ep.5 五人目のプレイヤー

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「は、……はは」 口から、笑いが漏れる。 なにが面白いのか自分でもわからなかったけど、なんだかおかしくて、それなのに上手く笑えないのだから変な話だ。 「……なんだよ、それ」 「何が」 「……お前、やっぱ変だよ。おかしい」 「……」 「それじゃあ、お前、まるで……」 ――まるで。 脈が加速する。焼けるように熱くなる体に、汗がじわりと滲む。 考えたくもなかった、考えてはいけない。 過った思考に、自分で自分が恥ずかしくなる。 言い掛けて口を噤む俺に、岩片はすっと目を細めた。その表情に笑みはない。ただ、真剣なその目がただこちらを射抜く。 「……まるで、なんだ?」 静かに促され、心臓が、体が、反応する。 岩片はそれを求めるように口にした。その先を言ってはいけないというのに、この非道な男はその先を促すのだ。 考えてはいけない。駄目だ。それだけは。 そう思えば思うほど、ぼんやりとしていたその考えはしっかりと輪郭を浮かび上がらせる。 ――まるで、俺のことを。 いけない。駄目だ。そう思えば思うほど、声は強くなる。 それに堪えられず、俺は、拳を握り締めた。掌に食い込む爪、その痛みにハッとする。 飲み込まれそうになっていた意識を取り戻し、俺は固く唇を結んだ。 「まるで、なんだ」 「……なんでもねえ」 そう、しつこく聞いてくるやつから逃げようとするが、すぐに肩を掴まれる。細っこい指が食い込む。強い力で抱き寄せられ、気がつけば目の前にはやつの顔があった。 「逃がすかよ」 「っ、岩片……ッ」 「お前だってもう分かってんだろ、気付いてんだろいい加減」 「っ、離せ……岩片……っ!」 壁に押し付けられ、それでもその腕から逃れようとジタバタする。目の前の男を振り払えばいいだけだとわかっても、その力は強く、ちょっとやそっとじゃ離れない。 それどころか。 「ハジメ」 そう、顔を逸らそうとする俺を無理矢理前向かせようとするのだ、この男は。目を逸らすことも許さないのだ。これほどまでの暴君がいただろうか。 嫌だった。本当の本当にこれ以上はもう元の関係に戻れなくなってしまう。それがわかってしまったからこそ、阻止したかった。 こんな状況になってもなお、そんな風に思ってしまう自分が馬鹿でとんでもなく恥ずかしくて自惚れているやつだとわかってしまうのも嫌だった。 ――だから、拒んだ。 「っ、嫌だ、聞きたくない」 「駄目だ」 「っ、やめろッ!やめてくれ、岩片……っ」 拒絶というよりもそれは懇願に近かった。 俺を自意識過剰だと笑ってほしかった、馬鹿なやつだと、お前は本当自惚れているなと。いつもの皮肉たっぷりの冷たい笑みを浮かべ、笑ってほしかった。 けれど、実際の岩片は笑みすら浮かべていない。まるで俺を憐れむような目で見てくるのだ。 そして、やつは俺が最も恐れていた言葉を、死刑宣告に等しい言葉を、口にした。 「ハジメ、好きだ」 いとも簡単に口にしやがったのだ、この男は。 空気が、酸素が一気に薄くなるような息苦しさと、鉄の鉛を頭の上に落とされたようなそんな衝撃に目の前が暗くなる。 「……好きだよ、ハジメ」 今度は、優しい声だった。 聞き間違えだと思いたかった。そうであってくれと。けれどやつはそれを許さない、追い打ちを掛けるように続ける岩片に、頭の中が真っ白になる。 「……………………う、そだ」 そんなこと、あり得ない。冗談だと笑っていくれ、いつもみたいな無意味な軽口でいい。だから、頼むから。 総懇願するが、やつは逆に不愉快そうに首を横に振った。 「嘘じゃねえよ」 「っ……だって、お前今までに一度もそんな素振り」 「お前が俺の側に居たからする必要がなかっただけだ」 そう続ける岩片に、全身の熱が一気に引いていくのを感じた。怒りとも悲しみとも違う、不気味なほど浮ついたところを一気に叩きつけられるような落胆。 それと同時に、違和感しかなかった岩片の言動すべてが腑に落ちる。 ああ、こいつ、そういうことか。と。 「……なんだよ、それ」 「……ハジメ?」 「ゲームに負けそうになったら、そうやって他の野郎にするみたいに口説くつもりかよ」 絞り出した声。喉の奥がチリチリと焼けるようだった。 好きだ、なんて言葉をほんの一瞬でも信じてしまった自分が馬鹿だった。 そういうやつだとわかっていたはずなのに俺は、また騙されそうになったのだ。さぞやつの目に映る俺は滑稽なことだろう。 「ハジメ」と、宥めるように名前を呼ぶやつに腸が煮え繰り返しそうになる。 わかっていたはずなのに、やっぱりだめなのだ。 「……俺も、大概馬鹿にされたもんだな」 アホらしい、ああなんとアホらしい。馬鹿げてる。こいつも馬鹿だし、こいつを信じた俺はもっと馬鹿だ。けれど、よかった。変に勘違いせずに済んだのだ。 痛い目を見ることもなく。 「……離せよ」 「離さねえよ。逃げるだろ」 「当たり前だろ。そうやって甘い言葉囁やけば誰もが尻尾振って喜ぶと思うなよ」 離れない手を振り払おうとする。 けれど、肩にがっちりと食い込む岩片の手は離れない。それどころか、痛いほど食い込んで、俺は「おい」とやつを睨んだ。 視線が、ぶつかる。 「……俺のせいなのか?お前の『それ』は」 暗に俺の性格を言ってるのか。 だとしたら、今まで自覚なかったのかと頭が痛くなる。 平気で嘘をつき、平気で他人を傷つけ、甘い蜜を吸い終わったあとは平気な顔をして捨てる。最低なお前のことをずっと見てきた俺が、聖母よろしくの慈愛で受け流してきたと思ってるのか。 「……ああ、そうだな。お前が身をもって教えてくれたんだろ、こんなやつに騙されるなよって」 人として最低だ、けれどそれは俺も同じだった。 だから許せた、その矛先に自分がいないとわかっていたからだ。勿論高みの見物ならの話だ。 けれど、俺も連中と同じように良いように利用されて捨てられるのなら……その道を辿るとわかっておきながら、こいつの言葉を純粋に喜ぶほど俺はお花畑ではない。 「っ、……いい加減退けよ。お前のこと心配してくれる優しい副委員長とお茶でもしてきたらどうだ」 「俺なんかよりもずっと優しくしてくれるぞ」たっぷりの皮肉を込めて言い返せば、岩片の眉がぴくりと反応する。冷たい目。 怒ってるのか。そりゃそうだろう、あのプライドがエベレスト山よりも高いこいつが俺に散々馬鹿にされて笑顔でいられるわけがない。 けれどすぐ、その怒りは更に膨れ上がるのがわかった。顔には出ない、けれど、触れた肩越しに伝わってくる。 肌に突き刺さるほどの、痛いほどの感情が。 「……ああ、そうだな。お前よりもずっと理解力もあるし柔軟な思考を持ってる。おまけに従順で美しく、血統書付きときた」 「お前みたいに忠犬にもなれない野良犬とは大違いだな」正直に言おう。俺は、岩片があの男を褒めた時、自分でも笑えるくらい動揺した。それだけならまだ隠せたのかもしれない。 けれど比較された瞬間、頭にカッと血が昇るのがわかった 。 わかっていたはずだ、こいつに口で勝てるわけがないって。それでも、それでも心の奥底で踏みとどまっていた一線を越えてきたのはあいつだ。 場所が場所だとわかっていても、火にガソリンぶち撒けられて黙ってられるほど俺はお利口ちゃんではない。 「悪かったな、育ちが悪い躾もなってねえクソ犬で」 「ああ、そうだよ。おまけに童貞みてーな妄想働かせて勝手に嫉妬してキレる。そんなに俺のことが嫌いか?噛み付くくらいに許せなかったか?優しくされるのも嫌だ、じゃあなんだ。鎖で繋いで犬小屋にぶち込んどけばいいのか?」 「ああそうだな、お前はそういうやつだよ。俺のことなんか、他の連中だって一人の人間として見ちゃいない。チェス盤の駒、いや違うな。お前は……確かにお前からすりゃ全員家畜みたいなもんかもしれねえけど、俺は」 声が、怒りで震える。 こんな人でなし相手に何を言っても無駄だ、わかっていても今まで数年堰き止めていた感情はもう止まらない。勢いを増して溢れ出す。 ああ、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しすぎて、言葉に詰まる。 「俺は……俺だって人間なんだよ。……少し、うつつ抜かすのも駄目なのかよ」 なんでこんなことを言わなきゃいけないんだ。当たり前のことを。 笑えるのを通り越して涙が出てきそうだ。 ここまで言わなきゃこいつはわかんないんだ、伝わらない。そう思っていたが……どうやらそれは俺の気のせいのようだ。 「ああ、駄目だ」 即答だった。わかっていたはずだが、当たり前のように答えるこの男に目の前が真っ暗になる。 こいつの常識は俺の常識だった。 こいつが黒と言えば俺も白いものでも黒として扱った。 疑わなかったわけではない、勿論俺だって共犯だ。クズに加担したと背後から刺されても文句は言うつもりはない。 けれど、こいつの異常さに気づいてからは、駄目だった。 それでもほんの少しでもこいつにあるかどうかもしらない人間性とやらを信じていた俺が馬鹿だったのだ。 「特にお前が他の野郎に唆されてるのが死ぬほど腹立つ。わかるか?……なんで俺に言わなかった。なんで秘密にした」 「っ、おい……」 「なんで、あいつを頼った」 最後の一言は、恐ろしい声だった。頭を掴まれ、耳元に直接囁かれるその声に、吐息の熱さに堪えられず、粟立つのを堪えて俺は岩片の顔を押し退けようとする。弾みに、やつの顔から眼鏡が落ちた。 フレームが曲がったかもしれない、かしゃんと音を立てて転がるそれに目もくれないまま、岩片は俺を裸眼で見据える。 色素の薄い青みがかった瞳は俺を捉えたまま離そうとしない。 「許せるわけねえよな?今でも思いだしたら腸煮え繰り返そうになる。俺以外の野郎にリードを持たせたんだ、お前は、俺の言うことは絶対だと言いながら。その口で、あいつと俺を裏切ったんだ。……許せると思うか?」 「っ、……」 「ああ、何度も言ってやるよ。俺はお前が好きだ。けれど、お前が俺以外を選ぶのは許さない」 言葉の鎖で雁字搦めにされるような圧迫感、息苦しさに目眩を覚えた。 やっぱりそうだ、少しでもこいつの性格が変わったのだと思った俺が馬鹿だった。 何一つ変わってない、それどころか、自己中さには磨きがかかっている。 「……お前、無茶苦茶だ」 「そんなこと、とうに知ってたはずだ。それでもお前は俺を選んだ」 そうだろ?と顎の下を撫でられ、その不快な感触に堪らず手を払いのける。けれどやつは怒らない。怒るどころか、不気味な笑みを携えて俺の手を掴んだ。手首、その裏側に浮かぶ血管をなぞるように這わされる指に全身が粟立つ。 「……ッ、触るな」 「……お前は自分で自分を理解してないだけだ。お前だって実際必要とされたいだけだろ。お前じゃなきゃだめだと言われたいだけだ。だから、俺を選んだんだ」 「なに、言って」 「あのときだってそうだ。お前は相手は誰でもよかった、自分を必要としてくれるんならどんなクソ野郎でも」 「違うっ、俺は……」 「違わねえよ。俺を自己中最低ナルシストオナニー野郎っていうんならお前はなんだ?お姫様願望のある奴隷体質ドマゾワンちゃんか」 砕かれる。いつもの笑みを浮かべて、容赦なく尊厳すらも踏み荒らすこの男に、怒りよりも強い羞恥を覚えた。 触れられたくない部分を無理矢理抉じ開け、中を荒らされる。見られたくない部分を、自分でも認めたくない部分をこいつは容赦なく突き付けてくるのだ。 凍り付く俺に、岩片は笑ったままゆっくりと目を細めた。 「政岡との恋愛ごっこは飽きたんだろ?だから、俺を探した。お前を本当に必要としてるのが誰かわかってるからだ」  そんなはずない、俺は他の連中がお前のことばかり言って煩いから、それと文句の一つや二つ言ってやろうと思って会いに来ただけだ。 そう言い返せばいい、思うのに、こいつはそれを許さない。反論の隙きを与えず、捲し立てる。 「……そうだよな、あいつは俺とは違う。あいつはお前のことをなんも理解してない。上っ面だけだ。悲劇のヒロインぶったハジメを見つけて、それを救おうとするヒーロー像に酔っただけの偽善野郎」 「そりゃ満足できねえよな、あいつが見てるのはお前を助けてる自分だ。お前のことなんて見てねえよ」お前と一緒でな、そう鼻で笑う岩片に、気付けば俺はやつの胸倉を掴んでいた。岩片はそれを避けようともせず、抵抗もせず、顔が近付く。すぐ目の前に冷たい目があった。 笑みを浮かべてるのに温もりも何も感じさせない、目だ。 「……っ、俺のことはいい。あいつのこと、政岡のことを悪く言うなよ……っ!お前よりもよっぽどマシだ、この自己中野郎っ!」 「自己中なのはお前もだ、ハジメ。俺達ウマが合うんだよ、相性がいい。……体の相性もな」 「っこの……ッ!!」 するりと伸びてきた手に尻を揉まれた瞬間、カッと顔が熱くなる。最低最悪のクソ野郎、わかってたはずなのに。こんなやつに抱かれた自分が恥ずかしくて、情けなくて仕方ない。 拳を硬め、振り上げた手を掴まれる。そのまま壁に押し付けられれば、すぐ目の前にはやつの顔があって。 鼻先同士がぶつかるほどの至近距離。やつは俺から一寸も目を逸らさずただこちらを見るのだ。 「……ハジメ、いつまで臍を曲げてるつもりだ?いい加減理解しろ、お前を本当の意味で必要としてるのは俺だけだ。お前の性格も、知られたくない部分も全部全部知ってるのも、受け入れられるのも俺だ。 ――お前が、俺を受け入れてくれたようにだ」 皮膚を這う指先はゆっくりと手の甲へ重なり、指を根本から絡め取られる。蛇のように締め付ける指先を振り払おうとしてもびくともしない。 俺はお前を受け入れたつもりはない。 どうでも良かった。お前がどんなクズでも、あのときの俺には選んでる余地もなかった。 最高とは言い難い出会いだった。 それでも、あのときのことは昨日のように思い出せる。 「……お前も知ってる通り俺は懐は広い。またお前が俺の元に戻ってくるなら誰とどこで何してようが許す。けれど、もしお前が本気で俺以外のやつを選ぶというなら……」 岩片はその先は口にしなかった。けれど、口よりもその目が雄弁に語っていた。 ――そのときは、わかってるだろ? そう、クイズを出すみたいなそんな目で、俺を試そうとする。 「……お前は、最低だ」 こいつとまともにやりあっても無駄だ。わかっていた、それでも、はいそうですかとこいつの元に帰るのは癪だった。ここまでコケにされ、馬鹿にされ、今度はなんだ?許してやるから帰ってこい?自分の手元離れそうだったからわざわざ好きと言ってやった? 考えれば考えるほど沸々と怒りが込み上げてくる。 「ずっと一緒にいて今更か?」 「っ、……俺はお前のそういうところが嫌いだ、脅せば俺が自分の言いなりになると思ってるだろ」 「思ってるし、ハジメは自らそう望んでる。だってそうだろ、他の野郎じゃお前は満足できない。なんたって連中はお前じゃなくてゲームのターゲットという立場から持て囃してるだけだ。お前自身にだーれも興味なんかないんだからな」 何が、俺の中でガラガラと音を立てて壊れた。 ほんの少し、ほんの少し期待してなかったといえば嘘になる。こいつが本当に俺のことを好きだと言ってくれたのなら、考えもまた違っていたのだろう。 けれど、こいつの言葉は告白なんて生易しいものではない。俺の気を引くためだけの道具だ。 そうわかった瞬間、気付いたときには鈍い音が響いていた。拳に伝わる衝撃。目の前の岩片は軽く首を傾げ、殴られた頬を気にすることもなく俺をただじっと見ていた。 「……なんで泣く?」 「お前には一生わかんねえだろ、人の気持ちなんて」 「何言ってんだ?俺以上にお前の本質を理解してるやついねえだろ」 「……ああそうだろうな。お前ほど頭が働いて人間を理解するやつはいねえよ。だから言わせてもらう、お前がやってるのは詐欺師と同じだ」 「お前がやってるのは恋愛でもなんでもねえ、相手を追い込んで傷付けておいてその口で慰める。そんなもん、ペテン師野郎の手口と同じじゃねえか」わかっていた、こいつの手口は痛いほど。ずっと傍で見てきたからだ、言葉で捲し立て、自分の掌の上を誘導する。 最初から逆らう気なかった俺にそんなことをする必要はないと思っていた。けれど、ここにきてこんな強引な真似をするのはそれしか考えられない。 侮辱し、怒りでもなんでもいい。強い感情で相手の気を向けさせようとする。思考を塗り替え、自分の思い通りに相手の行動をコントロールする。 一種の洗脳だ。 あいにく俺はそんなことされなくても傍にいることを選んだ、だからこそ、すぐにこの男の違和感に気付けた。 皮肉なものだと思う。 相手が俺でなければきっと今頃ベッドイン出来てたのだろう。
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