第一章 学び舎に八重桜が笑む

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 足の運び方は覚えていた。  お盆を瓶掛(びんかけ)の前に置いたら、一度出て建水(けんすい)を持って来る。  お盆を持ってお客様の方へ向き、建水を左膝に進める。 大丈夫。覚えている。  他の手順も、多分合っている。  でも、つい手が逆になりそうになる。日常生活では気にすることがないが、茶道では気にしなくてはならないから。  お茶杓(ちゃしゃく)を持つ手が震えてしまう。  「お菓子をどうぞ」とすすめる声も裏返ってしまい、お(なつめ)を開けて抹茶をすくおうとしても、上手くすくえない。2匙茶碗に入れるのだが、2度全く掬うことができず、4回同じ動作をしてしまった。鉄瓶(てつびん)のお湯を注ぐのも、おっかなびっくり。  お茶筅(ちゃせん)を右手で持ち、左手で茶碗を押さえ、お茶を点てる。  裏千家では、お茶の表面は細かい泡を敷き詰めるように点てるのだが、私はいつものようにまだらになってしまう。  やばい。悔しい。  正客(しょうきゃく)(一番客のこと)役の先輩は何も言わずに飲んでくれたけど、言わなかっただけだ。鼻で笑われた。  使った道具をお盆の中にしまいながら、目の周りは火が噴きそうに熱くなる。  やっぱり、駄目だった。 「はい、大丈夫です」  先生の声がかかったところで緊張の糸が切れ、いけないとわかっていても涙が出てしまった。 「ごめんなさい、全然できなくて」  いいえ、と先生は首を横に振る。 「野村さん、左利きなのね」  周りの先輩達がどよめいた。動じないのは、正客の先輩だけだ。  先生はお見通しだった。  私は、左利きだ。  茶道は、ほとんどの動作は右手がメインになる。  左利きであっても、お茶筅やお茶杓は右手で持ち、帛紗(ふくさ)も右手で使う。  礼儀作法の流派では、使いやすい方の手を使う、と言われているが、茶道では言われない。  もしかしたら、利き手がメインでも可という時代が来るかもしれない。  でも、その風潮は今のところ皆無だ。 「左利きだなんて、全然わからなかった。野村さん、上手いよ」  先輩のひとりが言ってくれた。お世辞じゃないみたい。目が赤くなっている。 「一回一回の動作に心がこもっているように見えて、真剣にやっているのがわかったよ。……あの子には、私から言っておくから」  あの子、とあごで示されたのは、正客の先輩だった。早くも()点前のお稽古を受けている。  部活動の終了時間である18時までいさせてもらって、三原早苗と一緒にキャンパスを出た。 「野村さん、今日はありがと。一緒に頑張ろう?」  ね? と小首を傾げられ、私はまた目頭が熱くなってしまった。  私はまたをやって良いんだ。  茶道部(ここ)にいても良いんだ。
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