ep.3 ヒーロー失格

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「おい岩片、気持ちはわかるけどもうちょっと優しくしてやったらどうだ?岡部のやつビビってたぞ」  玄関の扉を閉め、岩片同様自室へと上がった俺は言いながら空き部屋の扉に鍵を掛ける岩片に声をかける。  元々岡部はぶりっ子した岩片に心開いているわけであってあんな性格の悪い陰険バイオレンス変態臭をぷんぷんさせてたら岡部が距離を置く可能性もある。  ……あれ、そっちの方が岡部のためのような気がした。 「いいんだよ、喜ぶから」そんなことを思っているとソファーに腰をかけた岩片は相変わらずの口調で続ける。  そうか、なら大丈夫か。いや大丈夫じゃない全くなにも解決していない。 「ハジメ、喉渇いた」  こいつは本当もう少しこう飽き性を直した方がいいな。  思いながら飲み物を要求してくる岩片に「はいはいっと」だけ答え、部屋の隅に設置された冷蔵庫へと歩み寄った。  無駄にでかい冷蔵庫の中には飲み物しか入っていない。その中から岩片のお気に入りの炭酸飲料を取り出す。  ペットボトルのまま出すのもあれだったので優しい俺はグラスに移しかえてやることにした。 「ほら、コーラでいいか?」  グラスを片手に岩片の元へと戻った俺は言いながら岩片の手前のテーブルにそれを置こうと腕を伸ばしたときのことだった。  横から伸びてきた岩片の手に手首を取られ、そのままぐっと強い力で引っ張られる。  引っ張られる体に傾くグラス。暗転する視界。 「って、おわっ!」  バランスを崩し、引き寄せられた俺はそのまま岩片の膝の上に崩れ落ちる。  ゴトリと鈍い音を立てカーペットの上に落ちるグラスは茶色の染みを作り、足元でぱちぱちと炭酸が弾ける音が聞こえてきた。  なんなんだ、この状況は。  辺りに充満するコーラの匂いに眉を潜めた俺は慌てて起き上がる。 「おい、いきなりなにすんだよ」 「日和ってんな」  が、しかし。  そうなんとなく妙な岩片に「は?」と聞き返そうとした矢先、岩片に引っ張られ強引にソファーの上に倒される。大きくソファーが揺れ、軋んだ。 「ぁ、ちょ、待っ……なに……っ」  上からのし掛かって覆い被さってくる岩片を振り払おうとするが、馬鹿みたいな力で押さえ付けてくる岩片の手はちょっとやそっとじゃ離れず、暴れれば暴れるほど加えられる力は増す。  皮膚を突き破るんじゃないかってくらいの圧力に潰され、その痛みに俺は上の岩片を睨んだ。  もじゃもじゃと眼鏡で岩片の顔は見えないが、たぶん、やつも俺を見ている。  その顔に笑みはない。 「ハジメ君さぁ、俺言わなかったっけ。『嘘だけはつくな』って」  勿体振るような相変わらず軽薄な声。  どれくらい前だろうか。その言葉に岩片に親衛隊隊長を命じられたその日のことを思い出す。 『嘘だけはつくなよ、ハジメ』  今と変わらない妙ちくりんな容姿格好の岩片はそう俺を見て笑った。  あのとき俺はなんて答えたっけ、なんて暢気に思い出に浸ってる余裕なんかなくて。  俺は「言ったけど……それが」と小さく聞き返す。  瞬間、肩を掴んでいた岩片の指先に強い力が加われその痛みに全身が緊張した。 「い……っ」 「お前、俺に嘘ついただろ」 「なに、言って」 「政岡零児と野辺鴻志、あと風紀の金髪。……他にもいるんじゃねえの? お前に手ぇ出したやつ」 「だから、あれは嘘だって」  言い掛けて、そのあとは声にならなかった。  岩片の胸を殴るが、体勢が体勢なだけに上手く力が入らず岩片が顔をしかめるばかりで。  手首を取られ、そのまま頭上に拘束される。 「お前、結構弱いんだな」  もがく俺を見て一言。こちらを見下ろす岩片は薄く笑む。  その一言は深く胸をえぐり、目を見開いた俺は岩片を睨む。腕の拘束を振り払おうとするが、やはりビクともしない。 「ちょっと力入れたくらいで振り払えねえのかよ。こんなんじゃ俺が本気出したら骨ぽっきりイキそうだな」 「岩片、ってめえ」 「自分すら護れねえやつが俺のこと護れんのかよ、なあ」  そんなに力あるなら護衛なんて必要ないだろ。そう言い返したいのに、声が出ない。  耳許で直接脳味噌へと流し込むように囁かれ、全身がすくんだ。 「お前が誰に抱かれようが関係ねえけどな、全て俺に言えと言ったはずだ。言いたくないような都合の悪いことも全てだ。俺に隠すんじゃねえ、下手な嘘なんてもっての外だ。俺に言えねえことなら口を割らねえよう徹底的に潰すか口止めするかしろ、それ以前に弱味を作るような真似をやめろ」  真っ正面。俺の顔を見詰める岩片は「中途半端に騙されるのが一番嫌いなんだよ、俺は」と薄く笑んだ。いつもの高慢さはなく、どこか自嘲気味とも取れる笑み。  その顔に向かって、勢いよく上半身を起こした俺は自分の額を叩き込む。  メキャリとなにかが潰れたような音とともに一瞬視界は白くなり、脳みそが揺れた。  込み上げてくる吐き気を堪え、そのまま俺は目の前の岩片の顔を覗き込む。 「……男遊びしまくってるやつが説教垂れてんじゃねえよ」  赤くなった鼻からどろりと赤い血が垂れる。  瞬間、俺の頭突きでひん曲がった瓶底眼鏡がずるりと岩片の顔から落ちた。  それと同時に、現れた岩片の顔に俺は目を見開く。 「へえ、最近の負け犬は口答えすんのか」  鼻を押さえ、手の甲で鼻血を拭う岩片はどこか楽しそうに喉を鳴らし笑う。そしてゆっくりとその目を俺に向けた。 「お前、いっぺん痛い目見せた方が良さそうだな」  色素の薄い瞳。それを三日月型に細めた岩片は口許に下品な笑みを浮かべた。  岩片の馬鹿みたいに分厚いレンズの眼鏡がずれ落ち、その下の特徴的な目を見たとき、俺の意識は一瞬過去へと飛んだ。  過去といってもそれほど昔ではない。  前の学園にいたときの、岩片に出会った頃の記憶。  桜の花弁は散り、雨と太陽でじめじめと蒸した空気が鬱陶しい梅雨の季節。  雨上がりの晴天下で、丁度殴り合いしたばかりの俺はもじゃもじゃした奇妙なみょうちくりんに出会った。  運動直後でアドレナリンが放出していたせいだろうか、普段なら話し掛けないような人種を前に俺はやつに話し掛けていた。 「それ、自前?」となんでもないように佇むまりも頭に尋ねれば、こちらを振り返ったやつはにやりと口許に嫌な笑みを浮かべる。 「そ、自前」どこか皮肉を含んだような声。  岩片凪沙は当たり前のように答え、俺も当たり前のようにそれを信じていた。  しかし、どうやら俺は騙されていたようだ。 「ってめ……おいっ!」  押し倒された俺は声を上げ、覆い被さってくるやつの顔面を手で押さえ付ける。  そして強引に引き剥がそうとしたとき、俺はやつの髪を掴んだ。否、髪だったものを。  ずるり。そんな効果音とともに手の中の岩片のもっさい髪がもげた。そりゃあ、もう、綺麗に。  岩片の頭部から剥がれたそれに、『あれ、そんなに力入れてないのに』と青ざめた俺は岩片に目を向け、そしてまた固まる。  視界に入ったのは、色が抜け落ちたような明るい金髪。 「えっ、だ」目を見開き、俺はソファーの背凭れに背中を引きずるよう後ずさった。 「……誰、お前」  うわ、やべ。とでも言いたそうに淡い黄髪を手で隠す岩片凪沙だったそいつに、目を見開いた俺は唖然と呟いた。 「よかったな、ハジメ。今年、俺の素顔を見たお前が初めてだ。おめでとう。いいことあるぞ」  目の前の男はにやにやと特徴的な品のない笑みを浮かべながらそう告げた。  聞き覚えのある、声。というか、間違いなく、岩片なのだろう。――目の前のこの優男が。  わかっていたが、岩片をあのもっさいものと認識していた俺は化けの皮を剥いだ岩片の姿に戸惑わずにはいられず、しかも、なんか、赤の他人に押し倒されてるみたいで酷く混乱した。  いや別に知人になら押し倒し大歓迎というわけではないが。 「……現在進行形で最悪なんだけど」 「なんだ、お前はこっちの方が好きなのか?」  呆れてなにも言えない俺に対し、目の前の黄髪男は俺の手からもっさりとした鬘を奪い、それを被った。  目元にかかりそうなくらいの量の多い黒髪に口許に浮かべる見覚えのある下品な笑み。間違いない、岩片だ。  ただ違うのはあのコントみたいな瓶底眼鏡だけだ。 「ふざけんな、冗談は顔だけにしろ」 「冗談みたいにかっこいい顔だってか?」  うっせえわボケ。 「どういうつもりなんだよ、お前。大体、なんだよそのコスプレ、なんでわざわざそんな格好して……」 「ストーップ」  一気にたくしまくろうとしたとき、顔面に伸びた岩片の手でぐにっと頬を掴まれ強制的に言葉を遮られる。 「ハジメ、状況を整理しようとするその努力は偉い。褒めてやる。だけど俺はそんな色気のない会話をするつもりはないしお前だってわかってんだろ、自分がなにされるかくらい」 「全く理解出来ないな」 「そんな馬鹿に育てた覚えはないぞ」  俺も、育てられた覚えはない。  ぐっと頬を潰してくる岩片の手に後頭部を座面に押し付けられ、小さく呻いた。顎が軋む。  なんつー馬鹿力だよ、貧弱な体してるくせに。  なんて悪態吐きながら俺は頭を押さえ付けてくる岩片の腕を離そうとその華奢な手首を掴んだとき、がら空きになった腹部に岩片の手が伸びる。  乱暴に着ていたシャツを捲られ、そのまま腹部をまさぐられた。 「っ、どさくさに紛れてどこ触ってんだ!こら!」  焦りすぎて、なんか小さい子を怒るような口調になってしまう。岩片は笑うばかりで服の下の手は止まらない。 「それで抵抗してるつもりかよ。それとも、突っ込んでもらいたくてわざと手ぇ抜いてんのか?」 「かわいいやつだな」と笑う岩片に指の腹で腹筋をなぞられ、腰がぴくんと跳ねた。  分かりやすい挑発に顔に熱が集まる。それが怒りなのか、それとも羞恥なのかすらわからない。  全身の血がかっと熱くなるのを感じたとき、腹の底からむかっとなにかが込み上げてきた。 「っ、やめろって、このヤリチン野郎っ!」  そして、岩片の手首を思いっきり締め上げる。  力任せに振り払い、そのままやつの下から這い出ようとしたとき、脇腹を捕まえられ、背中を座面に押し付けられた。  しぶとい。口の中で舌打ちすれば、覆い被さってくるやつの唇が耳朶に優しく触れる。 「本気で嫌がってんじゃねえよ、バカ」  囁かれる声。生暖かい吐息が吹きかかる。  わけがわからずやつの顔を見たとき、にゅるりと熱く湿った舌が耳朶をなぞった。 「っちょ、待てって、おいっ! 意味が、わからな……」  そう言いかけたときだった。  くちゅくちゅと舌に絡み付いた唾液が皮膚を濡らす音に紛れ、どこからかピピッと小さな機械音が聞こえた。  咄嗟に、室内に視線を巡らせる。そして、室内に取り付けられた空き部屋に続くその扉に目を向けようとしたとき、顎を掴まれ無理矢理顔を上げられた。  気付いたときには俺はやつに唇を貪られていた。 「っ、ふ……っ、んんぅ……っ」  紅茶独特の薫りが口内いっぱいに広がり、頭が痛くなった。  眉をひそめ、やつから顔を逸らそうとするが顎を固定する手は離れない。  なんで、俺はやつにキスをされなければならないのだろうか。  それも問題なのだが、俺の頭の中は先ほど聞こえてきた機械音のことで頭がぐるぐる回っていた。  そして、立て続けに起きた重大なことに気を取られていた俺ははたまた重大なことに気付く。  先ほど空き部屋に押し込んでいた五条祭。あいつのこと、忘れてた。  そして、以前聞いたやつの盗撮盗聴癖の噂。それと先ほどの機械音が頭の中で結び付く。  まさか、こいつ。唇を舐めてくる目の前の岩片を睨み、俺は目を見開いた。 「口、開けよ」  吐息混じりの色っぽい声。その目は据わっていて、顎を掴む指先は離れない。  どういうつもりかわからないが、こいつがまたなにかを企んでいるのはわかった。――そして、今俺がなにをすべきなのかを。  背筋が薄ら寒くなるのを感じながらおずおずと唇を開けば、愉快そうに口許を歪めた岩片はそのまま人の口内へと舌を捩じ込んできた。  なんで俺はいつもこんな役回りなんだろうか。思いながら、雪崩れ込むように侵入してくる濡れた舌に泣きそうになりながら受け入れる。 「っ、は……ぁ……っ」  舌で抉じ開けられた口から息が漏れ、変な汗が出てきた。唇が離れ、俺はそのまま岩片の胸ぐらを掴み相手の耳元に口を寄せる。 「なに、企んでいるんだよ……っ」  そう、やつにだけわかるくらいの大きさで呟けば、岩片の目元にかかったパステルカラーの黄髪が僅かに揺れる。 「言っただろ? ハジメ。お前には痛い目を見てもらうって」  動揺するわけでもなく、くすくすと笑う岩片は先ほどと変わらない調子で続ける。  言うつもりはないということだろうか。  その瞳を睨み付け、舌打ちした俺は服の中をまさぐるやつな手を引き抜こうとした。しかし、すぐに手首をとられる。  頭上に片腕を押し付けられ、服の中をまさぐっていた岩片の手にシャツをたくし上げられれば露出させられた上半身に嫌な寒気が走った。
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