ep.4 一歩下がって二歩曲がる

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 午後、途中で政岡たちと別れた俺と岡部は一緒に教室入りする。  相変わらず岩片はいない。  岩片の姿を探してしまう自分が情けなくて仕方ない。  ホームルームの時間になれば宮藤が現れる。  欠伸混じり、まだ眠たそうな宮藤はガラガラの教室を見渡し、「あれ?」と不思議そうな顔をした。 「尾張、岩片はどうした?一緒じゃないのか」 「知らねえっす」 「珍しいな、お前らが一緒じゃないって。……ま、いいか。それじゃ出席取るぞー」 「……」  それから宮藤は何もなかつたかのようにホームルームを勧めていったが、正直俺の中のもやもやは先程よりも濃度を増していた。  岩片のやつ、まだ昨日の引き摺ってんのかよ。なんて、口の中で吐き捨ててみるがどう考えても引き摺ってんのは俺だ。  授業の内容を右から左へと聞き流していると、不意に目の前に何かが落ちてくる。  それは折り畳まれたメモ用紙のようだった。  誰だ、と思い顔を上げれば岡部と目が合う。  岡部が投げたのだろう。 『尾張君へ』と書かれたそのメモ用紙を俺はそっと広げた。 『今、窓の外から岩片君らしき人影を見つけました。風紀室の方です』  そう、丁寧な字で綴られたその文面に俺は思わず立ち上がる。  瞬間、教室中の視線が俺に向けられた。 「おい、いきなりどうした。尾張」 「ちょっとトイレ行ってくる」 「トイレ? ……って、あ! こら!」  岡部の手紙を握り締めたまま、俺は教室を飛び出した。  会ってからどうするつもりなのか自分でも分からない。けど、なんだろうか。昨日の今日なだけに、風紀室というワードに不穏なものを感じずにはいられなかったのだ。  小走りで廊下を駆けていく。  風紀室の場所は分かっていたが、あまり行きたくないというのが本音だ。けど、どうせまたあいつなにか企んでいるのだろう。  そう考えると無視することが出来なかった。  風紀室前。扉の前に大きな人影が一つ。  扉に背中を向けるように立っていたそいつは、駆け付ける俺を一瞥し、そして訝しげに眉根を寄せた。 「……何の用だ? 尾張」  五十嵐彩乃。  可愛い名前をしてるくせにいつも以上に無愛想な五十嵐の登場に、益々嫌な予感しかしない。  というか、なんでこんなところにいるんだ。 「用っつーか、岩片探してんだけど。そこにいるのか?」 「お前に教える義務はない」 「義務って、なんだよ。あいつに口止めでもされてんのか?」  岩片のくせにと余計なんかムカつくがそれをぐっと堪え、聞き返す。ちょっとした勘繰りのつもりだったのだが五十嵐の表情は変化しない。  それどころか、 「お前、政岡に絆され掛けたんだってな」  絆される。その言葉に、昨日、自分が確かに政岡の気遣いに流され掛けていたことを思い出す。  気恥ずかしさよりも、何故五十嵐がそんなことを知っているのか、その疑問が勝った。  まさかあのバカ岩片が口を滑らしたのか。いや、あいつのことだ。大っぴらに言い触らしてるに違いない。 「馬鹿じゃねえの? 確かに、あいつはいいやつだけど別に絆されては……」 「……いいやつ、ね」  否定するわけでもなく、含みのあるその五十嵐の物言いは正直癪に触る。  見下すような冷たい目。ずいっと詰め寄られれば、その圧迫感に思わず後退った。 「……なんだよ。少なくとも、お前んとこの副会長や会計よりかはマシだろ」 「……」 「あと、お前よりは全然マシ」  だから、とちょっとした軽口のつもりで言ったとき。  ダンッ!とすぐ顔の横で凄まじい音がした。顔面すぐそば、壁に叩き付けられたその手に、嫌な汗が滲む。  視線を前に戻せば、すぐそこに五十嵐がいるではないか。  覆いかぶさるやつにより翳る視界。  俺は、無意識の内に固唾を飲んでいた。 「……冗談に決まってんだろ、傷付いたのか?」 「あいつの言った通りだな。脳天気なバカそうな野郎だとは思っていたが、ここまでとはな」 「……な、なんだよそれ、岩片がそんなこと言ったのかよ」 「お前、政岡に惚れただろ?」  至近距離、低い声に問い掛けられ全身が凍り付く。  不快感とは違う、心臓の裏側から擽られるようなその響きに、俺は一瞬その言葉を素直に飲み込めなかった。  だって、そうだ。確かに良いやつかもしれないとは言ったが、それだけだ。  なんでそうなるんだと顔を上げれば、五十嵐と視線がぶつかる。 「い……言い掛かりはやめろよ!大体なんだよそれ、俺があいつを好きになるわけないだろ!第一、俺は男だし、普通に女の方がいいに決まってんじゃん」  上手く返したいのに、喋れば喋る程舌が乾く。  冷たい五十嵐の目に余計焦燥感を覚えてしまい、なんで俺がこんなに焦ってるのか自分でも分からなくて、余計不快感を覚えずにはいられない。 「なるほどな」  五十嵐は、何に納得したのか一人そんなことを口にする。  ようやく分かってくれたのか、そう安心すべきところのはずなのだろうがその冷たい視線は変わらないままで。 「少し優しくされたらお前は誰にでも惚れるのか」  伸びてきた指先に首の付け根を擽られれ、全身が強張った。 「とんだ尻軽だな」と、鼻で笑う五十嵐に、俺の中のあらゆる我慢の糸が音を立てて引き千切れるのが分かった。 「お前、いい加減にしろよな…!」 「……」 「人の話もろくに聞かねーで人をしり……ッ馬鹿にしやがって……っ!」  こういうとき、上手いこと言い返すことが出来ない自分が悲しい。けれど、それでも俺が言いたいことは分かるはずだ。  無言でこちらを見下ろす五十嵐に「退け」と、思いっきりやつを押し返そうと手を伸ばしたとき、パシリと音を立て手首を取られる。 「……ッ! 離せよ!」 「嫌だ」 「何言って……ッ」  何様のつもりだ、と睨み返した矢先だった。伸びてきた手に思いっきり両頬を挟まれ、力づくで上を向かされる。  は、離せともう一度声を荒げたと同時に唇を塞がれた。  何が起こっているのか分からなかった。  真っ白になる頭の中。  噛み付くように唇を貪られ、息が止まる。  次の瞬間、怒りやらなんやらで全身がカッと熱くなり、思いっきりやつの横っ面をぶん殴った。  ギリギリのところで身を逸らしたのだろう、あまり手応えはなかったがそれでも反動で顔を離した五十嵐はじとりとこちらを睨んだ。 「何しやがる」 「そ、それはこっちの台詞だっ! ……いきなり、こんな……ってか人のこと尻軽とかなんとか言っておいて」  いきなりキスするやつに言われたくねーんだよと続ける前に顎を掴まれ、無理矢理上を向かされる。まさかと身構えるより先にまた唇を塞がれ、絶句した。 「ッ、ぐ、ぅ……ッうう……ッ!」  許せねえ、まじでこいつは許せねえ。  引き剥がそうと腹を思いっきり殴るが、腹立つくらいの鉄壁の腹筋にこっちの拳が痛くなる始末だ。  しかも手首を取られ、そのまま背中ごと壁に押し付けられれば身動きが取れなくなる。馬鹿力というやつだろう。  後頭部を壁に押し付けられれば、やつから顔を逸らすことも出来なくて。 「ッぅ、んん……ッ」  文字通り手も足も出ない状況に、正直俺は死にそうになっていた。  シラフで男にキスをされ、唇を舌で弄られ、舌を捻じ込まれる。  歯列を這う五十嵐の舌に全身が泡立ち、やめろと必死に唇を離そうとするが余計深く入り込んでくる舌に咥内を舐め回されては頭の中が焼けるように熱くなる。  息が苦しい。肉厚な舌先に上顎を乱暴に摩擦されれば、びくりと腰が震える。 「ん、ぅ、んん……ッ」  何してんだ、俺。こんなやつ、股間でも蹴り上げれば逃げられるはずだ。  頭では理解していても、ずるずると口の中を出入りする舌に舌の先っぽを擦り合わされれば頭の中が真っ白になる。  逃げたいのに、壁と五十嵐に挟まれた体は身動きが止めなくて、静まり返った通路に響く唾液が絡み合うその音に、思考回路が麻痺し始めた。  五十嵐を止めようとしていた指先から力が抜けて、辛うじてしがみつく形になる。  五十嵐はそんな俺を一瞥し、そして下腹部に指を這わせた。 「ド淫乱」 「……ッ!!」  いつの間にかにガチガチに勃起したそこを衣類越しになぞる五十嵐に、体が震えた。  そんなことはない、と言いたいのに、張り詰めたそこに集まる血液は止められなくて、下着の中、ぬるぬるとした嫌な感触を感じ、血の気が引く。 「ち……違う、これは、その」 「違わない。お前は野郎相手にキスされて喜ぶような変態なんだよ」 「な……ッ!」 「それを恋愛感情と勘違いしてるだけだ」  浅ましいな、と吐き捨てる五十嵐。  その長い指先がワイシャツのボタンに触れ、器用に外していく五十嵐にギョッとする。 「っ、だから、俺は一言も好きだなんて……ッ」  言ってない、と言いかけて、膝で下半身を押し付けられた。  硬い膝小僧に布越しとは言え、性器を柔らかく潰されればそれだけで頭が真っ白になって、体が震える。  息を飲み、硬直する俺の顔を覗き込んで、やつは笑った。  見たものを凍り付かせるような、性根の腐ってそうなニヒルな笑み。 「俺が、治してやるよ」 「何、言って……」 「二度と男なんてゴメンだと思うよう、体に直接叩き込んでやる」  もう既に嫌って程叩き込まれてる俺はただその言葉に生きた心地がしなかった。
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