白銀の魔法使い 惨の二

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白銀の魔法使い 惨の二

 北海道牧真琴市の港通りにその廃墟と化したホテルはあった。  そこは地元民には有名な心霊スポットで、夜な夜な若者たちが肝を試す場所として訪れている。  過去には不届きな侵入者によってボヤ騒ぎがあり、消防車が何台もかけつける大騒ぎになったこともある。  そのため、牧真琴市はこれ以上重大事件が起こる前に税金を使ってホテルの解体を決定。  しかし、その頃から別の問題が発生し、未だに解体作業は手つかずのままだった。  その日は雲一つない満月の晩だった。  廃墟となったホテルの一室に、銀色の少女の姿があった。  頭には無地の黒色の帽子を目深に被っている。そこから溢れ出した豊富な銀色の髪をベッド代わりにして床の上で大の字になって横たわっていた。  新雪のように真っ白で清らかな肌。赤紫の瞳はルベライトのような輝きを放ち生きた宝石のよう。体全体を覆えるほどの潤沢な銀髪は月明かりに照らされてこちらも宝石のような輝きを放っていた。  幼いながら美しさが際立った顔立ち。一言で雪の妖精と表現しても過言ではない。  彼女の名を明野リン。世界で唯一の魔障探偵である。  リンは床の上で横たわりながら、崩れた天井の隙間から見える満月を眺めていた。  リンは不意に満月を掴もうと手を伸ばす。  今よりもずっと昔、物心つく頃から繰り返し行ってきた癖のようなもの。何度試みても結果は同じ。月を捕まえることはできず宙を掴むだけ。十歳にもなればそんなことは分かりきっている。でも掴まずにはいられないのだ。  リンは軽く嘆息すると月を捕まえるのを諦めて、組んだ両手を起伏のない胸の上に置いて目を閉じた。  すべての意識を聴覚に集中させる。  すると、床を通して背中に微かに振動を感じた。  コツコツと足音がこちらに近づいてきていた。 「来たね」  リンはそう呟くと立ち上がって入り口に向いた。  足音がドアの向こう側で止まる。  ガチャリ、ドアがゆっくりと開いた。  リンは着ていたパーカーのポッケに両手を突っ込むと口元に微笑を浮かべた。  ゆっくりと開いたドアの向こうからまばゆい光がリンを照らした。 「こんな時間になにをしているんかね?」  中年男性の声が光の向こう側から聞こえてきた。  男は手にしていた懐中電灯の光の先をずらすと、驚いた表情を浮かべた。 「きみ、どこから入ってきたんね? 子供がこんな夜遅くにこんな場所に居てはいかんぞ。ただでさえ崩れ落ちそうな場所がここにはたくさんあるしね。最近じゃ物騒な連中がこの界隈にはいるらしいから危ないよ」  男はリンに手を差し伸べると「さ、行こう。おじさんが外まで連れてってやるべさ」と屈託のない笑みを浮かべて云った。  しかし、リンは男の手には触れずに目の端を綻ばせると「おじさん、遊ぼ」と静かに云った。 「遊ぶってなにしてかね?」 「あやとり」と、リンは満面に笑みを浮かべた。 「馬鹿を云っちゃいかん。とにかくここは危ないんじゃ。お嬢ちゃん、遊びはお家に帰ってからなんぼでもすればよかろうが」 「いいからこっちに来てよ。ちょっとでいいからわたしと遊んでよ。ね? いいでしょう? そうしたら云うこときくからさ」  男は嘆息すると、「仕方ない。ちょっとだけやぞ」と部屋の中に入ってきた。  リンは目の端で男が部屋の中に完全に足を踏み入れたのを確認すると、それまで浮かべていた柔和な笑みを消し去り、獲物を捕らえた肉食動物のような狡猾な笑みを浮かべた。  豹変したリンの表情を見て、男は一瞬、驚きに身体を強張らせた。  リンは無言のまま素早い動きで持っていた銀糸でなにかを作る。  一秒にも満たない時間でリンの手にはあやとりで作られた十字架が出来上がっていた。 「魔滅十字の印」  リンがそう呟くのと同時に、あやとりで作られた十字架から赤色の閃光が男に向かってほとばしった。 「ぎゃあ!!?」と男の叫びが上がった。  男は自分の胸に激しい痛みを感じた。見るとそこには十文字の焼き印が施され、焼き印の傷口から蒼炎が燃え盛っていた。  男は熱い熱い、と床に転がってのたうち回る。その表情が苦悶に歪んでいた。  恐怖に顔を歪めながら、男は恥も外聞も投げ捨てて四つん這いになって逃げ出した。  しかし、男が出ようと指先をドア口に伸ばした瞬間、バチっと電気が弾けるような衝撃が指先に走った。 「な、なんだ、これは!!?」  男は振り返ると、焦燥にかられた視線をリンに向けた。 「残念だけれども、ここはわたしの結界のなか。ほら、見てごらん」  リンに云われるがまま、男は視線を部屋中に向ける。  視線の先に光り輝く銀糸が見えた。しかも部屋のいたるところ、天井から床、埃の被ったベッドやテーブル、椅子まで。ありとあらゆる空間に銀糸が生きているかのように蠢いていた。 「なんなんだ。お前、いったいなにもんなんだ!!? お、オレをどうするつもりだ!?」  男は子供のような悲鳴を上げると両手で身をかばうように縮こまった。  リンは男の質問には答えようとはせず、品定めをするような冷たい眼差しを男に向け、ただ凝視した。  永久とも思えるような静寂が一瞬だけその場を支配していた。  その沈黙を破ったのはリンの嘆息だった。  リンは嘆息しながら「つまらないな」と呟いた。 「そもそもおじさん、何者なの? ここの管理人……じゃないよね?」  リンは首を横に倒すと、美しい顔立ちに感情を込めずに男に問うた。 「い、いや、オレは近所のもんで。自発的にこの辺りを見回っていたんだべさよ」 「近所のもの、だって? ここに棲んでいる、の間違いじゃないかな?」  リンは人形のような眼で口元だけゲラゲラと笑って見せた。  刹那、男の表情から怯えた色が消失する。 「それ、どういう意味だべよ?」 「それはおじさんが一番分かっていることでしょう?」  リンは首を元に戻すと、年相応の少女の可憐な笑顔を浮かべて云った。 「知ってる? 近頃、このホテルの周辺で行方不明者が多発しているんだってね。この三ヶ月で30人も。その中には下見に来た解体業者のひとも数に入っているらしい。おじさん、なにか知らない?」  男は立ち上がると、リンの質問には答えずただほくそ笑んだ。  笑った男の口が耳元まで裂けた。腕が肥大し着ていたシャツが爆ぜるように裂けた。太ももが丸太のように膨れ上がった。  変身という表現が正しいだろうか。男は一瞬で牙を生やした怪物の姿に変貌した。 「いつからオレの正体が分かった? 自慢じゃないが、変化の術は得意な方だったんだがな」  かつて人間の姿をしていたものーー鬼はリンに問うた。 「最初から。わたしは依頼を受けてこの廃墟のホテルにやってきた。ひとを喰うものを滅ぼしてくださいってね。それで魔障にしか反応しない結界を張って待っていたらお腹を空かせた小鬼ちゃんがやってきた。それだけの話さ」  小鬼、という言葉に鬼は微かに反応すると肩眉を吊り上げた。 「小鬼とは、誰のことを云っている、小娘」  怒りで充血した大きな眼で鬼はリンを睨みつけた。  リンは両手から銀糸を垂らすと不敵な笑みを浮かべ云った。 「おのれ以外、誰がここにいるというのか、愚かな小鬼よ、だね」  リンの言葉が終わるや否や、部屋中に蠢いていた銀糸が鬼に襲い掛かった。  銀糸は鬼の腕や足、胸や腰、全身をくまなく覆った。 「お前がこの部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、勝敗は百%決した。我が銀糸から逃れる術はお前にはない。大人しく我に浄化されよ、と格好つけて云ってみたよ」 「ふん、こんなあやとり糸なぞに縛られるオレではないぞ。見ていろ。こんなもの、いますぐ引き裂いてくれるわ」  全身全霊の力を籠め、鬼は銀糸を引きちぎろうとする。  だがーー。 「な、なんなんだ、この糸は!!? 引き千切れん!!?」  鬼がいくらもがこうとも、銀糸は切れる様子はない。それどころか、もがけばもがくほど銀糸の締め付けが強くなった。  思わず鬼は片膝をつく。その表情から余裕が消失し、再び焦燥が浮かぶ。 「これはただのあやとり糸じゃないよ。一応『銀后糸』なんて御大層な名前を持つあやとり糸さ。代々『三光家』の魔法使い家に伝わる由緒正しい魔導具でね、小鬼ごときにどうにか出来る代物ではないよ」  そう云って、リンは右手の人差し指にまとった銀糸を軽く巻き上げた。  たちまち、銀糸の圧力が強まり鬼は苦悶の表情を浮かべた。 「自慢じゃないが、ちょっと魔力を込めれば銀后糸は金剛石も軽々と断つよ。あと指一本。指一本に豆腐を貫く程度の力を込めれば……どうなると思う?」  リンは右手に垂れ下がった銀糸を鬼にこれ見よがしに見せると、殺人鬼が浮かべるような残酷な笑みを浮かべた。 「試しに片足でも切断してみせようか?」  銀色の少女の氷のように冷たい声が、鼓膜を通して鬼の心を恐怖で凍てつかせた。 「ま、待ってくれ!!」  鬼の額から脂汗がダラダラと流れ落ちた。  銀糸に囚われた巨躯がブルブルと震え、まるで追い詰められた小動物のように怯えていた。 「おじさん、まさか助けてくれ、とでも云うつもりかい?」  鬼は壊れたくるみ割り人形のように何度も首を上下に揺らす。 「に、人間を喰ったのは謝る!! だから、浄化するのだけは勘弁してくれ」  リンは深く嘆息すると「つまらないな」と呟いた。 「謝る必要はないよ。人間だって生きるために他の生物を糧としている。おじさんが行ったのは無意味な殺戮でも快楽的な殺人ってわけじゃないんだろ? だったら、胸を張って云えばいいよ。生きるために仕方のない行為だったってさ」 そう云って、リンは柔和な笑みを浮かべた。  鬼の表情がたちまち和らいだ。  しょせんは小娘よ。少し情けない姿をみせただけで油断しおる。このあやとり糸を解いたが最後、ひと飲みに喰らってくれるわ。  鬼は凶暴な面相に引きつった愛想笑いを浮かべ胸の裡でごちた。 「だから、これもわたしが生きていくために仕方のない行為なんだって、おじさんだったら分かってくれるよね?」  そう云うのと同時に、リンは右手に手繰った銀糸を容赦なく引いた。その表情はやけに晴れ晴れとしていた。  ぎゃ、と鬼の小さな悲鳴が室内に響き渡る。  周囲に飛び散る鬼の四肢。  リンはすかさず両手で銀糸を手繰ると、あやとりで魔法陣を作った。 「浄化の印」  リンのあやとりで作られた浄化の魔法陣は周囲の穢れを浄化する。魔法陣から放たれた蒼色の光は室内を照らし出し、四散した鬼の肉片は血の一滴まで床に落ちる寸前で淨滅した。  魔障は死の間際、周辺に呪いをまき散らすことがほとんどだ。  呪いに汚染された場所は新たな魔障を呼び寄せる。そうならない為に、魔障を滅ぼした後も十分なケアが必要なのだ。  鬼が完全に消滅したのを確認すると、リンは天井を見上げる。  崩れた天井の一角から満月が顔を覗かせていた。 「満月、きれい」  リンはそれだけ呟くと、ぴょいっと、部屋の窓から飛び降りた。  そこはホテルの屋上に近い部屋だった。  リンはパーカーのポッケに両手を入れた状態で、足から垂直に落下していった。スカートが大胆にめくれ上がるのは全然気にしない。  そして地面に衝突する寸前、全身に纏った銀糸がそれを阻止した。ホテルの屋上まで伸びた一本の銀糸が地面すれすれでリンの華奢な身体を支えていたのだ。  ぶらーんと、宙に浮いた状態のリンは屋上に伸びた銀糸を解除すると、ぽん、と両足から地面に着地した。  それと同時に、周囲に張り巡らされていた銀糸は一陣の風を巻き起こすと、リンの豊富な後ろ髪の中に吸い込まれるように消え去った。  もう一度、リンは満月を見上げると「本当にきれいだな」と屈託のない笑顔を浮かべた。  くしゅん、と、リンの口から可愛いくしゃみが響く。  三月の末とはいえ、北海道はまだ冬の中。雪はまだそこら中に残っている。 「しばれる。凍死するべ」 「おぉーい、リンちゃん、お仕事は終わったかい?」  やけにとぼけた感じの声が後ろから聞こえてきた。  声に振り返ると、そこにはとぼけた感じの顔をした中年の男性が笑顔で歩いてくる姿が見えた。 『彼の名は拓勇アズマ。一応、わたしの保護者をやらせている、ただの魔法使いのおじさん、である』
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