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幼少だった私の背丈ぐらいの引き出しから、体温計を取り出そうとして、落としてしまったのだ。ケースはなく、剥き出しのままガラス戸のついた物入れの引き出しに入っていた水銀体温計。
割れた体温計から銀色のぷにぷにしたモノが散らばった。それらは見たこともないような異様なモノで、割ったことが母にバレたことを思うと空恐ろしくなり、夢中でぷにぷにを手で集めようとしたがこれがなかなかうまくいかない。私の手からぷにぷにが逃げていくのだ、まるで生きているかの如く。
それでもなんとか拾い集め、古新聞にくるんで大きいゴミ箱に捨てた。
それから数日間、私は呵責の念に苛まれていた。母に黙っていることに限界を感じ、勇気を振り絞り、
「お母さん、体温計…」
とぼそっと言うと母は
「ああ、新しいの買ってるからね。熱ありそうなの?」
と言った。
「前の体温計は…」
「あれね、おじいちゃんが割ったのよ。」
えっ?!
私には訳がわからなかった。
割ったのは私、のはず。なのに…。でもその疑問を母に聞くことはなかった。聞いてしまえば、自分が責められることになりかねない。普段は穏やかに見える母だが基本的に気が短く、怒るとヒステリックになり口と手の両方でやられる。
もちろん、これは私だけの記憶だ。
私の記憶が正しければ、祖父が私を庇ってくれたのだろうか?
しかし、どこか釈然としない。あの時、誰もいなかった。私は誰かが来る前に慌てて処理したつもりだった。
60年以上前でも自分が生まれた後なら、タイムスリップは可能らしい。
そして、日付が確定できていなくてもパネルにいくつかキーワードを打ち込めば、候補リストが表示される。それを選択すればいいのだ。
ラバドリームのドアを開けられるのは登録者のみだが、それも1日1回と縛りがあった。いくら登録者でも、日付が変わらなければドアは開かない仕組みになっていた。
そして、タイムスリップは1箇所につき30分。30分を超えると強制帰還させられる。1日の中では時間制限はないがラバドリームの中には衣服以外何も持ち込めない。服に付いたファスナーやブラジャーの金具もアウトだ。ラバドリームを購入するときに専用のスウェットスーツが付属品として付いてくる。面倒な人はこのスウェットスーツに着替えて入ればいいのだ。
私もこの専用着に着替えた。もちろん、スマホも持ち込めない。因みに、体に心臓のペースメーカーや血管を広げるステント、骨折の際のボルトなどが埋め込まれている人はそもそも登録する時点でアウトとなる。
私の夫は、若い時の交通事故で太ももに埋め込んだボルトがあり、それは一生取り除かない物らしく、ラバドリームの購入を断念したひとりでもあった。
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