第1話 高辻のお嬢様

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第1話 高辻のお嬢様

山の手にある閑静(かんせい)な住宅地には豪邸が並んでいた。 お金持ちしか住まないと有名な地域で、高い壁に囲まれた家が続く。 この地域に住むのがお金持ちのステータスだと考える人も多いけれど、生まれた時から住んでいるせいか、私はなにもそれを特別に感じずに生きてきた。 近所に住む人達は私のことを高辻(たかつじ)のお嬢さん、お嬢様と呼び、お金持ちの中でも家はなかなかの地位らしいと幼い頃から漠然(ばくぜん)と思っていた。 学校は幼稚舎から女子大のエスカレーター式で、友人も昔から同じ顔ぶればかりの慣れ親しんだ方ばかり。 通学はすべて家の運転手が車で送り迎えをしてくれたせいか、男性にはまったく無縁で女子大を卒業したものの、変わり映えのない毎日が続いていた。 お茶や日舞、琴に料理教室、いけばな教室、同じような生活をしている友人達とのお茶会、私の毎日は習い事と友人達との付き合いで過ぎていく。 それを心配した両親は私に言った。 「咲妃(さき)、婚約者の清永(きよなが)惟月(いつき)君の会社で社会勉強として、働いてみたらどうだ」 「惟月さんに迷惑ではないかしら?私、働いたことがないから」 「お父様から向こうの清永のお父様にお願いしてもらえば、大丈夫よ。それに惟月さんは専務でいらっしゃるし。咲妃を助けてくれるわ」 「そうかしら」 遊びに行くような感覚で会社に行っては迷惑でしかないと、思ってはいたけれど、世間一般的なことをしてみたい気持ちはすごくあったから、本当は両親の申し出が嬉しくて仕方なかった。 「ご迷惑でなければ、ぜひ行きたいわ」 「よし。わかった。それじゃあ、向こうには私から連絡しておこう」 こうして、私は人生初の『お仕事』に行くことになったのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 婚約者である清永惟月さんのお家は清永商事という大きな会社を経営されている。 清永商事は海外での仕事が多く、婚約者の惟月さんは大学を卒業してからの二年間、海外でお仕事をされていた。 私が成人した時に惟月さんのお父様と私のお父様が話し合い、婚約を決めたのだけど、会ったのはまだ数回だけ。 惟月さんがお正月や高辻の家のパーティーにこられた時にお話をするくらいで、私から話しかけることは滅多になかった。 婚約をしているけど、惟月さんには気軽に話しかけづらい。 それはとても綺麗な顔をしているせいで、隣に立つのも気後れしてしまうくらいだった。 惟月さんは日本人離れした色の白い肌と茶色のサラサラとした髪と瞳、立ち姿はすらりとして人形みたいに綺麗な方だった。 女性から人気があると友人達が言っていた。 「そんな方と婚約だなんて」 高辻の父が気に入って、清永のお家に話を持ち掛けたから、実現したような婚約だった。 私は一目見た時から、心を奪われてしまったのだけど。 きっと惟月さんはきっと違うわね―――それはわかっている。 だから、これはいいチャンスだと思っていた。 お互いを知るための。 「なにを着ていけばいいかしら?」 クローゼットにはスーツがずらりと並んでいたのに相応しい服装と言うものが、まったく想像できなかった。 お母様は働いたことはないし。 幼い頃から、家で働いてくれている家政婦の静代(しずよ)さんに聞くことにした。 「ねえ、静代さん。何を着ていけばいいのかしら」 「咲妃お嬢様、私の見立てでよろしいんですか」 「ええ」 「白のスーツはよくお似合いでしたよ。高辻の会社の記念パーティーに着ていかれたでしょう」 「そうね、これにするわ」 静代さんに褒められて、嬉しかったのと高辻の会社に行った時に着ていたものだったから、間違いないと思った。 「ありがとう。静代さん」 なんて頼りになるのかしら、と心強く感じた。 明日が初日。 そして、惟月さんに会える。 胸が高鳴って、なかなか寝付けなかった。
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