ep.5 五人目のプレイヤー

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 政岡をその場に待たせたまま、俺は引っ込んだ通路のところまで神楽を連れてくる。そこでようやく手を離せばモゴモゴしていた神楽は「ぷは~!」と生き返ったように深呼吸をした。 「元君、激しすぎだよ~俺本当に死んじゃうかと思った……」 「それは……悪かった。けど、政岡にあのことを言おうとするから……」 「……ってことは、かいちょーには言ってないんだ?」 「言えるわけないだろ……というか、言ったところで余計ややこしくなるだけだし」 「……まあそうだろうね~、かいちょーって俺から見てもかなり元君に本気っぽいし。絶対キレるよあれ」 「…………」 「でもさぁ、そっちのが絶対いいと思うんだけど? かいちょーってなんだかんだ一番強いからさー、副かいちょーが唯一敵わないって言ってるほどだし。少しは痛い目見てもらった方がいいんじゃないのぉ?」  ……かわいい顔して結構酷なことを言い出す神楽に、俺は普通に驚いた。  確かに、他人のケツを変形させたあの男たちに憤りを感じないといえば嘘になる。けれどだ、報復か。……昨日はそれどころじゃなくなって考えれなかったが、俺だけ泣き寝入りみたいな真似になるのもおかしな話である。  ……けれどそれを提案するのがあいつらとも仲が良いであろう神楽なのが引っ掛かった。 「……そりゃムカつくけど、お前はいいのか? あんたら……仲が良いんだろ?」 「……は? なんで?」 「なんでってか……いくらゲームのことがあるからって言ったって、普通に友達してるだろ。そんな相手を仲間割れさせるなんて……」 「……元君って、やっぱ変わってるよねえ? 俺は元君の立場になって言ってたつもりなんだけど、まさか俺たちの仲の心配してくれるなんてねえ」  きょとんとしていた神楽だったが、すぐに呆れたように笑う。  確かに、言われてみれば変な話だ。けれど、なんだろうか。確かにムカつくけど、正直あのときのことは俺にも悪いところがあるだけに大きく責めれないというのが本音だ。  けれどこれじゃ、 「もしかして、あんなことされても全然平気だった?」  気付けば、俺は神楽により壁際に追い込まれる形になってることに気付いた。 「それともハマっちゃったとか、言わないよねえ?」そう軽蔑の色を孕んだ神楽の眼差しに、嫌なものが込み上げる。 「おい、やめろよ。冗談じゃない……そんなわけないだろ」  声が震えるのを殺し、俺は神楽を押し返してその場から戻ろうとした。  けれど、神楽はそれを許してくれなかった。 「……あの後、あのモジャとは大丈夫だったぁ?」  肩を掴まれ、引き止めてくる神楽に尋ねられる。  いきなり岩片のことを聞かれ、思いの外俺は動揺してしまったらしい。目を泳がせそうになり、咄嗟に目を伏せるがそれが神楽の猜疑心を強めたらしい。 「……あーあ、こうなるくらいならやっぱ、あのとき俺が全部貰っちゃってた方がよかったなぁ」  どういう意味だ、と聞く暇もなかった。  頬を掴まれ、上を向かされそうになったと同時に視界が覆われる。噛み付くように唇を重ねられ、血の気が引いた。いつどこで誰が来るかもわからない、おまけに政岡も待たせてるこの状況で、だ。  スリル満点とか言うレベルではない。  生憎俺はそんな危機的状況に興奮する特殊性癖は持ち合わせていなければ男とのキスに喜ぶ癖もない。  よってこの展開は、最悪のそれだ。 「っ、なッ! 離……ッ! ぅ、ん、ぅう……ッ!」  言葉ごと唇で遮られる。ぬるりとした舌に唇をなぞられた瞬間、蘇る嫌な感触に堪らず神楽を突き飛ばす。  僅かに顔を顰めた神楽は俺から唇を離し、「いったたた」と呻くように情けない声を漏らした。 「……元君酷いよぉ、今本気で殴ったでしょー?」 「あっ、たり前だ……! 何、をいきなり……」 「別にいきなりじゃないよねえ?俺はずぅ~~っと、元君のことが大好きなんだし?」 「それは……っ」  ゲームのことがあるからだろう。  そうじゃなければ神楽の恋愛対象は俺のようなタイプではなく間違いなく柔らかそうな女の子のはずだ。  言いかけて言葉を飲み込む俺に、神楽は俺の唇に触れる。 「それとも何? ……もしかしてぇ……本気で好きな人ができちゃったとか?」 「心配しなくてもできねーよ、こんな場所で」  「へー……本当に?」 「……本当だって言ってるだろ」 「ふーん……?」 「いい加減に離れろ……って……!」 「けどね、元君がそんなこと言っててもさぁ、誰かさんたちは本気で君のこと落とすつもりなんだと思うよぉ~? 元君の意思なんて関係なく、全部自分のものにしちゃおーって思ってるんだよぉ?」 「もっと危機感持たなくちゃ~~」といつもの間延びした調子で続ける神楽。何が言いたいんだ、こいつ。  そう、睨みつけた矢先のことだった。 「おい、神楽。いつまで尾張と一緒に……」  いるんだ、とかそんなことを言おうとしたのだろう。  戻らない俺たちを心配した政岡がやってきたのを一瞥したたと思いきや、神楽はそのまま俺のネクタイを掴み、思い切り引っ張った。  ぶつかる勢いで触れ合う唇に、キスをされてるのかすら一瞬わからなかった。  凍り付く俺、そして政岡。ただ一人元凶である神楽だけは涼しい顔をして俺の唇を音を立てて吸い、笑う。 「あれ、かいちょーいたんだ。せっかくいいところだったのに邪魔しないでよね~」  反応が遅れる俺の腰を抱き、神楽はわざとらしく唇を尖らせてみせる。  この男が何を考えてるのか全く理解できないが、岩片がこいつを嫌う理由がわかった。ような気がした。 「なに、すんだよ……っ」  とにかくこいつを黙らせなければ。  慌てて唇を拭い、咄嗟に神楽を引き離そうとした矢先だった。  それよりも先に、神楽は俺から離れた。というよりも、避けたと言った方が適切か。  吹っ飛んできた政岡の拳を避けるように後退した神楽は「あっぶねー」とけらけら笑う。 「今会長本気で殴りに来たでしょ……って、おわっ! 危ないな~……随分と荒れてんね」  誰のせいだと思ってんのか。  足取りは不安定なものの、猫のように政岡から逃げる神楽は俺の背後へと隠れた。 「神楽……テメェ自分が何やってんのか分かってんのか?」 「……何ってぇ? もしかしてそれ、元君にちゅーしたこと言ってるの?」 「……ッ!」 「でもさぁ、それをかいちょーが怒るのって変じゃない? かいちょーは元君の彼氏じゃないんだからさぁ」 「ねー元君」と首を傾げ、同意を求めてくる神楽。  一理あるが、今このタイミングで政岡にいうかと言う気持ちの方が大きかった。 「……第一、お前だって俺のなんでもないだろ」 「ええ~? 元君冷たくない? もしかして照れてるのぉ?」  そう、背後からするりと伸びてきた手に頬を撫でられ全身にサブイボが立つ。  抱き締めるように耳元に唇を寄せてくる神楽にぎょっとするのも束の間。 「かいちょーのこと、諦めさせたいんなら俺の言うとおりにしてみてよ」  政岡には聞こえない程の声で甘く囁いてくる神楽。  どういう意味だと顔を上げれば、神楽はウインクしてみせた。 「……かいちょーさぁ、最近元君にまじすぎじゃない? ……そんなのかいちょーらしくないってか、正直元君もドン引きだからねぇ? もっとフランクに楽しもうよ~」 「ねえ? 元君」と舌足らずな猫なで声で尋ねられる。  そんなこと、思ったことはないといえば嘘になる。   けれど、ドン引き……というよりは、その真摯さがあまりにも真っ直ぐすぎて俺には眩しくて仕方なかった。  言葉に詰まる。探るが、うまい言葉が出てこなくて。 「っ、尾張……そうなのか? ……神楽の言うとおりなのか?」  ショック受けたような政岡の顔が視界に入り、息を飲んだ。  そうじゃない。そう言えば、実質それは政岡を受け入れることと同意義である。それは早計すぎる。  そもそも俺は、政岡の心配をしてる場合なのか。  思考がこんがらがる。唇が、体がやけに熱くて、熱が上昇しているのがわかった。 「……俺のことを心配するんなら、ほっといてくれ」  それは、本音だった。政岡の気遣いは嬉しいが、政岡に優しくされるたびにそれを素直に喜べない自分が嫌になるのだ。  それが、ゲームのためだとしてもだ。  政岡の表情が凍りつく。それを見ることができなくて、俺は視線を落とした。 「うひゃあ、元君ってば過激~~」  そう、他人事のように笑う神楽の手を振り払う。 「言っておくけど、神楽お前もだからな。今あんたらに付き合ってられるほど余裕ねーんだよ」  これは本心だ。  それに俺にはこれに真剣に興じる理由もなくなった。  だからとはいえ、割り切ってこんな不純なゲームを楽しむ気持ちにもなれない。 「ちょっと、元君それはないでしょ~」  面倒になって、その場を離れようとしたところを神楽に掴まれ止められる。  簡単には逃してもらえないとは思ってたものの、厄介だな。思いながら振り返ったとき。  神楽の肩を掴む政岡と目があった。 「痛たた! ちょっと、関節外れちゃいそうなんですけど~!」 「……帰るぞ」 「えぇ?! 何? やっぱり妬いて……」 「いいから帰るぞ!」  そう、ジタバタする神楽の後ろ髪を掴んだ政岡はそれを手綱のようにして神楽を引っ張っていく。  こちらを見ようともしなかった政岡に違和感を覚えた。  確かにキツイことを言ったけど、それでも、相手が政岡だからだろうか。心の奥がざわつく。 「っ、……」  政岡、と呼び止めようとして、言葉を飲む。  呼び止めて、それでなんと言えばいいのかわからなかったのだ。  無言で何も言えずにいる俺に、政岡は足を止め、こちらに背を向けたまま口にした。 「……今まで悪かった」  そうたった一言だった。  今まで聞いたことのないような感情を押し殺したようなその声、言葉に俺は、とうとう最後までなにも言い返すことができなかった。  最初から後悔するなら言うなよ。自分で自分を叱咤したところで、一度口から出た言葉を撤回することは難しいことは理解していた。 「……はぁ」  気分は沈むばかりだ。  ――政岡を傷つけてしまった。  いつかは必ずきちんと言わなければならないときがあるとわかっていたが、こんな形で突き放すつもりはなかった。  自己嫌悪の波に襲われる。  部屋に籠もっていると余計気が沈みそうだった。けれど、今は一人になりたかった。  部屋の中、ベッドに包まり俺は一人ぼんやりとしていた。  ……政岡。あいつの傷ついた顔が頭から離れない。  忘れようとしても瞼裏にこびりついてるのだ。あのときの傷ついた声も、しっかりと鼓膜に染み付いてる。  ごめんなさいっていうのも、変な話だ。  良かったんだ、これで。これで政岡がゲームから手を引いてくれりゃそれでいい。そう思うのに、浮かぶのは政岡の真剣な目だ。  あいつは、きっかけがどうであれ俺のことを心配してくれていた。そりゃもうお節介なまでにだ。  物好きなやつだ、本当。……俺なんか放っておけばいいのに。  猪突猛進で、不器用なくらい変なところで真っ直ぐで……。  何度めかのため息とともに俺は布団から顔を出した。  神楽にキスされた感触までも思い出してしまい、慌てて拭う。  こんなことになったのも、全部あいつの……岩片のせいだ。あいつに抱かれたせいで、全てが狂いだした。 「……ックソ……」  やっぱりこう閉じこもってるのは性に合わない。余計なことばっか思い出しやがる。  熱の籠もった服の中、布団を蹴飛ばし、体を起こした。  このままふて寝してサボってやろうと思ったが、俺を休ませてやる気もないらしい。  けれど、かと言って大人しく教室に向かう気もなかった。  気分転換に顔を洗った俺は、熱っぽい体を動かして部屋を出た。  飯にでも食いに行こうと思った。生活リズムが狂った生徒たちがわんさかいるこの学園の売店は大体開いている。  うっしゃ、なんかバーガーでも買おう。なけりゃ、なんか腹の足しになるもんでも食べて……それから……。  …………それから。  ……なんも、やることねえなぁ……。  俺は岩片に出会う前どうやって時間を潰していたのだろうか。わからない。けれど、きっとくだらないことをしてたに違いない。記憶に残らないくらいだからな。……自分で言ってて悲しくなってきた。  悔しいけど、あいつに出会ってからの記憶の方が強すぎて昔のことが思い出せないのも事実だ。  しんみりしそうになる自分の頬を叩く。  しっかりしろ、俺。  パン、と乾いた音ともにヒリヒリとした痛みが頬に走る。痛え。  これでいい、これでいいんだ。そう自分に言い聞かせ、部屋を出た。  そして、そのまま周りをなるべく気にしないようにしながら売店へと向かう。  売店前は閑散としていた。  いつもなら面倒臭そうな輩がカウンター前を陣取ってる風景が広がってるのだが、どうやらいいタイミングだったようだ。  どれを食おうかと並ぶパンを選んでたときだ。 「おい」  不意に、肩を掴まれる。  いきなりなんだと振り返った俺は、そこに立っていたでかい影に硬直した。 「こんなところで何をしてる?」  今見たくねー顔ナンバースリーの生徒会書記・五十嵐彩乃がそこにいた。 「……何って……見てわかんねーの? 飯選んでるんだよ、飯」 「……呑気なやつだな。自分の立場分かってんのかよ」  んなことを言われて、ハッとする。そうだ、こいつ……色々あって記憶飛びかけていたが、こいつ、この前人を助けるとかいいつつ能義と一緒にとんでもねえことしてきたんだった。  当たり前のように返事してしまったことを後悔し、そして咄嗟に距離を開ければ五十嵐は「遅えな」と呆れたような顔をした。 「な……なに、普通に話しかけてきてんだよ……よく顔出せたな」 「そりゃこっちのセリフだ。……部屋で落ち込んでんのかと思いきや飯かよ。……本当に図太い野郎だな」 「っお前に言われたくねえよ……!」  あまりにもいつもと変わらない慇懃かつ偉そうな透かしたその面に思わず手元のパンを投げつけたくなったが、商品であることを思い出し寸でのところで堪える。  ……クソッ、最悪だ。厄日ってレベルじゃねえぞ。  こいつの顔を見るのも嫌で、俺はさっさと売店から離れようとすればいきなり肩を掴まれる。肉厚な掌に、昨日のことを思い出し顔が熱くなる。 「触るな……ッ!」 「っと……危ねえな。……随分と荒れてるな」 「誰のせいだと……」  思ってんだ、と掴みかかりそうになるが堪える。  こいつに当たったところでどうしようもない。確かにムカつくことには違いないが、それでも、これでは完全に八つ当たりである。  これ以上の自己嫌悪に陥るのは勘弁したい。  俺は「離せよ」と睨むが、五十嵐は手を離さない。それどころか。 「……飯、食いに来たんじゃねえのかよ。お前」 「誰かさんの顔を見たら食欲が失せたもんでな」 「……そりゃ悪かったな」  そう言うなり、五十嵐は俺の腕を掴んだまま、先程俺が買おうとしていたハンバーガーを手にし、それを売店のおばちゃんに「これくれ」と渡すのだ。  なんでよりによってそれを選ぶんだよ、あてつけか。とむっとしたとき、支払いを終えた五十嵐は袋に入ったハンバーガーを俺に押し付けてきた。 「……な、んのつもりなんだよ……」 「それ、食いたかったんだろ」 「別に……」 「嘘つけ。ずっとよだれ垂らして見てたくせに」 「……」  涎は垂らしてねえよ。  ムカムカしたが、それ以上にこいつがこんなことしてくることが予想外だったせいか、毒気を抜かれてしまう。  あまりにも変わらない五十嵐の態度に、一人だけムキになってるみたいで嫌だった。 「……いらない。お前が買ったんだからお前が食えばいいじゃん」 「俺は別に腹は減ってねえよ」 「ならなんで……」 「昨日は、悪かった」  まさか、こんな場所でその話を持ち出されるとは思わなかった。  馬鹿真面目な顔してんなこと言い出す五十嵐にぎょっとし、俺は慌てて五十嵐の腕を掴んだ。  そして、早足で売店から離れ、人気のない通路へと移動する。 「おい、離せ。服が伸びるだろうが」 「……っ、どういうつもりだよ……こんなことまでして、当てつけのつもりか?」 「……聞こえなかったのか? 昨日は悪かったと言ったんだ」 「助けるつもりだったが、頭に血が登った」そう悪びれもなくそんなこと言い出す五十嵐に、カッと顔が熱くなる。  それが怒りなのか羞恥からなのか判断つかない。 「ふ……ざけるなよ……っお前のせいで、俺は……こんなんでご機嫌取りのつもりかよ……っ」 「それはついでだ。腹減ってんだろ、食えよ」 「いらねえ」 「じゃあ捨てる」 「……もっ……勿体ねえことすんじゃねえよ、何様のつもりだよ」 「なら、お前が食え。見てただろ、妙なもんは入ってない。なんなら毒味でもするか」 「……ッ」  馬鹿にされてるのがわかった。今の俺にとって五十嵐の言動すべてが神経を逆撫でするのだ。  八つ当たりに近いけれど、こいつにも要因があるのだ。……そう思うことでしか自分を抑えられなかった。 「なんなんだよ、お前……意味わかんねえよ」 「昨日のことがあっただろ。……それで少し気になってただけだ」 「……なにが、俺のことがかよ」 「あぁ、お前のことがだ」 「…………」  なんでこいつはこんなに偉そうなんだ。  どこまでもふてぶてしい。まるで昨日人を裏切ってチンポ突っ込んできた野郎とは思えない堂々たる姿に俺は呆れて何も言えなかった。
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