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第22話 鍵
「お嬢様、今日も召し上がらないのですか」
無言でうつむいたまま、三日目の朝を迎えた。
心配そうに静代さんは私の様子を伺っていた。
私はタイミングを見計らっていた。
静代さんは食事以外は鍵をかけて別室に行ってしまう。
手に入れるなら、食事の時間しかない。
「静代さん、スープを飲みたいわ」
「まあまあ!お待ちくださいね」
温めてスープ皿に持って来てくれた。
「ありがとう」
皿を置かれた瞬間、皿をひっくり返してしまい、静代さんの足元にこぼれた。
「大変!静代さん、火傷しなかった?」
「大丈夫ですよ」
「ごめんなさい。手がぶつかって。スープで汚れてしまったわね。足を洗いましょう」
「お嬢様、気になさらないでください」
「あら、だめよ。静代さん、あまり歩き回ると部屋が汚れてしまうわ」
バスルームに行き、静代さんは靴下とエプロンをはずした。
足を洗っているのを見て、すばやくエプロンから鍵を探しだし、鍵を使い、部屋から出ると部屋の鍵をかけて、一階に降りた。
玄関に行く前にリビングをのぞくと、写真が飾ってあった。
恭士お兄様に良く似た男の人と私に似ている女の人。
お父様はわかったけれど、隣にいるのはお母様ではなかった。
抱き抱えているのは男の赤ちゃん―――恭士お兄様なの?
動けずにいると、二階のドアを叩く音がして我に返った。
玄関に私の靴はなく、はけそうなものはサンダルしかなかったけれど、かまわずにそれをはいて、外に出た。
「私が知らない高辻の別荘があったなんて」
もしかしたら、知っている人は限られているかもしれない。
私が閉じ込められていた場所は山荘らしく、曲がりくねった道を走った。
高辻に連絡がいけば、連れ戻されてしまう。
どこか、民家を探して電話を借りるしかないけれど、山道が延々と続いていた。
日が暮れ始めてきて、周囲が薄暗く、心細く感じた。
「っ!」
痛みに足を止めた。
サンダルのせいで、擦り傷ができている。
血がにじみだし、しゃがみこんだ。
水も飲まずにいたせいか、頭がくらくらする。
めまいがおさまるまで待ってから立ち上がり、裸足になって歩いていると車の音がした。
隠れる場所はない。
「どうしよう」
ライトが照らされるのと、同時に車がとまり、車から誰かが降りてくるのが見えた。
「咲妃!?」
「惟月さん!」
惟月さんが走ってくると、髪に顔をうずめ、苦しいくらいの力で抱き締められた。
「探した」
「ごめんなさい。心配をかけてしまって」
「逃げてきたのか」
惟月さんは私の足を見て、険しい顔をした。
「ええ」
抱き抱えて車の助手席に乗せてくれた。
「惟月さん。山荘に戻ってほしいの。静代さんを閉じこめてしまって」
「やるな」
惟月さんは笑った。
「私、必死だったんですから!」
笑うところじゃない。
惟月さんは山荘に向かってくれた。
車を走らせながら、惟月さんは私がいなかった間の話をし始めた。
「いなくなった日、恭士さんが高辻に戻らせたと夜遅くにマンションまできて言われた。高辻社長と話をするために高辻の家に行ったけれど、高辻社長はここにはいない、昔の女との関係を整理してから、また話をしようと言われた」
お兄様だけでなく、お父様も許してくれていないのだと思うと、胸が苦しい。
「それで、静代さんもいなかったから、家政婦が必要な場所だと考えた。けど、清永の知っている高辻が所有する別荘を調べたけど、どこにもいなかった」
「私も知りませんでした」
「ああ。それで、中井が手を貸してくれた」
「中井さんが?」
「カーナビの履歴を調べるために恭士さんに話があると言って誘き寄せて、うまく恭士さんの車に乗ったんだ。ここの住所が入っていたのを見つけてくれた」
確かに中井さんが話があると、お兄様に言えば、会うだろう。
山荘に着くと、惟月さんが静代さんを部屋から出して、車に連れてきた。
静代さんは疲れたのか、ぐったりして髪はボサボサだった。
「お嬢様がこんなことをなさるなんて」
「お茶に睡眠薬を混ぜたのだから、おあいこでしょう」
惟月さんは驚き、静代さんを見た。
「そんなことをしたのか」
「高辻の旦那様から、なにかあれば、そうするように言われてましたから」
「犯罪だぞ!」
「わかっております」
「次はないからな」
惟月さんは静代さんを睨み付けた。
「旦那様が惟月さんを選んだ理由がわかる気がします」
「高辻社長が?」
「孤独だったあなたに温もりを与え、手放せないようにすれば、なにがあってもお嬢様を絶対にお守りすると考えたからでしょう。今回も私や恭士様を出し抜けるか、試されたのですよ」
「高辻社長の手のうちだったと言いたいわけか。それで、俺は合格なのか?」
「はい。あの山荘から連れ出せたのですから、旦那様も恭士様も認めて下さいますよ」
静代さんは暗い目をしていた。
「ねえ、静代さん。あの山荘はなんのためにあるの?」
閉じ込めるための部屋、写真の女性。
聞きたいことは山ほどあった。
「私の口からは何も申し上げることはできません」
それから静代さんは黙ったまま、何も教えてくれなかった。
高辻の家の前に来ると、惟月さんは静代さんを降ろして言った。
「高辻社長と恭士さんに伝言を」
「なんでございましょう」
「何度奪われても奪い返す」
真剣な顔で惟月さんは言った。
「それから、俺に咲妃さんを与えて頂いたことを感謝します、と伝えてほしい。たとえ、思惑通りだったとしてもかまわない」
静代さんは深々と頭を下げた。
まるで、惟月さんにお礼をいうようなお辞儀だった。
「やっぱり高辻の家は一筋縄じゃない敵い怖い家だな」
静代さんがいなくなると、惟月さんは深く息を吐いた。
「それじゃあ、帰ろうか」
「はい」
やっと帰れることに安堵した。
この時、私が帰りたいと思っている場所は高辻ではなかったことに気付いた。
私の家は惟月さんと暮らす、二人の部屋だった。
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