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「で? きみは将来、やんごとなき<魔学技術局>でなにをしたいわけ?」
頂上で大樹が見守るようにそびえる小高い丘を下りながら、ルージュさんはそう僕に訊ねてきた。
「はい、将来は開発の道に進めればと。小さい頃からの夢なんです」
「開発ねえ……」ルージュさんは空に浮かぶ雲を見上げながら言う。「で、いいわけ? あたしんとこは魔機の修理ばっかだけど、それで参考になる?」
「はい! きっと参考になります!」
僕のいきおいにルージュさんが上体を引く。
「同じ魔学技術を扱うのであれば、学べないことなんてありません。それがたとえ魔機の修理であっても。それが個人向けの小口商売であっても!」
「おまえ、失礼な奴だな」
「それがたとえ、こんな片田舎の小さな……それはそれは小さな町の隅っこにある工房であっても!」
「おまえ失礼な奴だな!」
そんなやりとりをしながら、僕らは目抜き通りから一本奥に入った裏路地に来ていた。
そこは石畳の細い道で、奥の方まで両側に家々が建ち並んでいる。どの建物も定規で引いたように高さが均一で、横幅の狭さもほとんど変わらなかった。唯一、壁の色はそれぞれ異なっており、僕の目には背表紙が並ぶ巨大な本棚のように映った。
路地から見上げる空は四角く切り取られており、道の両側から渡された洗濯ロープのせいでますます狭まっていた。
「ここだ」
ルージュさんはそんな路地にある一軒の家の前で立ち止まると、ノックを済ますなり、返事を待たずにさっさとドアを開けてしまった。
「こんちはー」
「ちょっと、いいんですか勝手に入って?」
「いいんだよ。お得意さんだし、許可ももらってるから」
案に相違なく、家の幅は狭かった。玄関のすぐ目の前に人ひとりがやっと通れるぐらいの階段があり、それが細い家の半分を占拠している。
僕はルージュさんの後ろに続いて、その階段を登っていった。
彼女の脚がぶつかりそうになって慌てて顔を背けると、壁一面に美しい女性の肖像がかかっているのに気がついた。
記録用の魔機で撮られたものだろう、舞台で脚光を浴びているもの、笑顔を浮かべた夜会服を着た人たちに囲まれたもの、窓辺でひとり物憂げに佇むものなどがあり、その被写体はどれも同じ女性だった。
そんな肖像の中の女性に見惚れ、躓きながら階段の残りを登りきった先は、階下の印象とはがらりと変わっていた。
家自体の幅も奥行きも同じで手狭なことに違いはないが、空間の半分を占拠する階段の圧迫感がない分、広々としている。
入口の反対側に位置する窓は目抜き通りの賑やかな声と心地よい日当たりを招き入れている。
簡素だが手入れの行き届いたキチネット、清潔なシーツがかかったベッド、年季が入った小さな食卓。それらが小さな空間と調和していて、僕はすぐにここに好感を持った。
「アリアちゃん、いらしゃい」
その小さな食卓についていた老婦人がにこやかな挨拶を投げかけてくる。
「毎度どうも。ばあちゃん、元気にしてた?」
「おかげさまでね。あら、そちらの方は?」
「ああ……」ルージュさんが僕に顔を向ける。「万障繰り合わせの上によるのっぴきならない事情からうちでしばらく面倒を見ることになったんだ」
「なんですか、その言いまわし」そう言ってから僕は老婦人に向き直った。「はじめまして。<王立魔学技術局>から参りましたシャルロット・ホワイトと申します。実地研修のため、しばらく<ルージュ工房>で勤務致します。町の皆さんのご厄介にもなるかと思いますが、以後お見知りおきを」
「舌、噛まない?」と、ルージュさん。
「そっちこそ」僕もやり返す。
「あら、それじゃあ中央の方ね。ようこそ遠いところをはるばるいらっしゃいました」老婦人が微笑む。「カラスといいます。わたしも以前、中央に住んでいたのよ。引退してね、それでここに移り住んできたの。もう遠い昔のことだけれど」
カラスさんが、遠くを見つめるような眼差しになる。
その黒い瞳が少し寂しげに見え、僕は頷くことしかできなかった。
「それで、今日はどんな用?」ルージュさんが言う。「水場の調整はこのまえやったよね?」
「ええ、そうね」
物思いから目を覚ますようにカラスさんは頷くと、食卓の上に置いていた魔機を差し出した。
小さな宝石箱ほどの大きさで、表面には葡萄の葉をあしらった彫細工がほどこされている。
「記音機ですか? 随分古いものですね」ルージュさんの肩越しから覗きこむようにしながら僕は訊ねた。
「何日か前に調子が悪くなってしまって、音が聞こえにくくなってしまったの。直せるかしら?」
ルージュさんは記音機を手に取ると、上蓋を開けた。中にはきめの細かい布が貼られており、その表面には赤いインクで魔術の紋様が描かれている。
「どうかしら?」カラスさんが繰り返す。
「あちこちくたびれてるけど……うん、これならすぐに直せるよ」
「本当に? 助かるわ」
カラスさんの表情がぱっと明るくなると、それだけで少女のような雰囲気になる。
階段の壁にかかった肖像の被写体が若いときのカラスさんなのだとわかるには、それだけで充分だった。
「それじゃあお願いするわね。そうそう、良い葉が手に入ったの。お茶も飲んでいってくれると嬉しいわ」
「あ、お構いなく」
遠慮する僕をよそに、カラスさんがキチネットへと向かう。
ルージュさんはそのあいだ、無言のまま食卓に置いた記音機を見つめていた。
「大丈夫なんですか? かなりの年代物みたいですし、考えられる原因も色々あるんじゃないですか?」
訊ねる僕の隣で、ルージュさんが短く持った杖を振りかぶる。
「ここはやっぱり、まず魔圧を計ってどこに異常があるのかを調べたほうが――」
構えた杖をルージュさんが振り下ろす。
こぉん! という軽快な音が鳴り響き、杖の先端に浮いている赤い宝石が大きく輝いた。
まばゆい光で目をくらませながら、僕は耳でルージュさんが杖で記音機を叩いたことを悟った。
「なにやってんですか、あんた!?」僕は目を白黒させながら叫んだ。
「なにって、修理だよ」
徐々に戻りつつある視界の中、杖を担ぎなおすルージュさんが見える。
「修理って……杖でぶっ叩いただけじゃないですか!」
「そう。ここんところを四十五度の角度で叩くのがコツだ」
「そんなことしたら余計壊れるだけ――」
と、僕はそこで言葉を切った。
それまでなんの反応も無かった記音機が息を吹き返したのを耳にしたからだ。
記音機から流れ出したのは、悲しげな旋律に乗せた美しい歌声だった。古い記音機特有の、時折ぷつぷつと入りこむノイズがかえって懐かしさを感じさせ、歌の調べに奥行きを持たせている。
「あら、もう直してくれたの? ありがとう」
カラスさんが湯気の立つティーポットとともに戻ってくるなか、僕はぽかんと開けた口を閉じられもせず棒立ちになっていた。
こんな修理方法はいままで見たことがない。僕がアカデミーの座学で習ったのも、故障原因の特定から本腰を入れた修理作業に至るまで、そのすべてが地道なものだったからだ。
「おおまかな修理はできたよ。あとは細かい調整をすればおしまいだ」
ルージュさんはそう言って記音機の内部に貼られた布を取り外した。
「中にある鉱石も光が弱まってるな……新しいのに替えておくよ。それから張り布の刻印も薄くなってるから描き直しておくか」
僕はカラスさんの淹れてくれたお茶を頂きながらルージュさんの作業をじっと見つめた。
杖を使った大立ち回りに面食らったものの、彼女はその手際も大したもので、カラスさんに故障箇所を説明しながら修理てきぱきとこなすと、その出来栄えを確かめるかのようにまだ湯気のたつお茶を美味しそうにすすった。
実際、記音機からふたたび流れた歌声は、積み重ねられた年月の味わいを損なわぬまま、さらに鮮明さをよみがえらせていた。
お茶をひと通り飲み終えたルージュさんはカップを置くと、記音機の上に指をかざして軽く振った。
まるで歌声に合わせて指揮を執ってるみたいだ、僕がそんなことを考えていると、記音機のすぐ上に、青く輝く文字がぼんやりと浮かび上がった。
自分のカバンから羽根ペンを取り出したルージュさんが、その先端を文字のところにあてがう。
彼女がペン先を走らせると、空中に残した軌跡がそのまま新しい文字に変化していった。
「なにを書いてるんですか?」
「来歴表だよ。今日の作業をこの魔機に記録してるんだ」
「ふうん。結構マメなんですね」
どんな内容ですか、と覗きこもうとすると、ルージュさんは覆いかぶさるようにして僕から来歴表を隠してしまった。
「見るな、このスケベ!」
「スケベ!?」
「ドスケベ!」
「さらにひどい言い方!」
言い合う僕らのそばで、カラスさんはカップをそっと置き、ハンカチを取り出した。ベッドのシーツと同じく清潔で、真新しいハンカチだった。
「よかったわ」カラスさんが言う。「直してもらえて本当によかった……これはね、中央にいたときに記録してもらったわたしの歌声なの。あの頃はなにもかもがきらびやかだった。この思い出があるから、わたしはこうして生きていられるの……いやだわ、こんなふうに過去の栄光にいつまでもすがっているなんて」
「いえ、そんなことは……」僕はかぶりを振った。「大切にされている思い出なんですね」
カラスさんがハンカチで目頭をおさえる。
溢れそうになった涙は喜びからか、それとも悲しみによるものなのか。あるいは単に陽の光が目に染みただけなのか。僕はその答えを訊くことはできなかった。
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