ep.6 馬鹿も食わないラブロマンス

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 なんとか授業が終わり、昼休みが始まる。  俺は岩片を置いたまま教室を出た。別になんらおかしいことではない、そう言い聞かせるが背後に突き刺さる視線だけはなかなか外れなかった。  学園内、屋上。  どこか人のいない場所で風に当たりたかった。  立入禁止の立て札を無視して屋上へ続く登った俺は、目の前の扉を開く。瞬間、吹き込んでくるのは生温い風。  そして。 「……なにしに来た」  扉のすぐ横から聞こえてきた低い声。視線を向ければ、そこには壁を背に胡座掻いて座る五十嵐がいた。 「いや……お前こそなんでここにいるんだよ」 「ここは俺のお気に入りの場所だ。……この時間は大体ここで過ごすと決めてる」  通りで静かなわけか。不良の溜まり場に鳴ってたらおとなしく帰ろうと思ったが、溜まり場よりも厄介な場所にきてしまったらしい。 「そりゃお邪魔して悪かったな」 「待てよ」 「………なんだよ」 「政岡についてだ。あれ、お前が送り込んだのか」  ……またあいつか。神楽といい五十嵐といい疑われ過ぎじゃねえか?と思ったが仕方ない。……あいつ、嘘吐けなさそうだしな。  それに、五十嵐はこちら側の人間でもある。口は堅いし利害も一致してる。……事情を話しておいた方がスムーズになるかもしれない。 「あれってなんのことだ?」 「恍けるな。……例の馬鹿げたイベントにあいつが賛同した件についてだ」 「ああ、そうだな」 「……そういうことか」 「お前も賛同したのか?」 「……そうしないと何をしでかすか分からないからな、表向きはだ」  つまり、こいつも俺たちと同じ考えで一人で動いていたということか。その言葉を聞いて政岡一人よりもましかと安堵しかけるが、状況はまだ油断ならない。 「……例の抱かれ……あのネーミングセンス最悪のイベントは岩片が発端だと聞いたが、本当なのか?」 「間違いない。……俺は五条祭に呼び出されて、そこで岩片と能義に聞かされた。……その話し合いに政岡の姿はなかったな」 「……五条……」  あいつ、姿が見えないと思いきや岩片のやつのところに行っていたのか。  別に側にいてほしいわけではないが、よりによってあいつのところに行くのかよと腹が立った。 「正直な話、腹を括っておいた方がいいぞ。神楽はともかく、他の奴らは本気だろうからな」  勿論、政岡もだ。と続ける五十嵐。  政岡にはそうさせてるのだからな、と思ったがなんだろうか、胸の奥がざわつく。 「五十嵐……俺は、風紀の連中に手を借りてこのイベントを潰すつもりだ」 「……風紀か。悪くはない手だが……政岡は知ってるのか?」 「ああ、それは承知の上だ」 「……明日は槍でも降るのか?」 「……」  確かに、政岡を説得させるために強引な手を使ったのも事実だ。けれど、五十嵐の表情は相変わらず硬いままだ。 「近々詳しい話は政岡からも聞くだろうが、偏執狂と変態は何をしでかすかわからんからな。……あまり人気のない場所は彷徨くなよ」 「……お前が心配してくれるなんて、やっぱ明日の天気は槍だな」 「……ほざけ。どうせ政岡とも表立って接触することは禁じてるんだろう?なら大人しく風紀室であの変態眼鏡と一緒にいろ。今はそれが安全だ」 「……はいよ」  こいつがここまで心配するなんて、余程俺は面倒なところにいるのだろう。それがわかったからこそ余計どんな顔をすべきか分からなかった。笑っておけばいいのか?  何故こんな面倒なことになってるのか。頭では理解していた、自分のせいだと。それでもだ。 「……はあ」  五十嵐が屋上を後にしたあと、俺は暫く風を浴びていた。屋上から見下す景色はなかなかだ。転落防止の手摺を掴み、学園敷地内全体を見渡す。  今日もこの学園は妙に浮かれてる。学生寮前、喧嘩してるのかじゃれてるだけなのかよくわからない人混みを眺めていたとき。ふと、見覚えのある姿を見つけた。  眩い金髪に右腕の腕章――あれは、寒椿だ。学生寮裏、珍しく一人で歩いてる寒椿の姿を見つけた。  いつも傍らに風紀委員がいるイメージがあったが……いや、偏見か。それにしても目立つやつだな、こうして遠くから見てもわかる。  野辺のところにでも行く途中だろうか、なんて視線を外そうとしたときだった。寒椿の元へ向かう人影を見つける。 「あれは……」  白に近い銀髪頭。着崩した制服姿に、遠くから見ても分かるほどのガタイの良さ。間違えるはずがない、馬喰だ。何故馬喰が、と目で追ったとき。寒椿は馬喰を見つけ軽く手を振る。  ……あの二人、知り合いだったのか?  何やら話してるようだが、流石にここまで会話の内容は分からない。馬喰の後ろ姿しか見えないのでどういう関係かもわからないが、寒椿の態度はあくまでもフランクだ。  別に馬喰にどんな交友関係があろうが関係ない、けれど……なんでこんな人目に隠れるような場所で落ち合っているのだろうか。それが余計引っ掛かった。  そんなとき、ふと馬喰の肩越しに寒椿がこちらを見た気がした。咄嗟に頭を下げたが、……この距離だ。流石に気付かれてはない……だろうか、わからない。俺と同じくらい視力が良ければもしかしたら。  ……場所を変えるか。  もしバレてたとしても、寒椿に監視してると思われるのは癪だった。もう少し屋上にいたかったが、仕方ない。すごすごと俺は屋上を降りていく。  扉を閉め、立入禁止の立て札を元に合った位置に戻す。そのまま教室へと戻ろうかとしたときだった。政岡から連絡が入った。 「もしもし」 『……今どこにいる?』 「屋上だけど、どうかしたのか?」 『直接話したいことがある。そっち行っても大丈夫か?』  なんとなく向こう側の政岡の声が緊張してるように聞こえた。寒椿のことが気になったが、相手は寒椿だ。まあ大丈夫だろうと「ああ」とだけ答え、俺は政岡と落ち合う約束をして通話を切る。  それからすぐに政岡は現れた。まさか走ってきたのだろうか、政岡は俺の顔を見るなり「そこに入るぞ」と近くの物置部屋を指差した。なんとなく鬼気迫るものを感じ、俺は政岡に言われるがまま物置部屋を入る。  鍵が壊されてるらしいその倉庫はあまりにも埃臭く、入った瞬間俺は思わず噎せてしまう。 「それで、どうかしたのか?」そう扉の前に立つ政岡を振り返ったとき。 「……っ、尾張、俺は絶対お前を勝たせたいと思ってる」 「……なんだよ、いきなり」 「…………その、だな……そのー……あのな、……気分悪くすんなよ」 「しねえよ」  だからその先を言え。そう視線で促せば、覚悟を決めたようだ。政岡の喉仏はごくりと上下する。そして。 「…………やっぱ疑われてんだよ、俺。お前と繋がってるって」 「……そうだな、今朝神楽にも疑われた」 「あいつに会ったのか?」 「ああ、けど……俺が関係ないって言ったら妙な態度だったけどな」 「……そうか、あいつ……」 「お前が疑われるのは百も承知だ、俺も風紀のやつらもな」  そう、そして政岡も潜入の厄介さは理解してたはずだ。元より疑われてたせいで省かれていたのだから。それでもこの反応となると、他に問題が起きたということか? 「……お前と関係ないっていう証拠を出せって言われた」 「証拠?そんなの……」 「……っ、お前を無理矢理抱いてこいって」 「…………は?」  そんなの、いくらでも用意させてやる。  そう言い掛けて開いた口からは素っ頓狂な声が漏れた。怒りか緊張か、白くなるほど噛み締められたその口から出てきた言葉に頭の中が真っ白になる。 「だ……抱いて来いって……」  聞き間違いかと思いたいが、政岡の表情からしてそれが聞き間違いではないと分かる。  正直、あいつらの言いそうなことだ。差し詰め、情がなければ何でもできるだろうというところだろう。理解できるが、それはあくまで俺が対象でなければの話だ。 「それで?あんたはなんて答えたんだ?」 「ふ……不公平だろって、突っぱねたに決まってんだろ……!じゃねえと、そんな……ッ」  言い掛けて、言葉を飲み込む政岡。怒りか、それとも余計なことを思い出したのか。その耳までもが赤くなってるのを見てなんだか頭痛がした。  けれど、政岡の言葉を聞いて安心した。  ……ハメ撮りでも用意してこいってか。見せたところで納得しないのだろう、どうせ。  怪しまれても無理はない、どうせ遅かれ早かれボロは出ると分かっていた。けどまさかここまでとは。 「お、尾張……悪い、俺……」 「いや、それでいいと思うぞ。何を言ったところで、何を見せてもどうせ信じないからな」 「だ、だよな……!あいつら鼻っから俺をハメようとしやがって許せねえ……っ!!」  けど、だとすれば問題はどうすれば信じられてもらえるかだ。……いや、もうそれは無理だろう。ならば。 「……」 「……尾張?」 「……政岡、作戦変更だ。あんたは神楽を味方に付けろ」 「……あ?なんであいつの名前が出るんだよ」 「能義と岩片はどうせ信じねえよ。けど、神楽はあんたに同情的だからな」 「同情……いや待て、でも味方なんて……」 「全部打ち明ける必要はねえよ、あんたはまだ俺に惚れてるってことにすりゃいい」 「っ、それは……」 「俺には捨てられたけどどうしても諦めきれねえ、だからわざわざ愛想尽きるフリしてまで戻ってきたけどその理由は尾張を守りたいから。……なんてことにしてりゃ、あいつなら助けてくれんじゃねえか?」  目の前の政岡の表情が強張るのは見なかったふりをして続ける。  酷いことを言ってるのだろう、俺は。  政岡の表情からそれは分かったが、感傷に浸ってる場合ではない。 「……尾張……っ」 「政岡、今は俺の言うことを聞いてくれ」 「……っ、分かってる。けど、そんで神楽から情報を流してもらえってことか?」 「ああ、筋書きはな。……それで、五十嵐の仕入れた情報と照らし合わせる」  本当に上手く行くのか、そう政岡は言いたいのだろう。  前々から思っていたがこいつは口だけではなく目も雄弁なようだ。 「お前が言いたいことは分かる。けど、大丈夫だ。神楽には俺が手回ししておく」 「手回しって……」 「別に大したことじゃねえよ、あんたはいつものようにしとけばいい」  生憎、泥を被る役目には慣れている。  こんな形で使うのは本位ではないが、あくまでもこれは自分のためだ。  ……岩片に勝つためだ、手段を選ばねえ連中相手にお利口さんのまま勝てるのは不可能だ。  最初から分かりきっていたことだけどな。  いい加減腹を括れとあの男が笑う声が聞こえたような気がして、思考を振り払う。  そして時計を確認した。現在時刻昼過ぎ。  今の時間ならあいつは飯でも食いにフラフラ食堂へと来てるはずだ。  俺は政岡と別れ、階段を降りて食堂へと向かった。  神楽を探しに行く、なんてこともせずとも幸い俺の隣の部屋は神楽の部屋になっている。  ――学生寮、自室前。  壊されていたドアノブは元通りになっており、それを使って部屋の中へと戻ってきた俺はそのまま五十嵐に連絡をした。内容は頼みたいことがあるから部屋に来てほしいというものだった。  ベッドに腰をかけて待っていると、暫くして扉が叩かれる。「俺だ」と扉越しに聞こえてきた不機嫌そうな声に立ち上がった。  扉を開くなり勝手に部屋へと上がり込んでくる五十嵐。今更この学園の奴ら相手にマナーだの礼儀などを問うつもりはないが、もう少しなにかないのか。  そうずかずかと部屋の奥まで入っていった五十嵐はまるで自分の部屋であるかのような態度でどかりソファーに腰を落とす。 「ちゃんと施錠はしろよ、お前の部屋は非常識な客人が多いようだからな」  だとしたらお前もその内の一人ではないか、と喉まで出かかったがなんとか堪えた。もとより呼び出したのは俺の方だ。「はいよ」とだけ答え、扉を内側から施錠する。そして俺は椅子を引っ張り出し、五十嵐と向き合うように腰を降ろした。 「それで、お前に頼みがあるんだが……」  この男相手に勿体ぶったところで時間の無駄だ、単刀直入に俺は本題に入ることにした。  その間俺の話を黙って聞いていた五十嵐はこちらを見た。 「で?……神楽の馬鹿を敵に回してそのまま政岡の味方をさせたいと」  苛ついたような、不機嫌さを隠そうともしないしかめっ面。突き刺さるようなやつの視線を受け止め、俺は「ああ」とだけ返した。返事の代わりに大きく溜息を吐く五十嵐。 「……そんなことのためにわざわざ俺を呼んだのか」 「だって……協力してくれそうなやつ、お前しかいねえし」 「お前だったら他の奴らに声を掛けりゃ乗ってくれるだろ」 「あのな、演技だからな。言っとくけど。……それに、俺だって本気じゃない」  五十嵐の言いたいこともわかる。俺だって、本当ならば別に好き好んでこんなことをしたいとは思わない。  政岡が動きやすくするためにはやはり味方が必要になる。  そして神楽に地雷があることはすでに五条からも聞いていた。  非処女、不貞行為、その他諸々――要するにあの男は自分が遊ぶ側の人間であるくせに所謂股のゆるい人間が嫌いだというのだ。  薄い壁一枚の向こうには神楽の部屋がある。そして、あいつが部屋にいるということも確認はしてる。  神楽のヘイトを集めるには一人ではどうにもいかない、わざわざ五十嵐を呼んだのはこの茶番に付き合ってもらうためだった。 「……はあ、くだらねえ」  わざわざ神楽のために本気で男漁りをするわけにもいかない、そうなるとある程度信頼できそうですでに何度か近いこともした間柄であるこの男が一番適任に思えた……のだけど。人が恥を忍んで頼んでるというのに先程からこの態度だ。それでもこんなこっ恥ずかしい頼みごと誰彼構わず頼むこともできない。  五十嵐、ともう一度念押そうとしたときだった。 「けど、悪かねえな」  いいのか?と顔を上げれば、「あいつには丁度いいだろ」と五十嵐は足を組み直す。それから隣の部屋――神楽の部屋の方を一瞥し、やつは自分の隣を指で叩く。  ――こっちに来い。そう言いたいのだろう。  まるで人を犬か何かと間違えてるのではないかと思いたくなるほどの傲慢な態度だが、悲しいことに俺の体には深く染み込んでいるようだ。椅子から立ち上がり、やつの隣に腰を掛ける。 「お前、やる気あんのか?」 「は?」 「遠いだろ」  いや近いだろ、十分。と言いかけた矢先のことだった。伸びてきた手にネクタイを掴まれ、ぐっと頭を寄せられる。五十嵐の膝の上、思わず手を付き至近距離で見つめ合う形になる俺に五十嵐は「キスでもしとくか」といつもの鉄面皮のまま口にするのだ。 「……演技って言ってるだろ」 「隣の壁突き抜けるほどの声出せるのか?お前」 「……っ、それは……――」  努力する。そう答えようとした矢先だった。  目の前の薄い唇が開いたかと思えば、そのまま唇を重ねれられるのだ。
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