白銀の魔法使い 惨の四(3)

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白銀の魔法使い 惨の四(3)

「ところで、お前、どうやって家の中に入ってきたんだ? この長屋には対桜花変態専用の決戦仕様殲滅結界陣を仕掛けておいたのに、どうして無傷のままなんだよ? 普通ならとっくにこの世にいないはずなのに……何故、生きている?」  この長屋には桜花にだけ反応する特別な迎撃結界が施されている。  その名も『侵入してきた桜花を血肉諸共魂まで木っ端みじんに消し去っちゃうぞ決戦殲滅結界陣』である。  わたしの持てる魔法科学の粋を結集して作ったその結界は、たとえ魔王クラスの魔障が入り込んできても撃退できると自負している。滅ぼすことは出来なくても、無傷ではいられないはずだ。なのに、先刻、桜花は無傷でわたしの部屋の前に佇んでいた。本当なら腕の一本でも爆ぜているはずなのに……なんでだ??? 「あら、そんなの簡単ですよ。結界が発動する前にお家の中に入ってしまえばいいんですからね」  桜花は湯呑をテーブルの上に置くと、至極当然のように呟いて微笑んで見せた。 「そんなの不可能だ。結界はわたしが留守のときにも稼働している」 「でも、玄関の鍵を開けた瞬間だけは一時的に停止する。そして、リンちゃんがお家の中に入るのと同時に自動的に再稼働する。甘いですね、リンちゃん。ここの結界が侵入者に対してのみ発動することは承知済みですよ」 「いや、だから、それが不可能だって云っているんだ。昨晩、わたしと一緒に玄関から入ってきたわけじゃあるまいし……ってまさか!?」  昨日、アズマの背中を見送った後、踵を返して家の中に入ろうとした瞬間のことである。  突然、粘着質な蛇のような視線と獰猛な肉食動物が放つような吐息を背後に感じ、とっさに振り向いた。だが、そこには誰もおらず魔障の気配も感じられなかった。  その時、わたしは仕事の疲れが溜まっているんだろうな、と思い、単なる気のせいだと片付けてとっとと家の中に入ってしまった。  仕事の疲れと満腹のせいもあって、わたしはベッドに潜り込むとすぐに眠りに落ちた、のだが……まさか、その時か!? 「その通り、ご名答です、リンちゃん」  やけに晴れ晴れとした笑顔で桜花は即座に反応した。 「ひとの心の中を勝手に読むな!! っていうか、お前、単なる変態じゃなくってストーカーでもあるのか!!! ひとの家に勝手に入ってくるんじゃない!!」 「人聞きの悪い。わたしは単に約束を守っただけですよ?」 「約束って……?」 「アズマから聞いてませんでしたか? 今日、四月一日の午前中にお邪魔しますよって」 「いや、わたしは昨日の話をしているんだ!」  刹那、わたしの脳裏をとある記憶が過った。  わたしはベッドに潜り込む前、爆散くん目覚まし時計を朝の七時にセットした。そのとき、時計が指していた時刻はたしか午前零時十分。  おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、おおーい!!  たしかに午前零時も午前の時間に含まれるよ? でも、それは明らかに常軌を逸しているんじゃ……って、相手は桜花だった!!!  わたしは思わず、してやられた! と、顔を悔しさに歪めた。  それじゃ、あの時にはもう、桜花は家の中に『居た』ということになる。ということは同じ屋根の下で一晩中、わたしは野獣と二人きりで呑気に寝息を立てていたということか!? 「さすがはリンちゃん。わたしでもあの結界を突破するのは容易なことではありませんでした。でも、リンちゃんの一瞬のスキをついて縮地法で家の中に侵入するのは造作もないこと。おかげで、一晩中、リンちゃんの香りを廊下から堪能できたので極楽にいるようでしたよ」  再び衝撃的な事実がぽろっと桜花の口から零れ落ちてきた。  ということはこいつ、一晩中、わたしの部屋の前で佇んでいたっていうのか!?  その光景を想像してしまい、わたしは恐怖に全身を凍てつかせた。 「さて、お茶も飲んで一息ついたところでお仕事のお話をしましょうか」  桜花はそれまで浮かべていた柔和な笑みを取り除くと、眉根を寄せてわたしを凝視した。  わたしも魔障探偵だ。相手が桜花(変態)であろうと、仕事の話しとならば真面目に対応するしかない。  わたしは疲れた身体を起き上がらせると、衣服の乱れを正して桜花に向き直った。  無言のまま、わたしは桜花と対峙すると、一瞬だけ張り詰めた空気がその場を支配する。  桜花はおもむろに口を開いた。 「報酬は一億円をキャッシュで。内容はとある魔障事件の調査と発生原因の究明を。解決の必要はありません。ですが、もし事件を解決した場合は更にボーナスとして同額を上乗せいたします」  一億円、の単語を聞いたと同時に、わたしの目の色と態度は180度豹変する。  その瞬間、わたしの中で桜花は迷惑な客から最上級のVIPに変貌した。  わたしはすかさず事務所の戸棚にあった上物の茶菓子を桜花の前に差し出した。御茶も淹れ直す。ティーバッグの安い緑茶じゃなくて玉露の茶葉だ。  湯呑から注がれた玉露の湯気が立ち上ると、桜花は目を細めて「ありがとうございます」と云うと、湯呑を口に運んだ。  一億一億一億……一億円だって!!!!?  天にも舞い踊るような気持ちとは、まさしくこのことだろう。  わたしは込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。  破顔したわたしの表情は、まるで溶けた餅のようにとろけていたに違いない。 「期限は一年。成功報酬は事件の原因の究明を最低条件とします。事件解決は考慮する必要はありません」 「本当に事件の調査と原因の究明だけでいいの?」  もちろん、と桜花は頷いて見せた。 「これは魔障探偵であるリンちゃんにしか達成不可能の案件です。わたしの戦闘特化型の魔法では相性が最悪、というよりは、ぶっちゃけ、なんにも出来ません。その点、万能型のリンちゃんの魔法ならまさしくうってつけ。むしろ、あなたに出来なければ依頼の達成は世界中の誰にも不可能でしょう」  桜花の魔法は戦闘特化型と呼ばれ、対してわたしの魔法は万能型と呼ばれる。  同じ魔法使いでも様々なタイプに分けられるのだが、簡単に説明すると桜花は脳筋でわたしは器用貧乏ということ。  桜花の魔刀術と呼ばれる魔法は戦闘以外の用途がない。故に戦闘特化型と呼ばれる。  逆にわたしの魔法は戦闘や治癒、探査、調査などなんでもできる反面、すべてが平均値なのだ。  報酬額が一億円、と聞いたときは喜びの後に疑念が生まれた。しかし、事件の解決ではなく調査と原因の究明だけなら問題はない。可能なら欲を出して解決も目指そう。それが面倒なら適当に仕事をこなして一億円だけもらってサイナラ、というのも悪くはない。期限が一年もある、というのはかなり魅力的だ。一年間、ダラダラと適当に仕事をすることも、ぱぱっと片付けて、その後はしばらく遊び暮らすという二者択一を自由に選ぶことが出来るからだ。  わたしの脳裏を悪代官と越後屋が悪だくみをしている光景が過った。  そのどちらもわたしと同じ容姿をしていた。 「越後屋、お主も悪よのう」 「いえいえ、お代官様こそ」  そして、わたしと同じ顔をした悪代官と越後屋は悪そうな高笑いを上げた。 「では、もし他に質問がなければ契約書にサインを」  そう云って、桜花はわたしの前に契約書を差し出した。  一応、わたしは契約書に目を通す。それにはいつもの様に魔障事案に対する解決要請の定型文が記載されていた。うん、大丈夫。いつかやられた詐欺まがいの契約内容ではない。内容も調査のみ。詳細は現地ガイドにて。戦闘もないらしいから、解決難度の設定もなし、と。ま、いいだろう。調査のみでこの報酬額、というのが気掛かりだけれども……。  その昔、まだ魔障探偵の駆け出しの頃、わたしは桜花に契約書詐欺で酷い目に遭わされた過去があった。それは思い出すだけで全身が怒りと殺意に震えてくる。おかげで用心深くなったので、その点に対してだけは桜花に感謝している。  どんな酷い目に遭わされたのか、だって?  二度と思い出したくない辛い過去、とだけ答えておくよ。  いや、本当、真面目に駄目なんだ。思い出すだけで、この変態桜花に対して激しい殺意が芽生えてしまうんだから。もう止め。この話はナシ。ガクブルガクブル。  わたしは意気揚々と契約書にサインをした。  契約書を受け取った桜花はサインを確認すると、口の端をニィ、と吊り上げて邪な笑みを浮かべた。  それはまさしく邪悪な女神の微笑だった。
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