白銀の魔法使い 惨の四(1)

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白銀の魔法使い 惨の四(1)

『朝だよ、朝ですよ、起きなさい、起きて、おーきーて!! 起きろ、クラァ!!! でないと爆散しちゃうよおおお!!?』  ベッドの中で昏々と眠っていたわたしを目覚めさせたのは、国民的人気のアニメキャラの目覚まし時計の声だった。  名前を『爆散くん』。なにか気に食わないことがあれば爆散して解決するとても危険なアニメ作品のキャラクターである。  何故か子供を中心に人気のある爆散くんであるが、わたしにはなにがいいのかさっぱり理解できない。少し気になったのでTVで見てみたのだが、これがとても常軌を逸していた。  その内容とは、作中で大好きな女の子を別の男の子に取られてしまった爆散くんは、悔しさのあまりその男の子の家に突撃すると爆散して一家もろとも爆死させる、みたいな内容だった。  コメディタッチで描かれているが、正直笑えない。ドン引きだった。  しかも、CMの後の弐話目では殺された男の子は普通に生き返っていて何事もなく学校に登校していた。そして、加害者である爆散くんと普通に楽し気に会話をしているのだから、シュールなことこの上ない。  このとき、わたしはお年寄りがよく口にする「世も末じゃ」という言葉を初めて理解したのだった。  子供に人気がある、というだけの理由で去年、アズマにプレゼントされたものだが、朝の憂鬱なときにこの声を聞かされたらたまったものではない。正直、いまこの瞬間もこの目覚まし時計に対して激しい破壊衝動がこみ上げている。  本当にぶっ壊したい。  でも、この苛立たしい声のおかげで確実に目覚められるのも事実。アズマからのプレゼントということもあり、いまもわたしの心の裡は、こいつに対して鉄拳を振り落とすかどうか葛藤していた。  葛藤の末、わたしは必死に欲望を心の底にしまい込む。 『へへ、それじゃ爆散しちゃうぜ。あばよ、クソガ……』と目覚まし時計に最後の決め台詞を云わせる前に、わたしは頭の上にあった解除ボタンを乱暴に押した。  解除ボタンを押した後、目覚まし時計は『お前の一撃、おれの信管に響いたぜ』とわけの分からない決め台詞を残してようやく沈黙した。  時計の針を見ると時刻は七時ちょうど。  わたしは寝ぼけ眼をこすりながら、大きな欠伸をして起き上がる。 「アーズーマー。今日の朝ごはんなにー?」  いつもなら、木目の荒いドアの向こう側にあるキッチンからアズマの声が朝食の献立を報せてくるのだが、今朝は静かだった。炊飯器の音もみそ汁の匂いも、目玉焼きが焼けるバターの香ばしい匂いもしてこなかった。 「ああ、そういえば、あいつ、出張していたんだった。たしか登別に行っているんだったっけ……?」  となると、朝食は自分で用意しなければならない。  面倒だ。仕方ない、パンでも焼こう。それと牛乳。  食べるのは好きだけれども、作るのは正直苦手だ。寝て起きたら食事が用意されていることがどんなに幸福なことなんだろうと、改めて身に染みる。  正直、血も繋がらない義理の娘のために、毎朝の食事を用意してくれるアズマに対しては感謝の言葉しか見つからない。仕事の時間が合うときは必ず夕飯の用意もしてくれる。お弁当だってよく作ってくれる。しかもお世辞なしに料理の腕前はプロそのもの。もしアズマが女性に生まれてきていたら、きっといいお嫁さんになっていたに違いない。  そのとき、わたしは昨日のアズマの言葉を思い出した。 「あ、そうそう、云い忘れていたことがあったわ。明日、午前中にギルドから仕事の依頼にお偉いさんが事務所に来るってさ。桜花から伝えるように云われていたのすっかり忘れていたわ」  旅行鞄を持ったアズマは振り返ると、心底能天気に笑って云ってみせた。  桜花、の名前を聞いてわたしは思わず背筋をゾクリ、と震わせる。 「だから、明日はオフだからっていつまでも寝ていたら、めーだぞ」 「うう……せっかくのお休みなのに……そんな勝手に決められても」 「高額報酬の依頼だって桜花が云っていた、としたら?」  高額、の言葉に、わたしは夜空に煌めくお星さまの輝きを赤紫の瞳に宿らせた。  仕方ない、とっとと起きよう。  わたしには壮大で途方もない夢があるのだ。  その為にはもっともっともーーーーーーっと稼がなくてはならない。  魔導ギルドのお偉いさんとやらは、恐らく十時か十一時くらいまでには来るんだろう。  時刻はまだ朝の七時をちょっと過ぎた頃。時間にはかなり余裕がある。  まずはシャワーを浴びて、それからパンを焼いて牛乳と一緒に朝食を採ろう。それから撮り溜めておいたおいた『爆散くん』のアニメを幾つか鑑賞する時間があるな。コーヒー牛乳とビスケットを用意してしばらく堪能しようか。  そう思いながら、浴室に向かおうとドアを開いたときだった。  わたしは己の不用心さを心の底から呪った。    目前に佇むソレーー。  ソレを目視した瞬間、わたしは全身を凍結させた。  わたしの目の前には着物姿の一人の女が佇んでいた。  頬はこけ、肌は青白い。目はうつろで口元からは呪詛のような呟きが早口に吐き出されている。  まるで幽鬼のような風貌でドス黒いオーラを全身から放っていた。  恐怖、絶望、恐慌、など様々な負のオーラがわたしの心の中を駆け巡った。  ここは、実はただの長屋ではない。  魔障探偵を名乗っている以上、寝ている間に住処が魔障に襲われても大丈夫なように三重の結界を張っているのだ。  一つはもちろんあらゆる魔障に対して。  二つは対人用に。敵対する同業者と泥棒対策に人間に対しても発動するセキュリティが仕掛けられている。  三つめは、そう、この目前に佇む脅威に対してであった。  どんな魔障や魔神よりも恐ろしい存在。  ソレに対して、いかなる対処方法も無力であると、わたしは痛感した。  すべての結界が無力化されていたのだ。もはや、ソレに対して為す術がない。  ギョロリ、と着物の女はわたしを凝視した。  その口の端が耳元まで裂けた、ような錯覚を起こす笑みを着物の女は浮かべた。  わたしは思わず「ヒッ!」と小さな悲鳴を漏らした。  様々な魔障を屠ってきたわたしでさえも、ソレに対しては恐怖しか感じなかった。  目の端から一粒の涙が零れ落ちた。  泣きじゃくりそうになりながらも、わたしは無意味な抵抗を試みようと、両手に銀糸を手繰らせる。  しかし、あやとりで魔法陣を作る暇も与えられず、女は瞬時に姿を消した。  わたしが女の姿を視認し、恐怖し、無駄な抵抗を試みようと要した時間は未だに一秒にも満たなかった。それでも、女はわたしの行動のはるか先をいっていた。  冷たい両の手が、わたしの首を優しく包み込んだ。  首に伝わった指先の感触からは、生者の温もりは微塵も感じられない。あるのはただの絶望。  恐怖のあまり、わたしは両手から銀糸を滑り落してしまった。
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