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第17話 駆け落ち
「あ、あのっ!私がリビングで寝ますからっ!」
「そんなことさせられるわけがないだろう」
「でも、毛布しかないし……」
そう―――惟月さんの部屋は必要なものしかなかった。
何もかもが一人分。
一人で暮らすだけの部屋は飾り気のない部屋で私には少し寒々しい気がした。
「一緒に寝ましょうか。半分ずつにすれば、なんとか」
ベッドを占領してしまうのは申し訳なさすぎて、提案すると惟月さんは呆れた顔をした。
「眠れるか!」
「え?」
「いや。一人で寝る」
惟月さんの意思は固い。
やっぱり、私に魅力がないから?
子供っぽいから……。
がっくりと肩を落として、ため息を吐いた。
「なんだ?」
「いえ、なんでも」
しょんぼりしていると、惟月さんは苦い表情をして言った。
「結婚するまでは手を出さないと高辻社長と約束した。本当に怖いのは恭士さんじゃない。高辻社長だ。殺されたくないからな」
「まさか!恭士お兄様ならともかく」
そんな約束をしていたなんて、知らなかった。
お父様は私に怒ったこともなく、大抵のお願い事は聞いてくれる。
一番、優しくて私に甘いお父様が惟月さんを殺すなんてこと、ありえないと思って笑ってしまった。
「……まあ、娘には甘いみたいだからな」
惟月さんは溜息を吐いて、毛布一枚持って部屋から出て行った。
寝室の香りは惟月さんと同じ香りで、その中で眠るのは私だって、本当は緊張するんですと言いたかった……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝になると、惟月さんは眠そうにしながら、言った。
コーヒーとトーストが朝食で、残念ながら冷蔵庫はほとんどからっぽで何も作れなかった。
いったいどんな食生活を送っていたのか、不安になってしまうほどに。
「高辻社長からメールがきた」
「まあ。お父様から?」
ほら、と見せてくれた。
私が知っているお父様とは思えない文面―――別の人が書いてますよね?というくらいだった。
「……まさか」
くすっと笑うと、惟月さんは頬をひきつらせた。
「見なかったことにするな!」
「お父様には私からも話をします」
「そうしてくれると、助かる。それと、今日は土曜日だし、土日の間に一緒に暮らすための必要なものを買い物に行こう」
「えっ!?」
「ここで暮らすのは嫌か?」
「いいえ。嬉しいです」
「そうか」
ホッとしたように惟月さんは椅子に寄りかかった。
「ふふっ。なんだか、駆け落ちみたいですね」
そういうと、惟月さんは慌てて首を横に振った。
「あのメールを見た後でよくそんなことを言えるな!?今日の朝、高辻社長がここに来られる。きちんとお願いするつもりだ」
「はい」
そんな大袈裟な、と思っていた。
お父様に会うまでは。
惟月さんに会いに来たお父様は黒服のSPを何人も連れて現れた。
まるで、マフィアのボスみたいで、映画の中の人みたいだった。
黒いサングラスと帽子をとると、いつものお父様で安心したけど、惟月さんを軽く睨んでいる。
「高辻社長。ご足労頂きまして、ありがとうございます」
「お父様。おはようございます」
「ああ。おはよう」
ソファーに座ったお父様はそわそわしていて、どこか落ち着きがない。
「惟月君」
「約束はきちんと守ってますよ」
「なら、いいと言いたいが、娘を連れ去るのは感心しないね」
冷ややかな目で惟月さんを見、コツコツと指でテーブルを叩いた。
惟月さんは凄んだお父様にも動じず、微笑みを浮かべて言った。
「咲妃さんと二人で話をしたかったので。だいたいこんな乱暴な真似をしたのは恭士さんが邪魔をしてくるせいですよ」
「恭士は少し過保護なところがあるからな」
「そのせいで会えなくなるのは困ります。ですから、これからは咲妃さんと一緒に暮らせたらと思っています」
お父様は渋い顔をした。
「しかし」
「入籍します」
惟月さんの言葉にお父様は目を見開き、言葉を失った。
私も驚いたけど、惟月さんは真剣だった。
「それは、いや、しかし」
お父様は見るからに動揺していた。
「結婚式の後がいいんじゃないかね」
「恭士さんが邪魔をして、自由に会えない上に結婚させないつもりでいる。知っていますよね?」
「まあ」
うーんとお父様は唸り、私を見た。
「私は惟月さんといたいです。もうじき、結婚式ですから、早めに入籍しても私は構いません。引き離されるよりはいいです」
「咲妃……」
お父様は肩を落とし、ちらりと惟月さんを見て言った。
「わかった。だが、静代をこちらに通わせる」
「静代さんを?」
「それがこちらの条件だ」
「いいですよ」
惟月さんが了承するとお父様は安心したように頷いた。
「なにかあれば、静代から聞くことができる」
「そんなことにはなりませんよ」
お父様は言った。
「咲妃を頼む」
「はい」
惟月さんはまっすぐにお父様を見つめて、頷いた。
私の手を握って――――
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