ep.4 一歩下がって二歩曲がる

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 いつの間にかに気絶していたようだ。  全身は鉛のように固くなり、そして腰に力が入らない。手首は楽になっていたので手錠を外してくれたようだ。  後半の記憶はあやふやだが、昨夜何があったのかは全てこの俺の優秀な脳が記録してくれていた。  正直、目を覚ますのが怖かった。  なにより、どんな顔をして岩片に会えばいいのかわからなかった。  それ以上に、隣でごそごそ何か動く気配してるのだ。あのもじゃもじゃで間違いないだろう。なおさら、起きれない。仕方ない、もう一度眠ろう。そうすればもしかしたら全部夢の可能性だって……。  そこまで思考した矢先、額に何か触れる。  さわさわと前髪を避けられ、瞼越し、やつの気配が近くなるのが分かった。  これは、なんだ、な、撫でられてるのか……?  バクバクと一気に鼓動は跳ね上がる。  なんだ、こいつ、何してるんだよ……。寝たフリでやり過ごそうにもやり過ごせない案件に戸惑っていたときだ。   ぎゅっと鼻頭を摘まれる。 「んが……っ」 「寝たふりしてんじゃねえ。瞼動いてる、下手すぎかよ」  聞こえてきたのは、岩片の声だった。目を開ければ、もう既に着替えてる岩片がそこにいた。目が合えば、岩片は「間抜けヅラ」と笑う。心臓が大きく跳ねた。俺は、声の出し方を一瞬忘れてしまい、咄嗟に誤魔化すために岩片に背中を向け、布団をかぶる。  けれどすぐにそれも剥がされた。 「なんだよ、おはようも言えねーのか?ああ……声出しすぎて枯れてんのか」 「……ちっ……げえよ……」  なんでこいつ、いつも通りなんだよ。  嫌味なところまでいつもどおりじゃないか。……機嫌悪いようには見えない、寧ろ機嫌いいところが余計ムカつくし、なんだ。こいつ。本当なんなんだ。 「起きたんならさっさと準備しろ」 「……言われなくてもするから」 「言わねえと処女喪失の余韻に浸ってんだろ」 「……だ、れが……」  処女喪失、と言いかけて、脳裏に昨夜の色々が蘇り、俺は言葉を返す代わりにベッドから逃げる。  駄目だ、本当に駄目だ、今日は駄目だ。何してても思い出して、まともな顔ができない。岩片からすれば何十人抱いた相手の内の一人かも知れないが、俺は、初めてであるわけで、寧ろないなら一生経験しなくてもいいことを経験したわけで……。ぐるぐる思考が巡る。だったらなんだ、俺は、岩片に優しくしてほしいって思ってるのか?それこそ馬鹿馬鹿しい。生娘じゃあるまいし。  岩片の顔を見てるとムカついてくるので、俺は着替え持って洗面所へと移動する。  気付けば、服も昨夜のものとは違う。体も、汚れていない。気絶したあと、岩片がしてくれたのだろうか……?そう考えれば、顔から耳にかけて熱が広がる。……いやいやいや、記憶がないだけで俺が自分で風呂に入った可能性もあるわけだ。そうだ、その説もある。  ちらりと手首の痕を見る。包帯が巻かれている。綺麗な巻き方。……これは、俺じゃないな。 「……」  記憶が途切れる直前、岩片が、俺のこと好きだって言ったのが耳に残ってる。けれど、実感が持てない。だってそうだろう、あいつはあの調子だし、そもそも、岩片が俺のこと好きとか言うのおかしくないか?  あいつ、俺なんか今まで全然興味なかったくせに、なんだよいきなり、こんなタイミングで……。  そもそも俺が都合のいいように聞き間違えしただけの可能性だってある。岩片が俺のこと好きというよりもよっぽど信憑性が高い。  ……忘れよう。あいつだっていつも通りなんだし、俺がいつまで経ってもこんな調子じゃ駄目だ。  ケツ掘られた事実は変わらないが、これ以上ずるずる引き摺りたくない。……とは頭では理解してるんだけどな。  服を着替える。服を脱いだときはなるべく鏡を視界にいれないようにした。  制服に着替え、部屋へと戻れば岩片が偉そうにソファーでふんぞり返りながらテレビ見ていた。こいつ、朝ご飯食う前からお菓子食ってんじゃねーよ。思いながら、「行くぞ」とリモコンを取ろうとしたときだ。 「ん」とこちらを見ようともせずリモコンに手を伸ばした岩片に、手を掴まれる。 「……ッ!」  触れ合う指の感触に全身が跳ね上がり、俺は咄嗟にリモコンから手を引いた。  きょとんとしていた岩片だったが、それも束の間、その口元に厭な笑みが浮かぶ。 「……ハジメ君さぁ、意識しすぎ。それじゃ、何あったかバレバレだから」 「……それは……」 「別に、俺のこと好きじゃねーんなら蚊に刺されたとでも思えばいいだろ。妊娠するわけでもねえし」  正直に言おう、岩片の言葉はクズだけども最もだ。今俺には必要な言葉だ。けれど、けれどだ、昨夜散々あんだけ人のケツを勝手に使ったやつにこんなことを言われて平静でいられるやつがいたらいてほしい。  でもまあ、岩片の言葉にしっくりきた俺もいたのも事実だ。こいつが俺のこと好きなんて言うはずがない。腑に落ちる。あれはきっと俺の幻聴だ。 「……そうだな、蚊に刺されたとでも思っとくよ」  馬鹿馬鹿しい。何を必死こいて俺は一人でテンパってたのか。  胸の奥にあった蟠りのようなものが、 一気にすっと引いていくのを感じた。  岩片の言葉通り、冷静になればなるほどムカムカしてきた。岩片に情緒とか優しさとか気遣いとかそんなもの期待する方が無駄だと分かってる。だからこそ余計、それを期待してしまっていた自分に腹が立つのだ。  岩片とともに部屋を出る。  部屋の前には岡部がいた。どうやら丁度今部屋の前に来たようだ。 「おはようございます、二人とも」  まさか部屋を出てすぐ知り合いに会うとは思わず、内心ギクリとした。平常心、平常心。口の中で呟きながら「おはよう」と返す。隣では岩片も「おー」と答えた。  すると、岡部は不思議そうに小首を傾げる。 「……? どうかしたんですか? 二人とも……」 「へっ?」 「尾張君手ぶらで行くんですね。……岩片君も、ネクタイつけてないですし……あっ、もしかしてイメチェンってやつですか?」 「……ッ!!」  失念していた。身嗜み完璧だとおもって肝心の荷物を確認するのを忘れていた。というか、岩片こいつもなに分かりやすい忘れ物してるんだよ、気付けよ!と思ったがそもそもずっと岩片と話していたはずの俺が気づいていないのだから何も言えない。  慌てて俺たちは部屋に戻り、お互い身支度を済ませ、何事もなかったかのように部屋を出る。部屋前通路、岡部は俺達を見て「今度は大丈夫そうですね」っと笑った。 「悪い、待たせたな」 「別に気にしなくても大丈夫ですよ、これくらい。それにしても珍しいことあるんですね、二人とも、いつもしっかりしてるので忘れ物とかしないイメージあったんですけど……」 「なに言ってんだよ、岡部、俺だって人間なんだから忘れ物の一つや二つくらいするって! ははは!」 「……尾張君、なんか今日テンション高いですね。なんかいいことでもあったんですか?」  岡部の澄んだ目で見上げられ、心臓がきゅっと音を立て停止したような気がした。冷や汗がぶわりと溢れ出す。 「……は? や、いや、いやいやいや何言ってんだよ、全然っ、全然ないし、あー本当いいこと全然ないからな! 寧ろついてねーっていうか……」  なんか言わなきゃ、言わなきゃとすればするほど挙動が怪しくなってしまう。見兼ねた岩片に背中を叩かれた。  そして、 「……悪いな、今日こいつ風邪気味でテンションおかしいからほっといてやってくれ」 「誰が風邪……もごっ」 「えっ? 大丈夫なんですか?」 「大丈夫大丈夫、どっちかっていうと頭の風邪みてーなもんだから」 「もがっ……もがが……っ!!」  誰が頭の風邪だよとムカついたが、岩片に口塞がれてるせいで俺の声も吸い込まれていく。この野郎と慌てて離そうとしたとき、するりと唇を撫でられ、全身が強ばる。鼓動が、加速する。 「……っ、……」  岩片と分厚いレンズ越し目が合った……ような気がした。やつの口元には厭らしい笑みが浮かんでる。そうだろ?といいたげに見つめてくる岩片に、俺は、何も言葉がでなくて、顔を逸した。だめだ、せっかくいつも通りを掴みかけたところだったのに、また最初からやり直しだ。 「……なんか大変そうですね、お大事に」と憐れむような視線向けてくる岡部にハッとする。  ……なんとか変な勘繰りを入れられずには済んだが、岩片  岩片だ。こんな、岡部の前で、口、唇とかそういうところを触るとか何考えてんだ。「わかったから離せ」と慌てて岩片の手を離せば、「どうだか」とやつはニヤニヤと笑うばかりで。  それからは岡部の相手は岩片がしてくれ、なんとか下手に話題を振られずに済んだのだけど……岩片の手の感触を思い出しては、触れられた箇所が、唇がじわじわと熱くなり、気が気ではなかった。唇の感触を消すため、何度も唇をごしごし擦るが、ただ痛くなるだけだ。
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