ep.6 馬鹿も食わないラブロマンス

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 部屋を移る。そう言った岩片に連れてこられたのは岩片の部屋だった。  最初入るのに躊躇ったが、体よく二人きりになれて誰にも邪魔されない場所となると限られてる。身構えながらも俺は「入れよ」と促されるがまま部屋に上がった。  片付ける人間のいない部屋は荒れ放題だ。 「空いてるとこ、好きに座れよ」  好きにって言われても寛いで座れる場所を探す方が難しい。  俺はソファーの上にかかったままの上着を適当に避け、ソファーへと腰を下ろした。つか、まじで掃除してねえんだろうな。同じ部屋のときから俺しか掃除してなかったことには気付いていたが、限度というものがある。 「それで? 話ってなんだよ」  ベッドへとソファーがわりに腰を下ろした岩片はふんぞり返るようにその足を組むのだ。相変わらず偉そうだ。ここはやつの部屋なのだからどう振る舞おうがやつの勝手だが、相変わらずの岩片についむっとしそうになる。  怒りを堪え、俺はやつに目を向けた。 「そっちこそ、俺に用があったんだろ?」 「……………………」  なんで黙るんだよ。  そう、口を開こうとしたときだった。 「用なんてねえよ」 「は?」 「お前の顔見に来ただけだよ」 「……………………」  呆れて言葉も出なかった。  どういう風の吹き回しか?いや違う、俺を試しているのだ。俺の反応を見て笑うつもりなのだ。  完全に馬鹿にされてる。怒りのあまり顔面に熱が集まるのがわかった。それでも、ぐっと堪える。ここで怒りに身を任せては前回の二の舞だ。 「……なら、もう十分堪能したろ」 「まだだ。ハジメ。お前の要件を聞いてなかっただろう?」 「まさかお前まで俺の顔が見たかったなんて言うつもりじゃないだろうな」と真面目な顔して素っ頓狂なことを言い出す岩片に耐えられなかった。 「っ、……そんなこと考えるやつ、お前くらいだよ」 「どうだかな。……それで、なんだ?」 「それは……」  なんだか、上手く躱された気がする。もやもやとしながらも俺は言葉を探した。  この部屋に来る前、こいつがやってくるまでずっと考えていた。  政岡のことも、これからどうするかということも。  ……それから、自分の気持ちのことも。  何が最善なのか、どれが一番波風を立てずに済むのか……正直うんざりしていた。寝ても起きても生きた心地がしねえ、いい加減にしてほしい。  働かない頭を無理矢理叩き起こして考えた結果思い当たったのは一つの選択だった。  政岡を取れば岩片が黙っていない、岩片を取れば逆も然りだ。だから、俺は。 「――……もう、やめにしないか」  岩片に直談判すること。これは、政岡がいる内は叶わなかっただろう。下手すれば余計火に油を注ぐ羽目になる。本当だったら顔も見たくないやつだが、このまま逃げ続けたところで余計事態が悪化するのはわかっていた。  だから、全て話すことにしたのだ。 「俺は、政岡に協力してもらってこのゲームを上がる」 「へえ? なんでそんなことわざわざ俺に言うんだ? 黙って上がりゃいいんじゃないか?」 「……お前のことだ、どうせ俺に心が籠もってないだとかケチつけてくるのは分かってたからな。だから、腹割って話しに来たんだよ」  確かに、コイツにされたことを忘れたわけではない。今でも思い出しては憤死しそうになる。けれどこのまま避けたところで追々障壁になるのもわかっていた。  心の奥底でどこか期待していたのかもしれない。まだ、話が通じるかもしれない。そんな、甘い期待。 「『もう僕は耐えられません、これ以上されたら心まで女の子になっちゃいます』ってか?」  なんて、少しでも期待していた俺が馬鹿だとすぐに知らされることになる。馬鹿にしたような言葉、笑いに胸の奥が詰まりそうになった。これは、怒りというよりも落胆、同時に自分自身への嫌悪と恥。  分かりきっていたことだ、こいつはこんなやつだと。それでも、少しでも人らしい感情が残っていると期待していた俺が馬鹿だったのだ。 「どうとでも言えよ、俺は絶対お前だけは好きにならねえよ。こんなこと、時間の無駄だからこうして言いに来てやったんだよ」 「なあハジメ、お前って本当難儀な性格だよな。自分でも、その甘さがわかってねえんだろ? 余計質が悪いな」 「……っは、なんだよそれ。負け惜しみのつもりか? 脅されようが馬鹿にされようがお前なんかに振り回されんのはもう懲り懲りだっつってんだよ」 「俺が上がれば、負け犬はお前だ。それが嫌なんだろ? 政岡に負けんのが」売り言葉に買い言葉、こいつを少しでも信じようとした自分が何よりも恥ずかしい。それ以上に悔しかった。  岩片の地雷などわかっている。それを今自分からぶち抜いたこともわかっていた。  けれど、岩片の反応はあくまでも変わらない。  それどころか。  急に立ち上がった岩片が距離を詰めてくる。やべ、と思ったときには遅かった。目の前には岩片がいて、ソファーから立ち上がろうとする俺の腹の上に膝を置き乗り上がってくるのだ。その重みにより立ち上がることを封じられる。 「……ハジメ、お前は本当甘いよな。甘すぎんだよなぁ……? なんだ、飴ちゃんか?」 「っ、離せよ、またお得意のセックスで解決するつもりか? この下半身野郎が……ッ!」  分厚いレンズの下、影かかったやつの目と視線ががち合った瞬間全身に嫌な予感が駆け走る。  嫌な記憶が蘇り、退けよ、と上の岩片を払い除けようとしたとき。腕ごと掴まれ、捻り上げられる。 「っ、おい……」  退け、と開きかけた唇に柔らかい感触が触れたと思った瞬間には目の前の視界が黒く塗り潰されていた。唇の感触はすぐに離れた。けれど、鼻先数ミリの至近距離。  呆然とする俺を真っ直ぐに見据えたまま岩片は笑うのだ。唇の端を軽く持ち上げるだけの、薄っぺらい笑顔。 「……それで解決できんならこの部屋に入った時点で犯してるっての、わかんねえのかよ」 「……っ、退けっ!」 「あいつなんかやめて、俺にしろ」  ふ、とその顔から笑みが消えたときだった。  そう、真正面から目を覗き込んだまま、やつはそんな言葉を口にした。  一瞬、言葉を言葉と認識することもできなかった。唇に吹き掛かる吐息に、手首を掴むその手のひらの熱に、いつの日かの夜を思い出しては全身が石のように固くなる。  なんで、そんなこと。加速する脈に、息をするのも忘れそうになったその瞬間。 「――……なーんて。そう、言ってもらいたくてここに来たんだろ」  俺から顔を離した岩片はそう、アホみたいに開いたままになってた俺の唇に触れるのだ。そして、そこで気付いた。誂われていたのだと。  瞬間、先程までとは比にならないほどの熱が溢れ出す。 「ん、なわけねえだろ……っ!」  そう、掴まれた腕に力を入れて振り払おうとするが、岩片の指は蛇のように絡み付いて離れない。それどころか、まるで逃さないとでも言うのかのように更に俺の腕を締め上げるのだ。  岩片の表情は変わらない。冷ややかな目でじっと俺を見下ろすのだ。 「じゃあ、お前はずっと俺の側にいたのに俺のことなんて一ミリも理解しちゃいないアホだったんだな。……俺がそんなこと言われて『はいそうですか、それじゃお幸せに』なんて言うと思ったのか?本気で?」 「っ、ああ、そうだよ、少しでもお前の善意を信じた俺が馬鹿だったな」 「ああ、大馬鹿だ。いくら鈍感だと言え限度があるだろ。ここまできたら寧ろわざとかと疑いたくなるな」 「本当は、俺に構ってほしかった。そう言われた方がまだしっくりくるほどだぞ」伸びてきた手に、顎から耳朶にかけての輪郭を撫であげられればそれだけで無数の虫が這うような感覚に襲われた。振り払いたいのに、腕が動かせない。精一杯の抵抗として、俺は思いっきり上の岩片を膝の頭で蹴ろうとして、やつは「おっと」と軽くそれを防いでみせた。……こういうところも、なにもかもが腹立つ。 「っ、お前、全然変わらないな……人の気も、知らないで」 「いいや、悪いがお前よりお前のことはよーく知ってるぞ、俺は。お前の性格も、何考えてるかも、全部だ」 「っ、ふざけるな、お前は……っ」 「零児じゃお前の相手できねえよ。お前の喜ばせ方も、何を求めてるかも全然わかってねえ」  嘘だ。お前は俺の気持ちを理解できない。だから、こんなにイライラするのだ。反論しようと開いた口をまた塞がれる。顎の下を掴まれ、顔を上げさせられたまま口の中に入ってくる岩片の舌にぶるりと背筋が震えた。 「……っ、ふ、……ッ!」  先程の触れるだけのキスとは違う、捕食のそれだった。口を閉じさせる暇すら与えずに喉の器官を押し開くように口いっぱい捩じ込まれる舌に血の気が引いた。久し振りの岩片の熱に、頭の奥、固く閉じていたそこを無理矢理こじ開けられるかのように一瞬で熱が溢れ返りそうになる。  堪らず、思いっきり顎を閉じてその舌に歯を立てた。薄く濡れた粘膜を突き破るような嫌な感触と同時に甘い血が口の中に広がるのだ。 「ッ……ぐ、ん……む……ッ!」  びくりと跳ね上がったやつの舌はそれを無視して俺の口の中、舌先に、溢れる血を擦り付けるように荒らしていく。唾液と血で溢れた口の中、あまりの濃厚な鉄の味に耐えられず嗚咽を漏らしたとき、舌が引き抜かれた。そして、赤く濁った糸が引く。気分は最悪だった。 「……気が変わった」 「っ、い、わかた……」 「ハジメ、俺と勝負しろよ」  ……――は?  赤く濡れた唇を指で拭い、やつは嫌な笑みを浮かべた。いつもの不遜で憎たらしい、あの謎の自信に満ち溢れた笑みだ。 「なに、言って」 「お前に俺じゃないと駄目だって言わせてやる」 「あいつでも、他の誰でもなく――俺じゃないと駄目だって」こいつは、なんでこんなことをいけしゃあしゃあと口にすることができるのか。俺にはまるで理解できない。不敵な笑みを浮かべ、そんなこっ恥ずかしい言葉を口にする岩片に怒りすらも通り過ぎていた。 「っ、なんだよ、それ……んなの、言うわけ無いだろ、馬鹿じゃないのか」 「そうだな、お前が勝てば俺は帰るよ」 「……は?」 「前の学園に。お前はここで幸せに暮らしてたらいい、そうだろ?お前だって俺の顔見たくねえだろうし」  これで、今度こそ正真正銘の自由だ。ほら、喜べよ――。  なんて、この男は笑うのだ。楽しそうに、人の気も知らないで、やっぱこの男は頭のネジが足りない。俺の気持ちも全く理解してない。  それだけは、間違いないだろう。 「っ、ふ、ざけんなよ……っ、人をこんなド田舎に連れてきておいて一人だけ帰るって、なんだよそれ」  あまりにも勝手な言い分に堪らず言い返したとき、岩片の眉がぴくりと動いた。そして、口元にはいつもの腹立つ笑み。 「ハジメ、お前さぁ……まさか自分だけ置いていくな、とか言うつもりじゃないだろうな」 「当たり前だろ、お前が言うからこんなところまで来たんだろ。俺は、この学園に用なんか……っ」 「……それってさぁ、もしかして俺がいないからとか?」 「は?」  ソファーの上、伸びてきた岩片の腕は俺の逃げ道を塞ぐのだ。あっという間に追い込まれるような体制の中、内心やばいと思ったがここで動揺を悟られてはこいつの思うがままだ。 「……勘違いすんじゃねえよ、俺は一般論で言ってるんだよ。誰も、お前に着いていくとは言ってねえ。ここに置き去りにするくらいならせめて実家まで送り届けろって言ってんだよ、人を転校までさせやがって」 「ふーん……? なるほどなぁ」 「っ、なんだよ……」 「……じゃあこうするか、お前も帰りたいんなら実家でも学園にでも好きなところまで車出してやるよ。手続きも、任せろ。その代わり、そのあとは俺は一切お前と関わらない」  正直に言おう、俺は、このとき確かに落胆した。  というよりも、失望に近いかもしれない。このゲーム、明らかに有利なのは俺だ。そんな中岩片がこのルールを持ち出したということは、岩片は少なからず俺とこの先関わらなくてもいいと思っているということだ。別に、俺だってこっちから願い下げだと思うのに、よりによってこんなクソみてーなくだらねえゲームの餌にされて腹立った。そんなものかよ、別に、別にいいけど。こんなやつに人間味だとか人としてのなんたらを期待していたということにも余計腹立ってくる。 「おいおい、なんでお前がそんな顔するんだよ、もっと喜ぶところだろ」  ハジメ、と頬に伸びてきた手。拘束が緩んだ瞬間、その胸ぐらを掴んだ。岩片はさして驚くわけでもなく、「おおっと」とアホみたいな声を出しておどけた。そんな仕草が余計癪に障るのだ。 「……なにが、俺がいないと駄目だ。それはお前の方だろ」 「………………」 「上等だよ、お前に絶対言わせてやる。俺じゃなきゃ駄目だって、言わせてやる」  腹立った。俺とこいつの今まで一緒にいた中、こいつは俺に情の一片すらも沸いてないのだ。決定的な部分が大きく欠けた男だと思っていたが、正直に言おう、俺は少しくらいは……一ミリ二ミリくらいはこんな男でも友情のようなものを感じていた時期もあった。こいつがこういう風に接してくれるのは俺だけだと宣ってた時期もあった。ああ、馬鹿馬鹿しいな。そんなもの俺の思い込みだったわけだ。  現に、目の前の岩片はこれまでにないほどの楽しげな笑いを浮かべていたのだ。 「そりゃあいい。……後悔するなよ、自分の言ったこと」 「そりゃこっちのセリフだ。約束守れよ」  このときの俺の精神状態は冷静からかけ離れていた。頭に血が昇っては、沸騰したままお湯が溢れた状態だ。そんな俺を冷静にさせてくれたのは、外から聞こえてきた政岡の声だ。俺を探すうるせえ声が廊下の方から聞こえてきたのだ。 「どうやらあの犬が戻ってきたらしいな。騒ぎ出す前にさっさと部屋に戻った方がいいんじゃねえの」 「言われなくてもそのつもりだ、邪魔したな」  つか、退けよ。とその胸を押し返したとき、そのまま手首を取られる。 「……ハジメ」  また来いよ、とそのまま手の甲にキスされそうになり、振り払った。 「じゃあな」  そのままソファーから降り、俺は岩片の部屋を出た。  最悪だ、まだ、心臓が煩い。指の感触も残ったままで、俺は制服の裾でごしごし拭って取れないか試みるが無理だった。 「…………はぁ」  クソでかい溜め息も吐きたくなる。  なんで、こんなことになったのか。一人になってからようやく頭の熱が落ち着いていくようだった。  けれど、ああいうしかなかった。我慢できなかった。俺だけがなんでこんな理不尽なことされなきゃらないのか、それなら、と言い出した自分の言葉だが今となれば訳がわからない。  岩片に『お前じゃなきゃ駄目だ』と認めさせる?……ぜってー無理だ。  できんのか、そんなこと。相手は俺よりも偏屈で面倒な男だぞ。思い返せば思い返すほど頭がズキズキと痛んでいた。  悪い癖だ。……売り言葉に買い言葉。  馬鹿にされると後に引けなくなる。負けず嫌いな性格は損しかならないとわかっていたはずなのに。  あいつの言葉を認めたくなかった。  俺は、あいつに止めてほしいわけじゃない。断じて違う。そんな、いじらしい乙女みたいなことあいつなんかにするわけないだろ普通に考えて。  ……クソ、またムカムカしてきた。  一旦冷静になるついでに乾いた喉を潤そうかとラウンジの自販機でドリンクを買ったとき。 「尾張!」  ドタバタと近づいてきた足音に振り返れば、そこには政岡がいた。安堵したような顔。よほど俺が部屋にいないことが心配だったようだ。 「尾張、どこに行ってたんだよ」 「喉乾いたからジュース買いに行ってたんだよ」 「それなら……いいけど、すげー心配するから一言くらい言ってくれ」 「……悪かったな、心配かけた」  こいつの場合、心配し過ぎな気もするが確かに前回が前回だ。ついでにもう一本ジュースを買う。政岡が好きだと言っていた強炭酸のコーラだ、それを「ごめんな」とお詫び代わりに渡せば政岡は「お……さんきゅ」と嬉しそうな顔をして、すぐにむっと顔を顰めるのだ。どうしたのかと思えば、そっと頬に伸びてくる手にぎょっとする。けれど、その手は俺には触れなかった。けど、政岡の目は確かに俺の口元に向けられた。  「尾張、お前……怪我したのか?」  あ、と思ったときには遅かった。  ――岩片の血が俺の唇に残っていたらしい。やべ、と思いながら俺は手の甲で口元を雑に拭う。 「乾燥してたんだろ。別に、大したことない」 「尾張……っ」 「それより政岡、電話の件は大丈夫だったのか?」  部屋にいたとき、政岡の携帯にかかってきた電話のことを思い出す。話の内容からして能義関連だとわかったが、そのまま政岡は部屋を出ていったきりだったのだ。  政岡は露骨に会話を逸らされ戸惑ったような顔をしていたが「ああ」と頷いた。 「いや、大丈夫じゃないんだが……後輩が能義の野郎を見かけたらしいがまた逃げられたらしい。あいつ、逃げ足だけは早いからな」 「…………ふーん、そうか」 「尾張?」 「いや、なんでもねえ。それより、五十嵐の部屋の修繕はまだ掛かりそうなのか?」 「ああ、多分今日業者が来るから夜には間に合うと思うが……」 「そうか、良かったな。……早めに五十嵐にも伝えておけよ。お前も、今夜からはゆっくり部屋で寝れるようになるな」  とは言え、今朝だってこいつはまともに俺のベッドを使わなかったわけだけど。俺に気遣ったわけではないだろうが……。  けれど、一人用のベッドに男二人ぎゅうぎゅう詰めになって眠るよりかは絶対自分の部屋のベッドを広々と使う方がいいに決まってる。そう思って声をかけたつもりだったが、政岡の表情は変わらない。それどころか、神妙な面持ちでこちらをじっと見てくるのだ。 「尾張、そのことなんだけどな……」 「ん?」 「――お前、俺の部屋に来ないか?」  一瞬、周囲の音が消えた。じんわりと、ボトルを握る手のひらに手汗が滲む。俺は、思わず目の前の政岡を見上げた。目が合えば、あいつは慌てて目を逸らすのだ。そして。 「いや、疚しい気持ちはねえよ! 断じて! ……けど、扉は壊れてるし、もしまた一人んときに能義のやつが来たら……っ、俺の部屋なら一緒にいてやれるし、ほら、何かあったときもま、守れるだろ……?」  政岡の部屋に行く。確かに、能義がきたときこの男がいるのといないのとでは安心感が違うのはある。 「……そうかもな」  そう呟けば、一人青くなったり赤くなったりと忙しなく百面相をしていた政岡は「尾張」と嬉しそうに顔を上げた。 「……けど、俺は大丈夫だ。このままこの部屋に残るよ」  関係は解消、全ては今まで通り――といくにはあまりにも時間が浅い。表面上前と同じように接してはいるが、爪痕もまだなくなったわけではない。臨時の一晩だけとは訳が違う。線引きを間違えれば、また前回の二の舞だ。それだけはしてはいけない。  そんな俺の言いたいことを感じたのだろうか、目の前の政岡がみるみる内に意気消沈していくのがわかった。 「そうか、わかった。けど、何かあったらすぐに呼んでくれよ」 「ああ、了解」
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