ep.1 御主人様と犬

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 学生寮、自室前廊下。 「確かここですよね」 「悪かったな、道案内させて。助かったよ」 「いえ、お構い無く」  会話を交わしながら、俺は持ち歩いていた鍵を取り出し、扉を解錠しようとして……既に扉が開いていることに気付いた。  あれ、俺出ていくときに鍵閉めた記憶あんだけどな。岩片が起きたのだろうか、と思いながらドアノブを捻ったときだった。 「っこんの、離れやがれ! この変態オタク野郎がッッ!!!」  扉を開けた瞬間、聞き覚えのない男の怒声と、オタク野郎もとい岩片が吹っ飛んでくる。間一髪、扉から手を離し、俺は岩片を受け止めた。  何事だ。顔をあげれば、部屋の中を見れば見知らぬ男が一人。怒鳴り散らし、岩片を突飛ばした犯人らしきその男は、怒りで顔を真っ赤にしていた。  赤茶髪の髪に、釣り上がった眉。両耳には大量のピアスがぶら下がっている。それも相まってか、強面が際立っていた。着崩した制服の上からでもわかる長身の体格のいい男だった。 「一体何ごとですか……って、おや、会長」  騒ぎに驚いた能義は、部屋を覗くなりそこにいた赤茶髪の強面男を見て目を丸くする。  ……会長? この如何にもヤンチャ代表ですみたいなやつが?  再度、目の前の男に目を向ける。怒りのあまりに戦慄く赤茶髪の男、もとい会長様は俺の腕の中の黒マリモを睨みつけた。 「……はぁ、んだよ、手厳しいなあ。ちょっとチューしようとしただけだろ?」  あっけらかんと言い放つ岩片。「ありがとハジメ」と小さく呟き、俺から離れる。どうやら殴られたわけではないようだ。ほっとするが、まだ安心はできない。 「ちょっとだと……? ふざけんな、キスはなぁ……そんなに安請け合いでやっていいもんじゃねぇんだよ! それも、テメエみたいなよくわかんねえ野郎として堪るか!」 「そんな面倒くせー処女みたいなこといいやがって……会長だってヤりまくりの掘りまくりなんだろ? 今さら恥ずかしがんなって」 「それとこれとは別だ! 肩組むんじゃねえ!!」  ……なんというか、見た目によらず純情な人のようだ。ぎゃんぎゃん吠える会長に、「かっわいー」と煽る岩片の口許には厭な笑みを浮かんでる。完全に楽しんでいる。――また人を怒らせるような真似をしやがって……誰が後始末してると思ってんだ。 「おい、岩片」 流石にこのままではまずい。ビキビキと会長さんの額に青筋が浮かぶのを見て、俺は咄嗟に岩片の口を塞いだ。けれど、遅かった。 「てめぇ、さっきから人を馬鹿にしやがって……」  一気に岩片に詰め寄った会長は、岩片の胸ぐらを掴み上げる。止める暇もなかった。素早い動き。躊躇なく、岩片の顔面目掛けて固めた拳を振り上げたとき、咄嗟に岩片を会長さんから引き離す。瞬間、広げた掌に衝撃が走った。会長さんの拳を掌一枚で受け止めようとしたのが甘かったようだ。骨を震わせるようなその重い一発に、思わず「ぅお」と声が漏れる。  これ、まともに顔面に受けてたら骨にヒビ入ってるぞ。じんと痺れる掌に、息を飲んだ。それは、会長さんも同じだった。目を見開く会長さんと、それを見ていた能義が「お見事」と手を叩く。岩片はただ、何事もなかったかのよう笑っていた。  正直、岩片は一発くらいぶん殴られた方がいい気もするが、仕方ない。 「だめだ、会長さん。こんなの殴ったら会長さんの手が汚れるだろ」  手を軽く振り、痺れを振り払う。じんじんとした痛みはあとからやってきた。 「……っく、ククク」  逆上するだろうか、もっとキレるかもしれない。そう思っていたが、会長さんの反応は予想外のものだった。肩を揺らし、喉を鳴らして笑うその男の口元には凶悪な笑みが浮かぶ。 「……へえ顔だけかと思っていたが、なかなかやるじゃねえか」 「いやー、すごいですね尾張さん。このバ会長のを受け止めるとは。ノウタリンで唯一の自慢が校内一のパンチ力だけでしたのに。私、不覚にもキュンとしてしまいました」 「あ?! 誰がバ会長だ!!」  慇懃無礼な能義の言葉にすかさず食いつく会長さん。こいつが、生徒会長か。俺の中の生徒会長となると、全生徒の模範になるような人間だというイメージが深く根付いてるお陰か、到底会長には見えない。 「そう言えば、貴方も転校生の方でしたね。この度はこの会長、いえ政岡零児(まさおかれいじ)がご迷惑お掛けしました。政岡には私どもからキツくお灸をすえさせていただきますので、どうぞ気を悪くしないでください」  私ども、というのが妙に気になるが、深く考えないようにしよう。「なんで俺だよ」と会長、もとい政岡は露骨に不満そうな顔をする。正直、今回は岩片の悪い癖が出たようなので同情を禁じ得ない。 「何故って、どうせ貴方から吹っ掛けたんでしょう」 「能義、違うんだよ、悪いのは大方こっちだ。……会長さん、悪いな。ほら、こいつこーいうやつだからあんま触れないようしてやってくれよ」  そう、政岡に取り敢えずフォローを入れる。  初日から生徒会長を敵に回したくないというのが本音だった。睨んでくる岩片に『後で謝るから』とアイコンタクトを送る。 「いえ、こちらこそお騒がせしましたね。……それでは、私どもはこれで失礼させていただきます」 「おい有人っ、お前なに仕切って……」 「では会長、行きましょうか」  そう、能義は、大量のピアスがぶら下がる零児の耳を引っ張りそのまま部屋から引き摺り出す。途中、擦れ違うときに能義はぺこりと頭を下げた。その横で痛い痛いと声をあげる政岡。これではどちらが上かわからねーな。   ――能義有人、敵に回したくねえな。見てるこちらまで耳が痛くなってくるようだった。  俺は、やつらが立ち去るのを見送って、それから部屋に入る。
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