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第12話 トラブル
惟月さんの秘書になってから、お昼休みは毎日二人でお弁当を食べていた。
他愛ない会話をして惟月さんが早く帰れる日は家まで送ってもらい、土曜日は二人で出掛ける日々が続き、私にしたら、二人の関係は大進歩だと思っているのに恭士お兄様は口にはださないけれど、不満そうだった。
どうすれば、恭士お兄様が惟月さんを認めてくれるかが、悩みといえば、悩みかもしれない。
そんなことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
ドアを開けると、そこには書類を持った閑井さんがいた。
「高辻さん、元気そうですね」
「閑井さん、お久しぶりです」
同じ会社とはいえ、フロアが違うとなかなか会えない。
顔を見たら、挨拶はしていたけれど、ゆっくり話す時間はなかった。
今日は惟月さんが取引先にでかけていて、お昼には帰ってくるけれど、ずっと一人だったので閑井さんがきてくれたのは嬉しかった。
「秘書の仕事がうまくいっているようで、安心しました」
心配してくれていたようだった。
「閑井さんのお仕事の方は順調なんですか?」
「はい。最近、プロジェクトを任されました」
照れくさそうに閑井さんは言った。
「すごいですね!」
「いやあ、全然ですよ」
閑井さんは謙遜していたけれど、すごく嬉しそうだった。
こほんと小さな咳払いが聞こえて、ドアの方を見ると、惟月さんがいた。
「せ、専務」
「閑井。仕事中だろ?書類を置いたら、速やかに部屋から出ていけ」
「すみません!」
閑井さんは慌てて、出ていった。
そんなふうに言わなくてもと思いながら、惟月さんの顔を見上げると、不機嫌そうな顔をしていた。
「仲いいな」
「え?そうですね。最初に仕事を教えてくれたのが閑井さんですし、話しやすい方ですよね」
「そうだな」
惟月さんは私に近づき、顔を覗き込み、腕を掴んだ。
「あの……?」
背が高い惟月さんから上から見下ろされると、私の頭上には大きな影ができてしまう。
「惟月さん?どうかされましたか?」
「別に」
「お腹が空いたなら、お昼にしましょうか?」
「ああ……」
ふう、と惟月さんは溜息を吐いた。
イライラしていたのはお腹が空いていたせいだったようで、お弁当を食べ始める頃には惟月さんはいつも通りの態度に戻っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事が終わり、机の上のファイルや書類を片付け、明日やることをメモ紙に書いていると、部屋のドアをノックする音がした。
「惟月」
入ってきたのは間水さんだった。
険しい顔から、あまりいい話ではないということがわかった。
「どうした?」
「海外支店から連絡があった。繊維メーカーの特殊な繊維を海外の顧客に売り込んでいた件だが……」
「ああ。あれはもうほとんどが契約までいって、メーカーに発注も済んでいる」
「海外支店に異動したばかりの中井がイベントで間違った説明をしたせいで、キャンセルが相次いでしまって、今、海外支店が大変なことになっているんだ」
「なんだって!?」
「だから、中井が落ち込んで―――」
「顧客には俺から直接連絡し、説明をする。間水!お前はなにをやっていたんだ」
間水さんはハッとして、頭を下げた。
「悪い」
「咲妃さん。顧客名簿を」
「は、はい!」
ファイルを取り出し、手渡すと惟月さんはキャンセルになった顧客先を調べ、書きだしていた。
「間水。お前は自分の繋がりのある所がいくつかあるだろう?そこから連絡して担当と話をしろ」
「ああ」
間水さんは電話をかけはじめた。
「あの、私もよろしければ、懇意になさっている方にお話しします」
「助かる」
ご家族を高辻の家に招待したこともある方もいて、何人かは高辻の家とも仲良くしていたため、電話やメールをすると快く話を聞いてくれた。
「時差もあるからな…。今日は徹夜だな」
「惟月。悪かったな」
「すぐに報告しろ。お前らしくもない」
間水さんは肩を落として、俯いた。
「ああ…」
「今更、言っても仕方ない。咲妃さん、今日は悪いが―――」
「いえ、私も残ります。お力になれると思うんです」
すでに何件かは再度、交渉してくれると言ってくれていた。
「だが、高辻の家が心配する」
「ちゃんと自宅には連絡しておきますから、平気です」
「そうか…。俺からも連絡しておく」
「はい」
親しい人にはメールを送り、時間を決めて連絡をすることにした。
私は取次役のようで難しいことではなかったけれど、惟月さんや間水さんは大変そうで、いくつかはやっぱり契約を取り戻せないようだった。
「残念ですね……」
「しかたない」
惟月さんは悔しそうに言った。
「私、夜食を買いに行ってきますね」
「待て!一緒に行く」
「でも、忙しいでしょう」
「コンビニに行ったことないだろう?」
「はい……」
どうしてわかったのだろうと思いながら、恥ずかしい気持ちで目を伏せると間水さんが驚いていた。
「本当にお嬢様なんだな……」
「そうだ」
惟月さんは笑って、私の手をとった。
「行こう」
「はい」
初めてのコンビニは驚くことがいっぱいだった。
「ここにおくと、コーヒーが出てくるんですか?」
「ああ。ボタンを押さないとだめだぞ」
「温めただけで食べられるなんて便利ですね」
何もかもが新鮮だった。
「いろんな種類の肉まんがあるんですね。買ってもいいですか?」
「もちろん」
「私、初めて食べます。おにぎりってこんなふうに包まれているんですね。いろんな味があってすごいですね」
「待て待て!全種類はさすがに買いすぎだ。食べ切れないだろう?」
「ごっ…ごめんなさい。つい」
「一緒についてきてよかったな」
惟月さんは肩を震わせて、笑っていた。
「……そんなに笑わなくても」
恨めし気に惟月さんを見た。
「悪い。コンビニで、そんな大喜びされると思わなかった」
「ずっと入ってみたかったんですけど、勇気がでなくて」
コンビニの袋を持って、戻ると間水さんは私と惟月さんを見て驚いていた。
どうしてだろうと思って、不思議そうに間水さんの視線を追うとその謎は解けた。
気づくと手を握ったまま、歩いてきてしまった。
慌てて、手を離すと惟月さんも気が付いたらしく、少し動揺していた。
「……これは…まあ」
気まずそうに惟月さんは間水さんを見た。
「いや、いいんだ。婚約者だもんな。惟月が社内で手をつなぐとは思わなかったから、驚いただけだ」
「言うな」
間水さんは顔を赤くした私と惟月さんを見て、笑っていた。
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