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俺は一体何をしてるのだろうか。五十嵐と飯を食う日が来るなんて思いもしなかった。
飯っつっても購買のパンを適当なベンチに座って食ってるだけだけど。
……旨いんだろうけど、まじで味わかんねえし。
「お前、岩片凪沙とは何かあったのか」
やぶから棒に聞いてくる五十嵐に、俺は飲みかけていたジュースを喉に詰まらせそうになる。
……そんな気はしていた。こいつがただ俺のことを心配して訪ねてくるような殊勝なやつなわけないか。
政岡と同じように岩片に何かを言われたのだろう。
何度目だ、この質問も。そろそろ気が滅入りそうになる。
「……どうしてそう思うんだよ」
「政岡が妙なことを言っていたのを聞いてな」
「どれのこと?」
「お前を落とすのは自分だとか吹いたらしいじゃねえか」
「…………」
ああ、そっちか。と思った。
五十嵐としては話が違うと文句を言いに来たのかもしれない。俺だって文句を言いたい内の一人の人間だ。
「どういうことなんだよ」と五十嵐に聞かれたところでそれはこっちのセリフなのだ。
「……面倒なことになったな」
「文句ならあいつに言ってくれ。俺はもうお役目御免らしいからな」
「なんだって?」
「…………そのままの意味だよ」
軽い調子で言いたかったのになんとなく言葉尻が落ち込んでしまうのはどうしょうもない。面白くもないのに笑えるほどの気力もない。
「っつっても、約束は守るつもりだから。……『ゲームを終わらせる』ってやつ。誰も勝たせねえから安心しろ、勝敗もつかなきゃゲームは破綻するんだろ?」
「お前にそれ、出来んのか?」
「出来るよ。……どういう意味だよ、それ」
「そのままだ。あいつに迫られてお前拒否できんのかよ」
当たり前のように聞いてくる五十嵐に、その言葉を理解した瞬間顔が熱くなる。恥ずかしいとか照れるとかそういうものではない。
俺があいつに迫られたらころっと傾きそう、と言われてるようで……いや、実際にこの男はそう言ってるのだろう。だからこそ余計ムカついて、怒りのあまりに顔が熱くなる。
「……っ、できるに……決まってんだろ。お前ら散々勘違いしてるけど俺が好きなのは女の子だから、いくら岩片でもベクトルがちげーだろ」
「お前あいつに抱かれたんだろ」
「……ッは?」
「有人に聞いた」
さらりと口に出すその言葉に、目の前が真っ赤になる。
あのド変態チンポ野郎。
怒りのあまりに五十嵐に殴りかかりそうになるが、体が岩のようになって動けなかった。声も出なかった。
その俺の反応が、暗にその事実を認めてるものと判断したのだろう。五十嵐は「別に誰にも言わねえよ」と付け加える。
「寧ろ、初めてってのが驚いたんだけどな。……お前ら付き合ってなかったのか」
「そんなわけないだろ!」
「声がでけえな、聞かれるぞ」
「……ッ、そんなわけ…………あるわけないだろ……!」
「そうか? お前がそのつもりでも、向こうは違うかもしれないだろ」
「前々からあいつのお前に対する執着は普通じゃねえとは思ってたがな」と対して興味なさそうに続ける五十嵐に、俺はやり場のない怒りに震えていた。
これならまだ尻軽だとか言われてた方がましだ。
「……なんだよ、何が言いたいんだよ」
「お前は岩片凪沙のことが本当に好きじゃないのか?」
「……あんなやつ、もうどうでもいいんだよ」
拗ねた子供じみた言葉しか出すことができない。
そう言ったっきり何も言えなくなる俺に、やっぱり何考えてんのかわかんねえ顔で五十嵐は「そうか」と頷いた。
「お前がそのつもりでも、お前は案外流されやすいところがあるからな」
「ねえよ。……流されるかよ、こんな……」
「いやこれだけは断言できる。お前このままじゃ負けるぞ」
「岩片凪沙に落ちるだろうな」と冷静に口にする五十嵐に、今度こそ俺は顔が熱くなるのを感じた。
そんなわけ無いだろ、誰があんなやつ。適当に言うのもいい加減にしろ。
言いたいことは山ほどあったが、五十嵐の真剣な目で睨まれ、その先の言葉を口にすることは忍ばれた。
「……あの男もかなりの負けず嫌いだとは思ってたが、こんな形で負けず嫌いを発揮させてくるとは思わなかった」
「……五十嵐は、あいつが勝っていいと思ってんのかよ」
「勘違いするなよ。俺は別に応援してるつもりはない。ただ、約束が違う。……本来ならすぐにでも辞めさせたいが、あの男のことだ、一筋縄では行かないだろう」
「だから、お前に会いに来た」悪びれた様子もなくただ静かに言い放つ五十嵐に、俺は少しだけ目を反らした。
俺はお前の顔は見たくなかったが、そこで俺に話をつけに来たのは優秀だ。ああ、迷惑でもあるが最善の選択とも言えるだろう。あのどこかの色ボケモジャメガネは話が通じねえからな。
「俺に会いに来た……って言われてもなぁ、意味ないと思うけど」
「お前……馬鹿か?」
どうやらこいつは優しくするつもりもないらしい。
それも思いっきり呆れたような顔してそんなことを吐き出す五十嵐に俺は内心ムッとするが、それも束の間。腹に溜まった空気を吐き出すように溜息をつく五十嵐になんだか本当に自分が馬鹿みたいに思えてくるのだ。不思議だ。
「人が凹んでんのに馬鹿馬鹿言ってんじゃねーよ」
「馬鹿なやつとは思ってたがここまで来るとあいつに同情するな」
「このやろ……」
「あいつと喧嘩したのか知らねえけど、岩片みたいなやつがどうでもいいやつにここまですると思うか、普通」
「…………するだろ、あいつなら」
「…………しそうだな」
お前も自信なくなってんじゃねえ。
五十嵐は岩片は少なからず俺に情があり、独占欲もあり、それがあってあんなこと言ったんじゃねえのかなんて言う。
五十嵐はあいつのこと何も知らないから冷血漢岩片に対して情だの云々言えるのだ。
あいつにそんな人の心があるってんならそこらへんの凶悪犯罪者だっていいやつだ。
「とにかく、お前には協力してもらうぞ」
「協力って……別に心配しなくてもゲームを成立させる気はねえって……」
言ってるだろ。と、いい加減にしつこい五十嵐に反論しようとベンチから腰を上げたのと伸びてきた手にネクタイを掴まれたのはほぼ同時だった。
「っ、お、い」
「……あと1センチ」
「な、にがだよ……つーか近い……!」
「キスできる距離。……俺が止めなかったら普通にキスできるぞ、これ」
「……っ」
完全に誂われてる。
笑いもせずそんなことを至近距離で口にするやつに、覗き込んでくる目に、息が詰まりそうになる。
同時にムカついてきて、俺は咄嗟にネクタイを掴む五十嵐の腕を引き剥がす。
……今度はあっさり離れた。
「今のは……不可抗力だろ。どうしようもねえよ」
「隙があり過ぎだって言ってんだよ。俺に何されたかも忘れたのかよ」
「……ッ、お前……」
当たり前のように掘り返され、顔が熱くなる。人が必死に押し殺し、なかったことにしようとしていた部分を遠慮なしに踏み込んでくる五十嵐に構えれば、「それでいい」なんてやつは頷くのだ。
何様だよ、本当にこいつは。
「とにかく、あまり一人でチョロチョロすんじゃねえ。それと、岩片と仲直りしろ」
「何言い出すんだよ、急に」
「急ではないだろ。……今この状態は面倒だって言ってんだ。不安分子は早々に芽を摘むに越したことはない。あいつを野放しにしておいていいことはないからな」
「仲直りって、別に喧嘩したわけじゃ……」
……いや、喧嘩なのか。違うな、喧嘩で済めばよかったんだ。確かに俺が売ったのは喧嘩だったが、少なくともあんな展開は望んでなかった。
「ゴネるな。お前が言ったんだからな、俺に協力すると」
「……正確には岩片だろ」
「岩片凪沙があの調子だ。なら誰が約束を果たすんだ?」
「って、なんだよそれ……………………俺?」
「それが嫌ならさっさとあいつの頭を冷やしてやれ。…………それと、お前もな」
五十嵐はそれだけを言い残し、そのままどっか行く。
本当に自分勝手というか、強引というか、人の話聞かねえやつというか。
その背中に文句の一つや二つ投げかけてやりたかったが、飯を口に含んでいた俺は結局何も言い返せず無言でその背中を睨んでた。
岩片と仲直りって言われても、無理だろ。
散々人の気持ちがわからないだとか言われてきた俺だけど、それだけは確かにわかる。
……少なくとも、俺はあいつと今まで通りでいるのなんて無理だ。
それは違いない。
食べカスをゴミ箱に投げ入れ、俺はベンチの背もたれに思いっきり凭れ掛かる。
何時限目かのチャイムが聞こえてくる。どっかの窓が割れる音ともに騒がしい声も聞こえてきた。また馬鹿が馬鹿騒ぎしてるのだろう。喧騒を聞きながら、なんだか俺は自分の居場所を失ったような感覚になりながら少しだけぼんやりしていた。
岩片と仲直りしろって……おかしいだろ、仲直りもなにもただの喧嘩とはわけが違うのだから。
一人でいたらずーっと五十嵐から言われた言葉が頭の中がぐるぐると巡ってはムカついて仕方がない。
だからといって眠る気にも慣れなくて、俺は結局登校することになった。
……気分転換に登校ってのも変な話だが、岩片の言われた通り大人しくしてるのが癪だったっていうものある。
教室は相変わらず閑散としていた。丁度英語の授業の真っ最中だったらしい、教壇の上に立っていた宮藤は入ってくる俺の姿を見るなり驚いたような顔をする。
「……おお? 尾張、お前具合はもう大丈夫なのか?」
「ああ、ずっと寝てても身体鈍りそうだったから」
来ちゃった、と言いながら岩片の席を確認する。
いつもあいつが座ってる後ろの席には誰もいない。その代わり、隣の席の岡部が俺の姿を見て目を丸くしていた。
……いや、岡部だけではない。周りの生徒たちもなんだか変なものを見るような目で俺を見てる。あんま嬉しくない注目の仕方だな、とは思ったが俺にはその原因がなんとなくわかってしまうから嫌だった。
「お前なぁ……念の為休んでおくものだぞ、こういうのは。多少治りかけでもな」
「大丈夫って。具合悪くなったらすぐ帰るんで」
言いながら自分の席へと向かう。宮藤は「知らんぞ」と諦めたように笑い、そして何事もなかったかのように授業を再開させた。
席に座ると、岡部が心配そうに声を席を近付けてくる。
「尾張君、本当に大丈夫なんですか? 岩片君から相当熱が酷いって聞いたんですけど……」
「あいつは大袈裟すぎるんだよな、本当。……そんなに具合悪けりゃ大人しくしてるよ、俺も」
「ならいいんですが……」
「それより岡部。……岩片はいないのか?」
あいつのことを気にするような真似をしたくないが、無視するわけにもいかないのが現状だ。
それに、あいつが勝手な真似してまたこっちにまで迷惑被られては堪ったもんじゃない。
あくまでなんでもないように聞いてみれば、岡部は何か思い出したようにハッとする。
「あ、そ、そうでした。今朝生徒会長と岩片君が揉めたのは知ってますか?」
「あぁ、風の噂でちらっとな」
「知ってたんですね。……その、岩片君が宣戦布告したって」
「宣戦布告っていうか、あいつの場合は病気みたいなもんだからな」
笑って誤魔化そうとするが、顔が引き攣る。
あいつの宣戦布告ってのはあれだろう、俺のことは自分が落とすだのなんだのこっ恥ずかしいことを言ったんだろう。ホントその場にいなくて良かったと思うが、向けられる周りの目がそのせいだと思うとどうしようもなく居た堪れなくなった。
「……それで、岩片がどうしたんだよ」
「その……なんていったらいいのか……」
「……また何かあったのか?」
「岩片、その後どこかへ行っちゃったんですよね」
「……どこかにって……」
「連れ去られたわけではないと思うんですけど、今の今まで戻ってこないのでずっと気になってたんです。……けど岩片君がどこに行ったなんて僕には見当付きませんし……」
「……別にそんな心配しなくてもほっときゃその内フラッと戻ってくるだろ」
寧ろ俺からしてみればあいつは常に好き勝手行動している。少し目を離したらいなくなることなんかよくあることだ。そんで人が探しまくってたら何食わぬ顔して戻ってくるんだ、「ハジメ、なんでちゃんとついてこないんだよ」とか勝手なこと言って。
「尾張君……やっぱり岩片君と何かあったんですか?」
「……………………」
……俺ってそんなにわかりやすいのか?
自分ではいつもと変わらないつもりだったが、鈍そうな岡部にまで核心を突かれてしまえば言い逃れようもない。
さっきの今まで五十嵐に言われたことを思い出し、つい内心面白くない気分だった。
「別に、岡部の思ってるようなことはねえから安心しろよ」
「……だったらいいんですけど、なんか……尾張君元気ないように見えたので」
「俺が? ……そうか?」
「それに、尾張君は俺よりも岩片君のことをいの一番に心配してるイメージがあったので……ちょっと意外でした」
余計なお世話でしたね、と少しだけ申し訳なさそうに項垂れる岡部に俺は言い返す言葉もなかった。
……意識しないようにしたのが裏目に出たようだ。なんだか俺は自分が自分で不甲斐ない気持ちでいっぱいになる。
「悪いな、まだ本調子じゃないみたいだ」
「えっ!」
「それにしても岡部はしっかり見てるんだな。……それとも、俺ってそんなにわかりやすい?」
「お、尾張君はわかりやすいというより……なんというか、いつもわかりにくいから余計、わかってしまうというか……」
「? ……どういうことだ?」
「ええと、その……俺のことはいいんです。それより、宮藤先生がさっきからこっち見てますね……」
言われてちらりと教壇に目を向ければ、徐に宮藤は「えー、ごほん」とわざとらしく咳払いをひてみせる。
直接私語を注意しないところが宮藤らしいというか、なんというか。
「……わり、また後で聞くわ」
「いえ、僕は、別に」
というわけで授業に集中することにする。それにしても岩片のやつ、勝手なことばっかりしやがって。
無視してやりたいのに岡部みたいなやつがいる手前完全に存在無視することまでできない自分のいくじなさが憎い。
……余計な心配させたくねえけど、だからって仲良くできねえよ、もう。
そんなモヤモヤを抱えたまま聞く授業に集中できるはずがない。
あっという間にチャイムが響く。
授業終了の合図。比較的平和なガリ勉と呼ばれる生徒ばっかが残った教室は平和だった。
ホームルームまで岩片が教室へと戻ってくることはなかった。そもそも俺が教室にいることもしらねえのかもしれねえな。
と、そこまで考えてまたあいつのことばっかり考えてることに気づき、慌てて頭を横に振る。
……今日から俺は一生徒だ。あいつのことよりも自分のことを考えろ、元。
なんて、一人念じてると。
「おい、尾張」
宮藤に呼ばれた。
顔を上げれば、宮藤はちょいちょいと俺を手招く。
この時点で既に嫌な予感するんだけど。
「……なんすか?」
「おい、露骨に嫌そうな顔しただろ今」
「だって、雅己ちゃんに呼ばれてもいいことをないんだもん」
「あのなぁ……いや、確かにそうかもしれんな」
「自信なくすなよ」
呆れて笑ってると、宮藤は「安心しろよ、今回はそうじゃねえから」とふっと表情を緩める。そして、伸びてきた手に額を触られる。
びっくりして思わず飛び退こうとしたとき、宮藤の手はすぐに離れた。
「ふんふん……まだ微熱があるな」
「……いきなり触るのは駄目だろ、女子生徒相手ならセクハラですよセンセー」
「可愛い生徒でもお前は男だろ。……身体、本当はまだ悪いんじゃないのか」
「……わかんね」
「わかんねって、自分の体のことだろ。あんま無茶すんなよ」
……なんか今日は色んな人に怒られて、心配されてる気がする。けれど愛されてるな俺って気持ちにはならない。
むしろ俺ってそんなに頼りない?って微妙に凹むし、つーか、なんか、俺ってすげー惨めだ。
「雅己ちゃんって……」
「なんだ、どうした?」
「雅己ちゃんって、過保護だよな」
「か……」
「……ありがと、心配してくれて」
自己嫌悪がないといえば嘘になるが、今はまともな優しさが身に染みるのも事実で。
口にしてからなんとなく照れ臭くなる。
そういや、岩片が馬鹿なこと言ったってこと、雅己ちゃんも知ってるのだろうか。
ガキの戯言だと思って無視してるのだろうか、気になったが宮藤の表情からは何もわからない。
「お前って、なんか見ててハラハラするんだよな」
「俺が?」
「今のお前は、特に」
暗喩のように聞こえて、少しだけ緊張する。
含みがあるようでそのまま受け取ることもできる。
「取り敢えず、今日は真っ直ぐ帰れよ」
「……雅己ちゃんは、岩片と何かあったのかって聞かないんだ」
無意識だった。なんとなく、考えていたことが口からぽろりと零れ落ちる。
宮藤は特に表情を変えるわけではない。
やっぱり何事もなかったかのように、俺に視線を投げか
けた。
「……なんだ、あいつと何かあったのか」
これは嘘だな、とわかった。
とぼけたふりしてるのだろう、それでも全く声に感情がないので本当にとぼける気があるのかすら謎だ。
「雅己ちゃんって嘘下手すぎだろ」
「当たり前だろ、俺は素直な人間だからな」
それも、嘘だな。と思いつつ、つい笑ってしまう。
わざとなのだろうか、敢えてなのだろうか。宮藤と話してると自然と肩の力抜けるのだから不思議だ。
「一応、相談はいつでも受け付けてるが俺にアドバイスの類は期待するなよ」
「そうっすね」
「……そこは否定しろよ」
いい加減でルーズでやる気のない教師だが、こういうところが生徒から嫌われないところなのかもしれない。
教師陣からどう思われてるのかは知らないが。
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