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第20話 雨
マンションに帰ると、静代さんがいて、私の姿を見るなり、怒りを露わにした。
「高辻のお嬢様になんてことを!」
「静代さん、落ち着いて」
「いいえ!落ち着いてなんかいられませんよ!惟月様はなにをしておいでですか!こんな危険な目にあわせるなんて、とんでもない!」
「惟月さんは悪くないわ」
赤く擦りむいた膝や手のひらを静代さんは消毒してくれた。
「旦那様にご報告しなくては!」
「やめて。たいしたことないのに大騒ぎしないで。お父様は私の結婚に賛成してくださって、もう高辻ではないの。清永なのよ?私と惟月さんで解決するようにとおっしゃるに違いないわ」
不満そうに静代さんは私を見た。
「それでも、お嬢様はまだ高辻のお嬢様ですよ。旦那様はそうおっしゃるかもしれませんが、恭士坊ちゃまは違います。きっと連れ帰るようおっしゃいますよ」
「お兄様はそうかもしれないけれど……」
否定できなかった。
「静代さん、お兄様には絶対に言わないで」
呆れた顔で静代さんは私にため息を吐き、無言で立ち上がった。
静代さんは冷たい態度で、キッチンに消えて行った。
お茶の用意をしてくれているらしく、カップの音とお湯を沸かす音が聞こえた。
惟月さんは後始末をすると言ったけれど、どうするつもりなんだろう。
冷静な時の惟月さんなら、ともかく―――
「お茶が入りましたよ」
「ありがとう」
熱いお茶を飲むと、ホッとして少し眠くなってきたような気がした。
「お嬢様、少しお休みになられたらどうですか。お疲れになったんでしょう」
「ええ……そうね」
眠気が襲い、まぶたが閉じかけた。
違和感があった。
こんな急に眠くなる?
おかしいと、思って静代さんを見ていると、目の前がぼやけて、誰かが入ってくる足音がした。
「咲妃は?」
「眠っておいでです」
まだ眠ってないわ、と思ったけれど、声がでない。
「そうか」
恭士お兄様の声に目を懸命に開けようとしたけど、ぼんやりとしか、その顔は見えなかった。
体を抱えられ、外に連れ出されて車に乗せられたのが、分かった。
「高辻にいれば、こんな目にあわせないものを!」
怒りの声を最後に眠ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
惟月さんと初めて会ったのは成人式を控え、新しい振り袖ができあがったばかりの頃だった。
「お見合いなんて、気がすすまないわ」
「ははは。咲妃お嬢様、とても素敵な方かもしれませんよ」
いつもの運転手が励ましてくれたけど、そうかしら?と反発する気持ちを抑えられなかった。
自分の心の中のように重たいグレーの空を見上げた。
雨が降りそうで降らない。
中途半端な天気だった。
女子大学生になり、学校はずっとエスカレーター式とはいえ、大学ともなると外部からの生徒が多く入学してきて、ようやく自分が箱入り娘なのかも?と思い始めていた。
そして、恋をする機会もないまま、この年齢まで来てしまったと気づいた頃には遅く、親が決めた相手とお見合いが決まっていた。
「憂鬱だわ」
「旦那様が選んだなら、きっと間違いない方ですよ」
「商売と結婚相手を選ぶのは違うもの」
いつもなら、そうね、と済ますところを我慢できずに反論した。
運転手が困っていたので、それ以上は言わずに黙って窓の外を眺めていた。
お見合い場所はお父様が懇意にしている料亭があり、そちらを使うことになっていた。
「傘はよろしいですか」
「降っていないから、大丈夫よ」
面白くなくて、意地を張ってそう言った。
車から降りて、足場の悪い砂利の駐車場を出たところで雨がポツポツと降りだして後悔した。
冷たい雨が頬や手の甲にあたる。
さっきまで降っていなかったのに今、降らなくても。
灰色の空を恨めしく思った。
着物のせいで、急ぐこともできず、投げやりな気持ちで歩いていると、突然、頭上に影が出来て、見上げると傘があった。
驚いたけれど、傘をさしてくれた人に頭をさげた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
お見合い相手がこんな優しい方だといいのに―――
そんなことを思いながら、足元を気を付けながら、歩いた。
料亭の入り口に行くと、料亭の女将さんが待っていた。
「まあ。お揃いで。お足の悪いところ、よくいらしてくださいましたね。高辻様、清永様」
清永様?その名前は今日のお見合い相手の名前だった。
傘を静かにとじていた男性に視線をやると、まるで西洋のお人形のように綺麗な方で驚いた。
陶器のような白い肌に長いまつげ、茶色のサラサラの髪と瞳。
こんな―――隣に並んでいるのも申し訳なく思うくらい綺麗な方が私のお見合い相手?
あまりにも自分が身の程しらずで、図々しい気がして、お見合いの間中、うつむいたまま、目を合わすことができなかった。
これが、私の初恋だと気づいたのはお見合いが終わって、次はいつ会えるのだろうと去っていく後ろ姿を見送っている時だった―――
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