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そして翌朝。
遠くからチュンチュンと聞こえてくる鳥の声に目を覚ます。そして寝返りを打ちながら目を開こうとしたとき。
「ん……ぅおッ!! な、何やってんだお前……!」
目を開くなりすぐ目の前にあった政岡の顔に思わず飛び起きた。どうやらこちらを覗き込んでいた政岡も政岡で俺が急に起きるとは思わなかったらしい。
「ち、ちが、これはただ……その、お前があまりにも気持ち良さそうに寝てたから……な、眺めてただけで……っ! 断じて誓う! 何もしてないからな!」
「な、眺めてたって……」
「あー、違う、その、ほら布団、布団がずり落ちてたからかけようかと!」
そう必死に違う違うと否認する政岡だがその必死さが余計に挙動不審に見えてくるというか、普通に眺めてること自体怖いのだが。
しかし政岡の言う通り本当に眺めていただけのようだ。体に違和感がないことを確認し、俺はベッドから出てやつから距離を取る。
「つかお前、いつ戻ってきたんだよ。……全然気付かなかったわ」
「遅くなっちまったからその、静かに戻ってきたんだよ」
「……何かあったのか?」
「いや、大したことねえ」
本当にか?と俺は政岡の顔を覗き込めば、やつは徐に視線を外すのだ。……怪しい。というか、よく見れば顔の傷が増えている。前回のアザも残ってるが頬に殴られたような跡が残ってるではないか。咄嗟に頬に触れたとき、政岡はびくりとこちらを見る。
「……ッ!」
「昨日はここ、傷なかったよな」
「……っ、ぉ、尾張……」
「例の襲撃者か?」
ぐ、と政岡は露骨に言葉に詰まるのだ。
わかりやすいというか、なんというか。なんで俺に秘密にするんだ。言いたくないのか?……よくわからないが、別にそのことで怒るつもりはない。
「怪我は、他は大丈夫なのかよ」
「……ああ、問題ねえ」
「例の襲撃犯か?」
「……わかんね。いきなり囲まれて一発食らって殴り返してそのまま追いかけたんだが、わけわかんねえ薬投げつけられて逃げられた」
「…………」
薬。……嫌な予感が。
科学部をバックにし、職権乱用する男のヘラヘラ顔が浮かぶ。いや、まさかな。いやまさか。そんな、わかりやすいことし……そうだな、あいつなら。やりかねない。
「……とにかくいくらお前が丈夫だからって、あんま一人で行動すんなよ」
「……し、心配してくれてんのか……っ?」
「…………目覚めが悪いって話だよ」
認めたくはないが俺よりもタフだし腕力と気合で乗り越えてきたような男だ、それでももしなにかがあれば人間あっさりとくたばってしまう。
そのつもりで忠告したのだが、やつはというと目を輝かせてこちらをじっと見詰めてくるのだ。そして。
「お、尾張……っ」
「な……なんだよ」
「だ……抱き締めていいか?」
「は?」と、アホみたいな声が出てしまう。
いや、だってそうだろう。なにをどうしたらそうなる?
「変なところ触らないから、お、お前を今、すげえ抱き締めたい……っ」
「だ……っ駄目に決まってんだろ! つかお前人の話聞いてたのかよ!」
「……っ、だよな、悪い……」
拒否すれば、しゅん……っと項垂れる政岡。なんだ、何だこいつは。調子に乗り出したかと思えば急にしおらしくなりやがって。凹むな、俺が許すわけないだろ。そう思うのにチクチクと罪悪感を刺激してくるのだ。
確かに……まあいきなり抱き締められるよりマシだ。いや、そもそもどうすればそんな思考になるのだ。
このままだと妙な空気になりそうだ。朝っぱらから男にハグされるなんて業も背負いたくない。この嫌に甘ったるいピンクな空気をどうにかしようと、俺は咳払いをして誤魔化した。
「……なあ政岡お前、そういや寝てないのか? 遅かったんだろ?」
「あ、ああ、そうだな……」
「少しくらい寝たらどうだ? ……心配だってんなら、俺が見てるし」
「……そうだな、じゃあ少しだけ寝ていいか?」
「ああ、いいぞ。ほら」
「……へ?」
「いや、ベッド。使えよ」
「…………………………いいのか?」
「いくらなんでも怪我人に床で寝ろって言わねえよ、俺は」
そう、ベッドから降りた俺は一応軽くだけベッドメイキングする。
「わ、わ、悪い……じゃあ、借ります……」
なんで敬語なんだ。もじもじしながらベッドに潜ろうとする政岡。その顔がじわじわ赤くなっているのを見て、俺はハッとした。そして、やつが妙にそわそわしてる意味を理解する。
「い……言っとくけど、寝るだけだからな」
「お、おう!! も、ももちろんに決まってるだろうが!!」
すごい勢いで反応してきたな……。まあいくらなんでも布団の中を覗いて監視するのも馬鹿馬鹿しい。つか、俺も俺だ。男にベッド貸すだけだ。添い寝するわけでも無し。
……変な匂いとかしてないだろうな。一応ちゃんと毎回風呂入って寝てるし、この前布団洗ったし。汗とか、その。とか、なんか後から気になってきたがすぐにイビキ掻き始める政岡を見て安堵する。
……つか寝るのはやいな。そんなに眠たかったんなら人の顔見ずに寝たら良かったのに。なんて思ってると、ふいに腹が鳴る。
あいつが寝てる間に飯食ってくるか。思い立った俺は部屋を出て、食堂へと向かうことにした。
食堂へと向かう途中。
丁度政岡の部屋から出てきた五十嵐と鉢合わせになる。寝起きのようだ。不機嫌なのを隠そうともせず、やつはしかめっ面でこちらを睨んできた。
「……お前一人か? あのアホはどうした」
あのアホ、というのは言わずもがな政岡のことだろう。
「あいつはガーガー寝てる。昨日夜中出ていって遅くに帰ってきたらしくてな」とご丁寧に説明してやれば、対して興味なさそうに「そうか」とだけ答えた。
そして、じろじろとこちらを見てくるのだ。
「なんだよ」
「何もなかったんだな」
「は?」
なにが、と聞き返そうとして、やつの視線が俺の体に向けられてることに気付いた。瞬間、やつが言わんとしていることに気付いた俺は言葉を失った。
「あ……あのな、お前人をなんだと思ってるんだよ」
「据え膳食わねえなんてあいつらしくねえな、腹壊してんのか?」
「お、お前と一緒にするな……ッ」
あまりにも失礼なこの男に掴みかかりそうになるが、落ち着け。確かに、五十嵐と政岡は似てる。しかも悪いところがだ。だとしてもだ、もう少し言い方があるのではないか。
「まあいい。行くぞ」
怒りを堪える俺に構わず、俺に背中を向けた五十嵐はそんなことを言い出した。
「は? ……行くって」
「……飯、行くんだろ。行くぞ」
「な、なんで、お前と……」
「ついでだ。どうせ行き先は同じだ」
そうだけど。確かに食堂へ向かう途中だったけどだ。
なんでお前と、とか、勝手に決めるな、とか文句言う暇もなかった。さっさと歩き出す五十嵐に、俺は「せめてペースくらい合わせろよ!」と突っ込まずにはいられなかった。
場所は変わって食堂。
結局ここまで来てしまった……。なんで俺が五十嵐と飯を食わなきゃならないんだという気持ちはあるが、ここまできたら仕方ない。
カウンター席、俺と五十嵐は並んで腰を掛けた。朝っぱらからラーメン頼む五十嵐によく食えるな、と思いながらも俺は焼き肉定食をつつくことにする。
「……なあ五十嵐、昨夜何があったか知ってるか?」
「昨夜?」
「ああ、なんか政岡のやつが襲われたらしいんだ」
「……どうせ神楽のやつじゃないか」
どうやら皆考えることは同じというわけか。麺を食いながら五十嵐は「あいつ、鬱陶しいくらいお前のこと気に入ってるみたいだしな」と興味なさそうに続ける。
気に入ってる……のか。懐かれてるというか。なんというか、政岡とも能義とも別ベクトルなのだ神楽は。だからこそ、あしらい方がよくわかんねえ。
「……なあ、どうにかなんねえのかよ」
「元叩けばいいだろ。あとは雑魚だ」
「そういう脳筋の話はしてないんだよ。もっと穏便に……」
「さっさとゲームを終わらせる」
……ですよね。
素っ気ないが、その分真意を突く五十嵐の言葉に頭が痛くなる。単純明快、簡単な話だ。
「あの馬鹿はなんて言ってんだ」
「俺には、気にするなってしか言わないし……」
「ゲームを終わらせる気はあんのか、あいつに」
「……ある、と思う」
「…………全然話し合えてないな、お前ら」
ごもっともだ。ぐうの音すら出ない。
確かに五十嵐の言う通り現状、最近になってようやく会話らしい会話ができるようになってきた。二人きりになると変な空気になるし、それが気まずくて誤魔化しては目を逸してきた。けれど、これ以上政岡の身になにかがあればそれこそあまり目覚めのいい話ではないわけで。
「一番早いのは生徒総会を臨時で開くことだな。そこで、全校生徒の前で発表する」
「嘘だろ」
「それが手っ取り早い、という話だ。どちらにせよこのゲームの趣旨はターゲットが好きだと公言しなければならない」
「早い話公開処刑だ」と、いつの間に麺を平らげたのか、五十嵐はスープを飲み干している。俺はというと、思考停止していた。
「…………」
「お前、そこまで考えてなかったのか」
「ひ、一人に言えば勝手に広まってくれるかなって……」
「そうしたいなら派手にやらないと意味ないぞ。……極端な話、他の生徒会のやつらに負けを認めさせればそれでいいが」
「……でもどうやって? あいつらの前で告白したらいいのか……?」
「正統派でいくならな。けど、連中が素直に認めると思うか?」
思わない。そんな簡単に納得してくれるやつらならここまで俺が悩む必要もなかっただろう。
首を横に振れば、五十嵐は手にしていた丼をトレーに置いた。そして、無駄に長い足を組み直すのだ。
「……だから、こういう場合は群衆を利用したほうが良い。他のプレイヤーが騒いで有耶無耶にする前に、野次を味方につける」
「……な、なるほど……」
「今からでもアイツを切れば俺がすぐに終わらせてやるんだがな」
そんなことをさらりと言ってくるから質が悪い。
「因みに参考までに聞くけど、どうやって?」
「放送室のマイクでお前にラブレターを読ませる」
「……どう足掻いても罰ゲームじゃねえか」
「知らなかったのか? お前の立場は罰ゲームだぞ。好きでもないやつを好きにならなきゃいけねえんだからな」
確かに、俺だけが損だ。いや、負けたやつらも損だろうが、その場合は自業自得だ。俺は完全にとばっちりなわけだし。
「因みに昔あまりにも演技下手なやつがいたときは本物の愛か確かめさせられるために全生徒の前で公開セックスさせられたやつもいるらしい」
そしてそんな頭を抱える俺にトドメを刺してくる五十嵐。耳を疑った。一気に飯が不味くなる。
「っ、じょ、冗談だろ……」
「そんな冗談俺が言うと思うか?」
「……………………いや、お前なら言いそうなんだけど」
「……」
納得するな。もっとちゃんと否定してくれ。
……つか、まじかよ。考えただけでも具合が悪くなる。だってあいつらに見られながらって……いや、無理無理無理。そんなの絶対無理だ。舌噛み切った方がましだ。
「まあ精々悩め。俺を選ばなかったお前が悪い」
「あ、おい五十嵐……っ」
「ご馳走さん」と席を立った五十嵐はそのまま平らげた トレーを片付けに行く。
つかまじで飯を食いに来ただけな。別にもっとゆっくりお茶しながらお話でもなんて思ったわけではないが、相変わらずマイペースなあいつに呆気取られていた俺は話に夢中になって放置していた冷めかけ定食に慌てて箸をつける。
クソ、人の飯を不味くするだけしやがって。
……どちらにせよ、政岡から逃げるだけじゃ駄目だってことか。避けられない現実に俺はただ溜息を吐いた。
五十嵐と別れた俺は一度政岡の様子を見るため部屋へと戻ることにしたのだが、戻る途中五十嵐の言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
政岡と、ちゃんと話さないといけない。逃げていたのは自分だ。わかっていたが、いざとなるとなんだか尻込みしてしまうのだ。
靄がかった気分のまま部屋まで戻ってきた俺はそのままドアノブを掴む。そして扉を開けようとした瞬間だった。
いきなり目の前の扉が開き、思わず「うおっ」っと飛び退いた。そして、開いた扉の向こうには血相を変えた政岡がいて、やつは俺の姿を見るなりほっとしたような顔をする。
「お、わり……っ!」
「ど……どうした? 何かあったのか?」
「お……起きたらお前がいなかったから……何かあったのかって心配してたんだ」
「あ……悪い、お前が気持ち良さそうに寝てる間、飯食いに行ってたんだよ」
「……そうか、ならよかった」
そう、胸を撫で下ろす政岡。確かに一人の時を狙って襲われたこともあっただけに心配性だなと一蹴できなかった。
「そうだ……政岡、話がある」
「は……話?」
「ああ、今後のことについてだ」
せっかくだ。こうして政岡も起きたところだ。今まではまともに話なんてできる状況ではなかったが、今はまだまともに話せる……はずだ。
そう踏んだ俺は、この気が変わる前に政岡に持ちかけることにしたのだが……。
――学生寮、自室。
椅子に腰を掛けた俺の前、何故か床の上に正座した政岡はでかい図体を縮み込ませていた。しかもよく見るとその肩すら震えている。なんで怯えられてるのか。俺か、俺が悪いのか。
「……お、尾張……話って……」
「……あー、そうだな。ゲームのことだよ」
びく、と政岡の肩が反応する。
最初はお互いヤケクソになって結んだ協力関係だ、どうしても その時のことを思い出してしまい微妙な気分になるがだからといって怖気づいては話はできないままだ。恥を忍んで、俺は続ける。
「……その、ゲームに勝つためにはお前が好きだって証明しなきゃなんねえんだろ?」
「あ、ああ……そうだな」
「五十嵐が言うには総会を開いて全校生徒の前で発表しろっていうんだよ。それが一番手っ取り早いって」
五十嵐の名前を出したとき、やつの眉根が寄せられる。けれど、それも一瞬。俺の言葉を聞いた政岡はそのまま押し黙るのだ。
「政岡?」と声をかければ、やつはゆっくりと俺を見た。
「……お前は、本当に俺でいいのか?」
「は?」
「だから、その……相手だ」
政岡からそんなことを言われるなんて予想すらしてなかっただけに、狼狽える。あれほど自分にしろ、自分にしろと暴れていた男が放つ言葉とは思えない。
「お前……今になって何言ってんだよ」
「違う、俺は、お前が他のやつらを選ぶのだけは許せねえけど……っ、その……………………お前が俺でいいってんなら総会、すぐにでも開かせる」
「すぐ……」
実感が、まるで沸かないのだ。明日、例えば全校生徒の前でこいつが好きだと宣言する。そんな自分が想像できない。演技でもなんでもやってやる、そう思っていたのに。冷静になればなるほど蟠りは大きくなるのだ。
「……なあ、政岡」
「どうした?」
「お前って、まだ俺のこと好きなの?」
それは、純粋な疑問だった。自惚れだと思われても仕方ない。そうさせたのは、真っ直ぐなまでにぶつかってきたこいつのせいだからだ。
ぎょっとした政岡だったが、そのままきゅ、と唇を硬く結び、それから真っ直ぐに俺を見つめ返す。
「……ああ」
肺に溜まった空気を絞り出すような、切羽詰まった声。その目で見つめられるだけで落ち着かなくなる。これが、『本気の好き』だっていうなら、俺はなんだ。俺はこいつと同じようにこいつのことを好きだと言えるのか。
「……尾張?」
「……はは、こりゃ……比べ物になんねーわ」
いくら口で大層な口説き文句を並べようが、一目瞭然だ。少なくとも俺は、こいつを真似しろと言われても無理だろう。口先だけで誤魔化せるのか。
「……何かあったのか?」
「何かっつーか、そうだな……」
言葉が見つからない。じ、と目の前の政岡を見つめ返してみる。「お、尾張?」と僅かに声を上擦らせる政岡。
「ど、どうした……?」
「俺は、ちゃんとお前のことを好きになってるか?」
「…………え?」
「五十嵐に言われたんだ。……口先だけで誤魔化せるほど、今回は甘くないって。お前を勝たせようとしても、俺が疑われたらどうしようもねえだろ」
「五十嵐、あいつに会ったのか?」
「……ああ。飯食っただけだよ。そのときに、いろいろ聞いた」
「…………」
政岡はなんだか妙な顔をしていた。怒ったような、それでいて困惑したような顔だ。
「……政岡」
「いや、悪い。……そうだな。俺の方でも、考えてみるよ。あいつらにごちゃごちゃ言わせないための方法を」
そういう政岡の声は明らかに先程よりもトーンが落ちている。声だけではない、その回りの空気からしてもわかるくらいやつは落ち込んでいた。
そんなつもりはなかったのだが、こいつからしてみれば確かに俺は『お前のことを本気で好きにはなれない』と言ったようなものだ。でもだからといって軽はずみに撤回もできない。そのまま部屋から出ていこうとする政岡に「どこに行くんだ?」と声をかければ、足を止める。
「部屋に戻る。彩乃のやつ、もう部屋出ていったってことだろ?」
「ああ、そうか……そうだな」
「じゃあな」と政岡は俺を振り返ることなく部屋を出た。その背中が寂しそうに見えたが、かける言葉も見当たらなかったのだ。
……悪いこと、しただろうか。けど、事実だ。それに俺たちは今更おべっかを言い合うような関係でもない。
けど、あんな落ち込んだあいつを見てもやはり胸のもやもやは形を大きくさせるばかりだった。あいつの態度ではない、俺自身に対してだ。自分が何を考えているのか、己のことなのに何一つわからないのだ。
……とにかく、政岡の作戦を待つか。俺にできることといえば、それくらいだろう。
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