたのか、中腰になっていた子どもは警戒しながらではあるが、座ってくれた。 「ありがとう。腹、減ってるだろう。これ、喰うか?」  肌を撫でる男の低い声に少し落ち着いたのか、男が縛られた状態で器用に差し出した粥の入った木椀を受け取ろうとする。  しかし、木椀が指先に触れたところで、子どもは手を引っ込めてしまった。  それを見た男は、胡坐(あぐら)をかいた自分の膝の上に木椀を置き、右手の指で匙を挟むと、身体を折ってがつがつと粥を食べ始めた。  男の奇行に、子どもが虚を突かれてぽかん、としていると、ものの数秒で空になった木椀を男が再び差し出した。 「ほま!もく、はいっめまいあら!」 「あ……ほま」 「んっ、く。ほら!毒、入ってないから。ちゃんと喰えるぞ」  子どもは目を見開き、男をまじまじと見つめる。男は怯まず、笑顔を保ち、頷いた。  ようやく木椀を受け取ってくれた子どもに、少量の粥をよそってやって、もう一度頷く。  立ち上る湯気に混じった、香草や細かく刻んだ肉の芳醇な香りに耐えられなくなったか、子どもはすぐに粥を貪った。 「急に喰うと後で腹壊すからな。ゆっくり喰えよ」 「んっ、んっ」  涙を浮かべながら、必至に粥を食べる子どもの手には、もう泥は詰まっていない。  髪も滑らかな白だ。汚れていた継ぎ接ぎだらけの衣は、男が作った即席の衣に変わっていたし、足にはぶかぶかだったがないよりはいいかと男の予備の革靴が見えた。  悲惨だったあの状態から、身体を綺麗にしただけでここまで回復した。  まるで、死の淵から一瞬にして生き返ったみたいだった。  確かに外傷はなかった。身体の中が傷ついていなければ、この回復の速さも納得できない事はない。だが、それにしても速すぎると思った。昼に拾ってから、まだ半日程度しか経っていない。 「美味いか?」 「……っ、っ」 「そうか。よかったな」  必至に首を縦に振る子どもに苦笑しながら、男は手首の縄を解いた。  翡翠の瞳だった。  子どもは、翡翠の瞳をしていた。  男の緋色とは異なる、瞳の色だ。 「あの……」 「お、どうした?」  両手で包むように持った木椀を膝の上にちょこん、と置いた子どもは、おずおずと切り出した。  考え込んでいた男は取り繕った調子で聞き返し、子どもの様子を(うかが)う。 「これ、は。あなたが……やってくれたんですか?」 「ん?ああ、掛け布か。体調を悪くしないように、な」 「……」  割れそうなくらい強く木椀を握った子どもは、消え入りそうな声で、ぎこちない笑みを浮かべて言った。 「ありがとうございます」
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