ep.4 一歩下がって二歩曲がる

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 結局、流されてしまった。  自室まで帰ってきて、横にさせられる。  なんでこんなことになってるのか。  ベッドの上、まな板の上の鯛みたいな気持ちでぼんやり壁を眺めていた。  岩片も岩片で俺を一人にするつもりはないらしく、ソファーにふんぞり返って座ってはテレビを見ていた。  早く教室に戻れよ、こいつ。それとも本当はただ授業をサボるための口実だったのではないか?とも勘繰ってしまう。  こうなったらヤケだ。今のうちに休んであとから能義たちに会いに行こう。そう思って目を瞑るが、このベッドで昨日岩片と何をしたのかということを思い出しては思考が乱される。  ……昨日は気絶するような形で意識を飛ばしてしまったが、よく眠れたなと思う。  考えるなと思うほど鮮明に蘇り、本当に具合が悪くなってしまいそうだった。  俺は今までどんな顔して岩片と話してたのだろうか。  昨日今日のことなのに、いつも通りが分からなくて、モヤモヤして、気持ち悪い。 「……寝てんのか?」 「……寝てる」 「へーそうかよ。……飲み物買ってくるけどなんかいるものあるか?」  岩片が自分で買い物行くなんて。  驚いて、思わず俺はベッドから起き上がっていた。  そんな俺に「なんだよ」と岩片は片眉を上げた。  いつもの岩片なら俺を叩き起こしてでも買い出しに行かせそうなものを、それとも俺が具合悪いから配慮してくれてるのか。どちらにせよ、今までの岩片からは考えられない言動に驚いた。  別に、ほしいものなんかない。  けど、珍しく岩片の方からそんなことを言い出すのだ。これからはもうそんな日、二度とこない可能性もある。 「……アイス」 「何味?」 「……コーラがいい」 「そんなもの食って腹余計下さねえの」 「熱っぽいから、冷たいのが食べたいんだよ」  岩片が気味悪い優しいから、どこまでのものかちょっとワガママを言ってみれば岩片は「どうなっても知らねえぞ」と溜息ついた。  それから、鍵を手に取りそのまま玄関から出ていく。  ……本当に俺の言う事聞いてくれるのか。  まだ夢心地のような気分のまま、俺は岩片が出ていったあとの扉をぼんやり見ていた。  熱っぽいのは嘘ではない。  まあ、元々体温高い方ではあるけど、それでももしかしたら幻覚か、或いは白昼夢でも見てるのかもしれないと疑わずにいられなかった。  なんだよ、あいつ。どういう風の吹き回しなんだ。  喜びとか嬉しさとかそんなものよりも疑心の方が上回るのは岩片の性格を知ってるからだろう。  ……岩片も岩片なりに昨日のことを反省してるのか?  そう思ったが、あの色ボケ野郎が今更そんなことを考えるとは思えない。  やめだやめだ、これ以上あいつのことを考えてたら今度こそ知恵熱でも出してしまいそうだ。  そう無理矢理思考を振り払い、布団に潜る。  が、余計に熱くなって、俺はベッドから降りてソファーに座ってテレビを見ることにした。  程なくして岩片は戻ってくる。片手にはビニール袋。 「ん」と言いながらそれを差し出してくる岩片。  中を見れば俺の言っていたコーラ味の棒アイスが入ってる。 「それでいいのか?」 「あ……ありがと」  まじで買ってきたのか。  取り出せば、それは俺が何度か食べたことがあるアイスだ。  メジャーなアイスだしたまたまあったから手に取っただけだろうとは思うが、まさか俺が食べていたのを覚えてたのかと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしくなる。  岩片は何を答えるわけでもなく、そのまま隣に腰を掛けてくる。軋むスプリング。隣に座る岩片につい、条件反射で俺はソファーの隅に逃げてしまう。  そんな俺を一瞥し、岩片は手に持っていた緑茶のボトルを開けた。  隣に岩片がいる。おまけに、手を伸ばせば届く距離だ。  何をこんなに意識してるのか。自分でも情けないが、それでも、シラフでいることが困難だった。  俺は、手持ち無沙汰になるのを誤魔化すようにアイスの袋を破り、中からアイスを取り出した。  一口齧ってみると、熱を持った咥内であっという間にアイスは溶けていく。……美味しい。  喉が乾いていたのもあって、酷く喉が潤う。二口目、三口目と食べていると、不意に、岩片に見られてることに気づいた。 「美味いか?」 「……うまい」 「だろうな、ニヤニヤしながら食ってるくらいだからそりゃ美味いだろうな」  そんなにニヤニヤしていたのだろうか。岩片に笑われ、咄嗟に頬に手を伸ばす。慌てて口元を引き締めるものの、今更遅い。  人が食ってんのジロジロ見てんじゃねえよと睨んだときだった。目があって、岩片はにっと口元に嫌な笑みを浮かべる。 「ハジメ、俺にも一口くれよ」  そんなことを言いながら口を開ける岩片に、ぎょっとする。  別に、強欲な岩片にせがまれることは珍しいことでもない。人が食ってたら「俺もそれ食いたい」とか言いながら横から掻っ攫っていくようなやつだ。寧ろ、優しい方が気味悪いくらいだと思うのに、何故だろうか、酷く緊張した。 「……いや、だ」  自分でも、なんでそう答えたのか分からなかった。  元はといえば岩片が買ってきたアイスだ、別に固執するわけではなかったのに、何故か俺の口からは否定の言葉が出てしまうのだ。  分厚いレンズの奥、岩片の目が細められるのがわかった。そして、伸びてきた手に掌を重ねられる。あ、と思ったときにはもう遅い。  口元のアイスにぐっと顔を寄せ、岩片はそのままアイスに舌を這わせる。 「っ、いわ、か……」  岩片の顔が近付き、反射的に腰を引いた。  アイスを舐められてるだけだと分かっても、その距離に口付を想起させられ、目の奥が熱くなる。  至近距離で見詰められ、いろいろなものがフラッシュバックさる。耐えられなかった。岩片に見詰められると、自分が自分じゃなくなるような気がして怖かった。  だから、俺は持っていたアイスを岩片の口に押し付けた。 「っ、……冷て……!」 「そんなに食いたいんなら、やるよ、それ」 「おい、ハジメ……」  半ば無理矢理アイスの棒を握らせ、俺はソファーから降りる。手を伸ばす岩片に「おい」と呼び止められるが、止まることができなかった。  完全に、誂われてる。それが分かったからこそ居た堪れなくなったし、分かっていながらも平常心でいられない自分も嫌だった。  逃げるように洗面室へと移動した俺は、扉を閉め、それを背に座り込む。  ……何やってんだ、俺は。こんなあからさまに動揺してますみたいな反応、岩片もドン引きに違いない。  俺はここまで分かりやすい人間だったのだろうかと酷く惨めになる。自己嫌悪のあまりに、俺は用もない洗面室から暫く出ていくことができなかった。  岩片にどんな顔して会えばいいのかわからなかったのだ。  俺は、何をしてるのだろうか。  ついでに顔洗って気分を入れ替えようとするが、鏡を直視することができなかった。  どんな顔をして戻ればいいのか、どんな顔をして岩片と話せばいいのか。分かるやつがいるならご教授願いたいくらいだ。  かといってここに引き篭もってるわけにもいかない。呼吸を整え、落ち着く。顔の熱が引くのを確認して、俺は恐る恐るドアノブを掴み、部屋へと戻った。  部屋の中には、岩片がいた。  アイスを食べ終わったのか、残った棒だけを咥えた岩片は俺の方を見て「もう大丈夫なのか?」と皮肉げに尋ねてくる。  俺は、なんと答えればいいのかわからず、「大丈夫」と答えた。 「あ、そ。……じゃあなんでそんなところ突っ立ってんだよ。隣に座ればいいだろ」 「……いい」 「なんでだよ」 「お前の隣にいると、変なことするだろ」 「変なこと?」 「……っ、とにかく、俺はなんか今すげースクワットしたい気分だから」  だから、座らない。  そう遠回しに断ったつもりだったのだけれども。 「ハジメ」  名前を呼ばれ、ギクリとする。  それ以上は何も言わず、岩片は自分の隣をトントンと指で叩いた。  有無を言わせないその空気に、俺は出しかけた言葉を飲み込んだ。  嫌だといって逃げようと思えば逃げれたかもしれない。けれど、そうしなかったのは、岩片にこれ以上動揺してる自分を見せたくなかったからだ。  命じられるがまま、隣に腰を下ろす。  なんてことはない、また妙な真似をしようとすれば逃げればいい。そう思うが、実際にそれを行動に起こす自信はなかった。 「おい、なんでそんな隅っこに……」  そう、岩片の手が伸びてきて、肩を掴まれそうになったとき。  全身が緊張する。  肩が跳ね、咄嗟に身構える俺に、岩片は伸ばしかけた手を止め、それから、迷ったように手を挙げる。 「……そんなにビビんなくても、別に何もしねーよ」  ビビったつもりはなかったが、岩片に言われて自分が岩片の一挙一動に神経を擦り減らしていたことに気付いた。  それからすぐに、見透かされてしまってることに恥ずかしくなる。 「別に、ビビってなんかねえよ……ただ」 「ただ、驚いただけってか?」  言おうとした言葉を先読みされて、今度こそ驚く。  顔を上げれば、笑う岩片と視線がぶつかった、ように見えた。 「じゃあ事前に伝えとけばお前は安心するのかよ」 「……ッ、お前、なんなんだよ……朝から、昨日から変だぞ」  まだ俺が嘘ついたことを怒ってると言われればそれまでだ。安安と許されるとは思えない。けれど、だからといって逆に優しくしたり、変に扱われる方が不気味だったし、どうしたら良いのか分からなくなる。 「……変、ね」  そう歪む口元には自嘲的な笑みが含まれていた。  怒るだろうかと思ったが、寧ろ逆だ。深い溜息とともに脚を組み直した岩片は、そのまま背もたれに深く上半身を預ける。 「そんなに嫌ならもうしねえよ。……だからいちいち逃げるのもやめろ。……お前がその調子だとこっちも狂うんだよ」 「……っ、え」 「え、って何」 「なんで……」  なんで?理由は?本気か?  こんがらがる頭の中。岩片は横目で俺を見る。  何か言いたそうだったが、やめて、テレビのリモコンに手を伸ばして電源を落とした。  テレビのお陰で辛うじて沈黙にならずに済んでいたというのに、それすらもなくなり、本当の静寂がやってきた。 「なんでだと思う?」 「……お前の考えてることなんてわかるか」 「だろうな。おまけに見た目に似合わず初心だし、まじで童貞かよってレベルの恥ずかしがり屋ときたもんだ」 「誰が童貞だよ」  揶揄するような言葉にムカついて睨み返したとき、岩片は「やっとちゃんとこっち見たな」と笑った。  けれど、なんとなくその笑顔がいつものそれと違うように思えてしまうのだ。 「い……」  岩片。  そう、名前を呼びかけようとしたとき、岩片はソファーから立ち上がる。そして、携帯端末を取り出した。  どうやら誰かから電話が掛かってきたらしい。 「あーもしもし……何?……あー、わかった。……今からそっち行くから、待ってろ」  一分するかしないかの短い通話だった。  携帯端末を仕舞った岩片は、そのまま出口の方へと歩いていく。 「どこか行くのか?」 「ちょっと出掛けてくる」 「じゃあ、俺も……」  そう、慌ててソファーから立ち上がろうとするが、岩片に「お前はいい」と止められる。 「本調子じゃねえんだろ。大人しく寝とけ」 「別に、もう大丈夫だ」 「いい。……着いてくんじゃねえぞ」  取り付く島もなかった。  そうバッサリと切り捨てる岩片は言いたいことだけを言って、さっさと部屋を出ていく。  なんとなく、さっきまでとは雰囲気が違う岩片が引っかかる。  何の要件かくらい教えてくれてもいいんじゃないか。  いつもの岩片なら、通話の内容だって言えば俺に教えてくれるはずだ。  けれど。  ――お前はいい。  頭の中で岩片の言葉が反芻する。  別にベタベタに優しくしてほしいというわけではない。  けれど、昨日の一件によりできた禍根はちょっとやそっとじゃ元通りにならないようだ。  岩片からの信頼を失ってしまった。そりゃそうだ、岩片に隠し事をし、嘘をつき、挙げ句の果に拒絶したのは俺の方なのだから本来ならばもっと岩片に責められても文句は言えない立場だ。  だけれど、変に優しくされたあとだからだろうか、岩片の声が余計冷たく染みる。  一人取り残された俺は、気分を紛らすためにテレビをつけたが、何一つ面白いと思えるものはなかったのですぐに消した。  岩片がいないとき、俺はどうやって時間を潰していたのだろうか。  基本岩片の命令で出歩いていたり、岩片と遊んでいたりしていたせいか、一人放置されると何をすればいいのか分からなくなる。  つくづく、そんな自身に嫌気が差す。  モヤモヤした気分のまま時間が経過した頃、部屋の中に携帯のバイブが響く。  ベッドの上、起き上がった俺はサイドボードに置いていた携帯を手に取った。  そこには、今朝登録したばかりの五十嵐の名前が表示されていた。  慌てて出れば、電話の向こうから『尾張か』と聞き覚えのある低い声が聞こえてくる。 「……五十嵐? どうした?」 『……能義から伝言だ。五条を捕まえた。生徒会室で保護してるから来い、とのことだ』  五十嵐の言葉に、俺はほっと胸を撫で下ろした。  というか、あれからまじで捕まえたのか。流石能義というわけか、すごい執念だ。  断る理由がなかった俺は「分かった、すぐに行く」とだけ伝え、電話切った。  出かけたまま、まだ戻らない岩片のことが気がかりだった。  取り敢えず、連絡だけ入れておくか。 『用事できたから出てくる』という旨のメッセージを岩片に送り、俺は脱ぎ捨てたままだった上着を羽織る。  五条には色々聞きたいことがある。  よし、と口の中で呟き、気持ちを入れ替えた俺はそのまま部屋を飛び出し、校舎にある生徒会まで走って向かった。
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