ep.5 五人目のプレイヤー

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 咄嗟に政岡から手を引っ込めた時、政岡は五十嵐を睨む。 「……テメェに関係ねえだろ」  てっきりまた岩片のときのように噛み付くのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。それでも不機嫌さを隠そうともせず政岡は五十嵐を睨んだ。  ……つくづく、ツイていない。「おい、政岡」とやつを宥めようとしたときだ。 「ある」  あろうことか噛み付いてきたのは政岡ではなく、五十嵐の方だった。 「あ?」と、政岡の眉間のシワが深くなる。それは俺も同じだった。いきなりやってきた五十嵐に手首を掴まれたのだ。 「金輪際こいつに近付くなよ。……不愉快だ」 「……は?」  人の肩を抱いて、そんなことを真顔で言い出す五十嵐に俺も政岡も凍り付いた。いやだってそうだろう、いや、本当に何言ってんだこいつ。 「お、お前……なに言って……」 「今まで黙っていたが、これ以上耐えられない。……尾張、お前が他の野郎に触られるのは」  近い、とか、いやお前そんなキャラじゃねーだろ。というかそもそもお前なんなんだよ、何だお前。 「おい、彩乃……どういう……ッ」 「政岡、そういうわけだ。こいつは俺のものだ。こいつからは何も聞いてないだろうが、それは俺が黙らせていただけだ」 「俺たちの愛を見世物にしたくなかったからな」どの口でそんなことを言ってやがるのか、この男は。あまりの薄ら寒さに全身にサブイボが立つ。 「おい、おい……五十嵐……」 「……そういうわけだ、二度とこいつに近付くな」  抵抗する暇もなかった。五十嵐に首根っこを掴まれた俺は半ば強引に政岡から引き離される。それはもう力技だった。ハッとした政岡が「おい待てよ」と追いかけてこようとすれば担がれ、全力疾走で連れて行かれる。よく担げたなという驚きはさておき、ようやく解放されたときには政岡の影はなかった。学生寮、生徒会専用フロア。  ようやく降ろされた俺は酔いでふらつく体を無理矢理動かし、「おいっ、五十嵐!」とやつを捕まえた。  すると、五十嵐は「なんだ」と鬱陶しそうな顔でこちらを睨むのだ。 「なんだじゃないだろ、なんであんなこと言ったんだ」  なんだその目は、こっちのセリフだ。という怒りを必死に抑えながらあくまで冷静に五十嵐に詰め寄れば、五十嵐は呆れたようにこちらをじろりと睨んでくるのだ。 「……それはこっちのセリフだ。通りかかったのが俺だったから良かったものの、もし他の連中だったらどうするつもりだ」 「別に……知らねえよ」 「いつまでもウジウジするな、ガキか」 「……な……っ、俺は、俺で色々考えてんだよ。勝手なことばっか……」 「政岡を勝たせてゲームをさっさと終わらせる。それが一番楽だと言ってんだろ」  なんだよ、ちゃんとわかってんじゃねえか。そう思わず笑えば、やつはぴくりとも笑わずにこちらをただ見下ろすのだ。ただでさえ威圧感しかねえのに、余計嫌な感じだった。それでも、やつは視線を逸らそうとしない。 「……単刀直入に言う。あいつを勝たせるくらいなら俺にしろ」  そして、そう一言。  五十嵐はいつもの抑揚のない声で続ける。その言葉を理解するのには時間がかかった。それは、つまり。俺がコイツと?……そっちのが、おかしいだろ。 「……なんで……」 「お前のことが好きじゃないからだ」  そりゃあ、そうだろうが。それでももう少し言い様があるだろう。別に俺だってお前のこと好きじゃねえよとカチンときたが、やつが言いたいのはそこではないのだろう。 「俺が勝ってこのゲームを終わらせる。……けど、あいつを勝たせたらどうなる?」 「知らねえよ……そんなこと」 「あいつは余程お前のことを気に入ってるだろうからな、なんとしてでも自分の手元に置くようにするだろう」  お前はそれでいいのか、と真っ直ぐに見つめられ、思わず口籠る。ゲームの勝者はなんでも言うことを聞かせることができる。それは、俺に対しても例外ではない。俺が拒むことら無論できるだろうが、昨夜多数の生徒に囲まれたときのことを思い出せば背筋が薄ら寒くなる。  また、昨夜のようにリンチでもされたら流石にたまったものではない。  正直、考えていなかった。あいつの願いなんて、興味なかったからだ。このゲームが終わればいい、他の連中が俺に興味をなくせばいい。そう思っていたが、五十嵐の指摘は最もだ。 「あいつじゃ、誰も得しねえ。……それは、あいつ自身も含めてだ」 「……」 「言っとくが、別に本気で俺のことを好きになれと言ってるわけではない。……最終的に選ぶのはお前だ、けれど、もっとよく考えろ」  五十嵐の言葉は、今の俺には耳の痛いものばかりだった。  ガキだのなんだの言われて、ムカついていた。逆らうことしか頭になかった。けど、これじゃ本当に五十嵐の言う通りだ。……不本意だが、俺はちゃんと考えていなかった。目の前の問題から逃げることしか考えず、本質からは目を逸らそうとしていた。 「俺が言いたいのはそれだけだ。別にお前が誰と乳繰り合おうが俺には興味ない。けど、今のお前は見るに耐えれない」 「……っ、余計な……お世話だよ」 「……どいつもこいつも素直じゃないな」  何も言い返せなくなる俺に五十嵐は小さく息を吐く。アンタの場合素直すぎるんだよ、という言葉は飲み込んだ。  五十嵐の言い分は最もだ。私情抜きにして、何が一番今の俺にとって最善なのか。それを考えないといけない。 「……五十嵐」 「あ?」 「……お前って、意外とちゃんと考えてんだな」 「意外とは余計だ」  いけ好かないやつだし、まだ許したつもりはないが、今の俺には必要なことだった。ありがとうとは言わなかった。あいつもそんな言葉を求めているわけでもないのだろう。 「どちらにせよ、主導権を持ってるのはお前だ。他の奴らの甘言に惑わされるなよ」 「心配されなくても大丈夫だ。俺も、お前の言葉を全部信じてるわけじゃないし」 「……言うじゃねえか」  怒るかと思ったが、意外にも五十嵐は笑った。……というか、五十嵐の笑顔まともに見たの初めてな気がする。悪い顔して笑う五十嵐に少しだけ反応しそうになるが、それもほんの一瞬。  瞬きをしたときにはいつもの仏頂面に戻っていた。 「……とにかく、政岡には気を付けろよ。……あいつは思い込んだら周りが見えないからな」  ……知ってる。身を以て知らされたからな。とは言えるわけがない。「ご忠告どーも」とそのまま五十嵐から離れようとしたとき、「おい」と呼び止められる。 「どうした? まだなにか……」 「……」 「……五十嵐?」  人を呼び止めておいて無言ってなんだ。せめて手を離せと振り払おうとしたとき、何かを考えていたらしい五十嵐は「お前……」と声を振り絞る。 「……これからどうするつもりだ」 「これからって、まあ……特に予定はねーけど」 「なら、俺に付き合え」 「え? いや、なんで……」 「一人でいるよりましだろ」  マシかどうかは俺が判断するべきところだろう。自分で言うなよと相変わらずの上から目線に呆れそうになったが、もしかして五十嵐なりに俺の身を心配してるのか?……いや、ないな。こいつのことだ、本当に付き合わせるだけなのかもしれない。 「……誘ってくれたところわりーけど、俺、昼寝に忙しいから……って、おい……!」 「一丁前に断ってんじゃねえよ」 「手、手、退けろって……っ!」  腰を抱かれぎょっとする。目の前の胸板を引き離そうとしたとき、耳元に唇が近付いた。 「……政岡が来てる」 「……っは」 「面倒だな。……俺の部屋行くぞ」 「えっ、おい、ちょ……っ、五十嵐……ッ!」  つか、政岡が?と振り返ろうとしたとき――いた。こちらを見ていたその赤い髪が視界に入るのも束の間、五十嵐に肩を掴まれ、無理矢理押される。そのまま半ば強引に五十嵐の部屋へと連行されることになったのだが――なんだこのデジャヴは。けれど、先程政岡との別れ際のことを思い出せばゾッとしない。……元はといえば全部五十嵐のせいだけども。  暫く部屋にいろ。そう言い出したのは五十嵐なので別に俺は気にする必要はないと思うのだけれど、それでもやはりこいつと二人きりという状況には慣れそうにない。 「……」 「……」  つか、喋れよ。無言かよ。人を放置して何漫画読んでんだよコイツ。自室ならまだしも他人の部屋でできることなんて限られてる。それならば、と「なあ、五十嵐」と声をかける。「あ?」とやつは視線をこちらに向けた。 「お前って……岩片とまだ会ってんの?」 「……聞いてどうすんだよ」 「別に、ただ気になっただけ。……お前、岩片にやたら優しいよな」 「普通だ」 「そうか? ……つか、岩片に対して普通のやつのがレアだしな」 「そんなにあいつのこと気になるのか」 「だ……っから、ちげえって。ただ、お前のことが……」  気になっただけだ、と言い掛けて口を閉じる。岩片が気になると言っても、こいつのことが気になると言ってもどちらにせよ良からぬ誤解を与えてしまいそうだったからだ。  けれど、五十嵐はというとこういうときばかり興味を示すのだ。 「……俺が、なんだ」 「食い付くのかよ……別に、お前、俺とは随分態度違うなと思っただけだ」 「何が言いたいんだ、ハッキリ言え」 「……っ」  ちょっとした話題提供のつもりだったのに、なんでだ。いつの間にかに形勢逆転、あいつの目に見られると正直、居心地が悪い。それもそのはず、あいつが俺の目を見るときはろくなことがないからだ。 「……いや、そうだな。お前は俺のことが嫌いだって言ったもんな。なんでもねーわ、しょうもない独り言だ」 「お前、すげえ気にするのな」 「そんなにショックだったのか」とジョークのつもりなのか全く笑えないことを言い出す五十嵐に思わず固まる。そんなつもりは、ない。断じてない。つか、ショックっていうか普通に失礼だろ。言い返したかったが、俺も俺で色々言ってきたので何も言い返せなくなる。 「別に、ショックじゃねえよ」 「……ふうん?」 「その目、腹立つな……」 「尾張」  不意に名前を呼ばれ、内心ギクリとした。いつの間にかに詰められた距離。つか、こいつに名前を呼ばれるのってすげー新鮮ってか……。 「……どうした?」 「練習、しとくか」 「……は? なんの?」 「お前、俺のことを好きだって言えるのか?」 「別にそれくらい、練習なんかしなくても言えるだろ」 「じゃ、言ってみろ」 「は……いま?」 「ああ」と五十嵐は相変わらずムッツリ顔で続けるのだ。暇潰しのつもりなのか?相変わらず何考えてるかわからないやつだが……。 「別にいいけど……好きだ」 「……おい、どこ見てんだ」 「な……なんでだよ、言えばいいんだよな」 「お前の場合誰でも彼でも言いすぎて信憑性が薄くなるんだよ。……もう少しそれらしくできねえのかよ」 「それらしくって言ったって……」  無茶言うなよ、と言いかけたとき、伸びてきた手に手首を掴まれる。そして、指先に唇の感触が触れたとき、俺は五十嵐を唖然と見上げていた。 「……好きだ」  ドクリと心臓が大きく跳ね上がる。不意打ちだった。だからだ、そうに決まっている。見たことのない顔をしてこちらを見下ろす五十嵐がそこにいて、俺はじわじわと顔に熱がと集まるのを確かに感じた。 「……お前のこと、好きじゃないって言ったのは口実だ」 「……っ、いや、なに、言って」 「尾張……」 「待て、ストップ……っ、五十嵐……ッ!」  いつも涼しい顔してんのに、なんでこんなときだけそんな顔で、声で、どういうつもりだ。咄嗟に五十嵐から逃げようと手を振り払おうとしたとき、それよりも先にパッと五十嵐の手が離れる。 「……こうだ、わかったか」  そして、すっといつもの仏頂面に戻った五十嵐に今度は俺が固まる番だった。まさか、こいつ今の、全部。 「演技……かよ……ッ!」 「本気かと思ったのか」 「思ってねえよ……っ」  ただでさえそんなことを言うタイプじゃないからか、余計ビビったっていうか……こいつはそれを言いたかったのだろうが普通に心臓に悪いし質も悪すぎる。 「……やっぱりお前のこと嫌いだわ」 「嫌いでも結構だが、それらしくはしろよ」 「別に、外野がいない二人きりのときは関係ないだろ」  そう口にすれば、五十嵐は無言でこちらを見てくる。こいつの目、無駄に威圧感あるから嫌なんだよな。でも目を逸らすのも負けた気がして気に入らない。そのまま睨み返せば、五十嵐は深く溜息を吐くのだ。 「た……溜息ってなんだよ」 「いいか。言っておくが俺は本気だ。……今から岩片と仲直りするんだったらそれがいいと思っている、お互いな」 「……っ、あいつは……いいって言ってるだろ」  あまりにも岩片岩片煩い五十嵐にムカついて、咄嗟に五十嵐の胸倉を掴んだとき、真正面から視線がぶつかった。 「……っ、お前が……いい」  仕返しのつもりではないが、意図せず意趣返しのような形になってしまったときには時既に遅し。こちらを見ていた五十嵐の手が俺の手に重ねられる。手の甲、浮かぶ血管をなぞられ、僅かに反応してしまいそうになった。  それでも、手を振り払わずに睨み返せば、先に視線を逸したのは五十嵐だった。 「……それなら、いい」  そう、急に俺から離れた五十嵐はそのまま立ち上がる。まさかこいつ、逃げるつもりか。「五十嵐」と釣られて立ち上がれば、五十嵐は「便所」とだけ答えた。こちらを見ずにだ。俺はそれ以上呼び止めることもできずに無言でその背中を見送っていたが、五十嵐が出ていったその扉は便所ではなく洗面場であることに気付いたのは後になってからだった。 「取り敢えず、政岡は相手にするなよ。あいつはすぐ付け上がる」  こんなにも釘を刺されてしまえば何も言いようがない。 「はいよ」とだけ答える俺。確かに、五十嵐の言葉を聞けば聞く程こいつの言ってること自体は俺にとっても悪い話ではないのだ。 「……つっても、誰も俺がお前のこと好きなるなんて思ってないんじゃないか。信じてもらえんのか?」 「お前次第だな」 「……そりゃそうだけど」  俺次第か。嘘を嘘で塗り固める。そうすることでこのゲームを終わらせるのだ。利害は一致してる。けれど、なんだろうか。本当にこれでいいのかと思う自分もいた。何に対する違和感なのかすら自分でわからない。けれど、なるようになるだろうという日和見感。そんなことをぼんやり考えていたときだ。ベランダに繋がる窓の外、カーテン越しに何かが動くのを感じた。 「有人……面倒なあいつが居ない今はチャンスだろうが、政岡が厄介だ。脳味噌まで筋肉のあいつのことだ、何考えてるか……」  おい、五十嵐。と立ち上がったときのことだった。  耳を劈くような音ともにカーテンが大きく翻った。そして、そこから四散する窓ガラス。  その向こうから現れたのは。 「っ、彩乃……テメェ、尾張から離れろッ!!」 「っんな……!」  バットを手にした政岡はそう怒鳴りながら土足で部屋に入ってきた。顎が外れそうになる俺の横、五十嵐は「言わんこっちゃないな」とまるで慣れた様子で吐き捨てる。 「……っ、政岡……?!」 「その鳥頭じゃ玄関の場所もわからなかったか」 「うるせぇ!! ……尾張、大丈夫か……っ? そいつに乱暴なことされなかったか? 今……っ、今、俺が助けてやるからな……っ!」 「おい、政岡……っ」  お前、何考えてるんだ。呆れてものも言えない俺。  五十嵐は政岡から引き離すように俺を背に回す。そして、「相手にするなと言っただろ」と俺にだけに囁いた。 「五十嵐、んなこと言ったって……ッ!」  限度ってものがあるだろう。というかお前は平気なのか、ここまで部屋を荒らされて。あまりにも冷静な五十嵐には賛辞を送りたいくらいだ。なんて感心する暇もない。 「っ、彩乃……テメェ! 尾張に触んじゃねえ!!」 「……それはこっちのセリフだ」 「っ、おい……っ」  こんな狭い部屋ん中で暴れるな、せめて外に出ろ。ガラスの破片が危なくてしかねえ。なんて俺の声が届くはずもない、それどころか五十嵐に肩を抱き寄せられるのだ。目の前には嬉しくもないやつの胸。硬い。まじで嬉しくねえな。つか。 「っ、いが、らし……っ!」 「……こいつはお前の馬鹿に付き合いきれねえとよ。諦めろ」 「嘘吐くんじゃねえッ!! このドムッツリ野郎!!」  喉痛めんじゃねえのかってくらいのクソでかい声に鼓膜がビリビリと震動した。じゃり、とガラスを踏んだ政岡は一歩、また一歩と俺に近付いてくる。 「尾張、嘘だよな、お前……また、俺に嘘なんて吐いてねえよな」 「……ッ」 「……なあ、尾張」  五十嵐は、政岡を相手にするなと言う。それは、正解なのだろう。相手にすればするほど付け上がるタイプだと俺は知ってる。けれど、飼い主を失った捨て犬のような目をした政岡が一瞬、いつかの自分と重なって見えた瞬間、胸の奥、ヒリつくような痛みを覚えた。 「……尾張、耳を貸すな」  五十嵐の声は、酷く冷たく響いたのだ。  誰のためでもない、俺のためにもそれは正しいことなのだ。甘さを見せてはいけない。頭で理解してるのに、駄目だ。岩片に解雇宣言されたときのことを思い出し、全身の熱が引いていく。  今更だ、こいつは利用すると決めていたのに。  好きだと言ってくれた政岡の顔が過る。ああ、クソ、余計な情を覚えるな。コイツだって勝手なやつだ、勝手に暴走して、勝手に空回って、勝手に、俺を助けようとしやがる。 「おい、尾張……ッ!」 「……っ、悪い、やっぱ、無理だわ」 「馬鹿が」と、背後で五十嵐の舌打ちが聞こえた。五十嵐の腕を振り払って、俺は政岡の腕を掴んで止めた。 「っ、お、わり」  すぐ頭の上から聞こえてくるのは、いつものやつからは想像できないほど情けない声。けれど、力み、やつの全身から滲み出ていた今にも破裂せんばかりの怒りがみるみる内に萎んでいくのだ。証拠に、やつの手からバットが落ちる。  カランカランと音を立てるそれを、あいつは拾おうとしなかった。……一先ずは落ち着いたらしい、安堵するも束の間、問題は何一つ解決していないことに気づく。 「つか……お前、まじで無茶苦茶すぎんだろ、窓叩き割るわ、ドアは蹴り飛ばすわ……過剰防衛ってレベルじゃねえだろ……っ」  流石に今回は俺も擁護できない。思わず強くなる語気に、政岡はびくりと震えた。そして、しゅんとでかい図体を縮み込ませるのだ。 「っ、だって、もし尾張が危険な目に遭ったら……」 「だってじゃねえよ。だからって、無茶すんなって言っただろ」 「だって、俺……っ」 「お、おい……」 「っ、お……俺、これ以上お前に嫌われたくねえ……頼むから、頼むから、あんな真似もうしないでくれ……俺が嫌いなら、直すから、お前が俺の嫌だってところ……だから……っ」  抱き締められたかと思いきや、縋り付くように何度も繰り返す政岡に俺は「おい……おいって……」と宥めることしかできなかった。泣いてんのか?つか、声震えてるし……まさかまじで泣いてんのか?泣かせたのか、俺が?  急に不安になりながらも、おい、と政岡の背中にそっと触れたときだ。  がら、と金属とガラスが擦れるような音が響く。顔を上げた俺はそのまま凍り付いた。 「――付き合ってられんな」  政岡が持ち出したバットを手にした五十嵐は溜息混じり、覚めた目でこちらを見ていた。 「っ、五十嵐……!」 「……馬鹿が、あれほど俺の言葉を聞けと言ったのに」  嫌な予感ほど的中するもののようだ。俺に抱きついたままメソメソする政岡目掛けて思いっきり振り被る五十嵐に「やめろ、五十嵐」と声を上げる暇もなかった。  もろに後頭部でそれを受け止めた政岡に、俺は息を飲む。赤い前髪の下、やつの額から血がたらりと流れてくるのを見て「政岡」と呼び掛けるが、次の瞬間、政岡は五十嵐の方を睨んだ。 「彩乃……テメェ、良くも尾張に適当なこと吹き込みやがって……ぜってぇ、テメエだけは尾張が許しても許さねえ」 「……流石、石頭馬鹿だな」 「俺の頭かち割りてぇんならミスリル製持ってこいやコラァ!!!」 「おい、落ち着け……ッ! うおっ!」  べこっと凹んだバットがこっちに飛んできて、危ねえ、と咄嗟に避ければ顔のすぐ真横を風が通り抜ける。「尾張!」と青褪めていた政岡だったが、掠めたのだとわかれば今度は怒りに顔色を変えるのだ。 「テメェ!! 尾張に当たったらどうすんだ!!」 「チッ……邪魔だ、あっちに行ってろ」 「ぐ……っ、この、お前らはすぐ殴り合いしやがって……せめてその物騒なもん仕舞えって!」 「先に持ち出したのはそこの赤髪だ」 「んだと窓割れねえだろうがタコが!!」 「……っ、割るな、ゴリラかお前は!」 「お、おい……」  デジャヴ。部屋にある椅子やらソファーやら飛んで来るので慌てて部屋の隅へと退散した。俺の静止の声など聞く耳すらないらしい。政岡はというとあんなにもろ殴られて流血してんのに、いやだからか、余計興奮してるようだ。とうとう取っ組み合いになりだして、流石にやばいのじゃないかと思ったときだ。  五十嵐の部屋の扉がバァン!と勢いよく開いた。 「なんださっきの音は! また貴様ら備品を壊したんじゃないだろうな!!」  バカでかいその声に、現れたその男に驚くのも束の間。どうやら騒ぎを駆け付けてやってきたらしい野辺鴻志にまずい、と思った次の瞬間。取っ組み合いをしていた二人の手からバットがすっぽ抜けた。  そして、そのバットは宙を舞い、美しい曲線を描いて野辺の額に命中する。 「「「あ」」」  飛ぶ眼鏡、カランカランと落ちるバット、大きく仰け反るが踏み止まった野辺の額がじわじわと赤くなる。  そして、 「貴様ら……ッ!! 死ぬ覚悟はできているだろうな!!!」  どろ、と溢れる鼻血を拭った野辺の顔はまさに般若だ。バットを手にした野辺が参戦し、無事で済むはずもなく、突如始まった三人対戦大乱闘に俺は巻き込まれる前に部屋の外へと退散することにした。  そして数分後。  ガラスは飛び、壁はひび割れ、もうめちゃくちゃになっていた五十嵐の部屋の外、俺たちは正座をさせられていた。  通りかかった宮藤が慌てて屈強な教師たちを呼んできてくれたお陰でなんとか落ち着いた。その代わりに三人の頭の上には大きなたんこぶができていたが。そして長い長い地獄のような説教から開放された俺たち(というかなぜ俺も説教受けさせられてるのか)の前、部屋の残状を再確認していた宮藤が青い顔して戻ってきた。 「はあ……全くお前らは、喧嘩するならもう少し考えてしろよ。どうするんだ?こんな派手に壊して……。ったく、これ以上空いてた部屋確かなかったぞ」 「コイツのせいだ」 「ああ?!」 「おい、また生活指導の前田主任の四の字固めをくらいたのか?」 「……」 「……」 「……」  先程、丸太のような太い足の男性教諭たちに腕ごと下半身で締め上げられていた政岡と五十嵐と野辺を思い出す。三人とも同じことを考えてるのだろう、一気に静かになる。  それを見た宮藤はやれやれと肩を竦めた。 「……はあ、仕方ないな、こうなったら誰かの部屋に泊めてもらえ。今回はお前らの喧嘩が原因だからな、自分でなんとかしろよ」 「問題ない、こいつの部屋に泊めさせてもらう」  そう、即答する五十嵐。こいつって誰だよ、とちらりと顔を上げればしっかりやつの指先は俺の方を向いていた。 「は」と俺がアホみたいな声をあげたとき、俺よりも早く理解したらしい、政岡たちは勢いよく噛み付いていく。 「んなの駄目に決まってんだろうが!!」 「年頃の男同士が二人同じ部屋で寝泊まりだと……?! 不純にも程がある! そのような風紀を乱すことを学園が許してもいいのですか!!」 「いや君らは一人部屋に慣れてるだろうけど本来は相部屋だからな、ここ」と、丁寧に修正する宮藤のツッコミはさておきだ。 「つか勝手に決めんなよ、誰がいいなんて……」 「そうだそうだ! テメェは俺の部屋で泊れ」  そうそう、五十嵐は政岡の部屋で泊まればいい。  ………………って、え。 「……何故そうなる」 「そして、俺が尾張の部屋に行く」 「………………………………いや、はい?」  何故そうなる、というか、なんでそうなる。おかしいだろ、色々。突っ込みたいが、頭が追いつかない。というか政岡、お前はそれでいいのかよ。 「不純だ……!! この学園は腐っている……!!」  嘆く野辺。いつもなら何言ってるのか大半理解できないのだが、今だけは同意せざるを得なかった。
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