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「う……」
シノニムは呻いて、泣き出しそうになるのをこらえていた。
舳先で原理と向かい合ったとき、彼はシノニムに対して全く嫌悪感を向けてこなかった。
それが解らない。
解らなくて、それでも嬉しくて。
「ダメだよ。わたし、死ななきゃいけないのに……殺してくれないなんて」
すすり泣くように独り言ちる。哀しくもないのに泣いてしまうのは、おかしいと思っているシノニムだった。
「みんな、嫌ってくれなきゃ、こうしてる意味がないのに」
「そんな悲しいこと言わないでよ、シノ」
背後から投げられた声に、はっと振り向く。その視線が向く先には、由梨菜が浮かんでいた。
「ユリナ、さん」
「みんな、何のために戦ってると思ってるの?」
詰るような口調でもなく、ただの問いかけだった。
「この壊れた世界で、それを当たり前に受け入れた人間が、どうして」
「それは……」
シノニムは俯いて、何も言えない。そもそも、彼女がこの世界を作り出した原因だ。由梨菜はそれを知らないけれど、それでもシノニムを取り巻く環境を、薄らと感じ取っていた。
罪を問うているのではない。
説得したいわけでもない。
由梨菜は、シノニムが作戦の内容を知らないからこそ、自分を討伐しようとしていると思っているらしい人々を前に。
ただ、彼女の意思を知りたかっただけだ。
由梨菜のイヤホンから尸遠の声が流れるけれど、応えることはなく、シノニムの返答を待つのみだ。
「ねえ、どう思う?」
「…………みんなが、生きたくて戦ってるのは、知ってる」
でも。
「その原因であるわたしに、それを求める資格なんて無いんだよ」
「どうして?」
単純に理由を問われて、シノニムは黙った。
「現状を作ったのがシノだとして、それで? 生きていてはいけないの? なんで?」
「え、……え? だって、その」
「罪って、死ななきゃ赦されないの? 死ぬことでしか償えないの?」
「そうでしょ……? わたし、ずっと、そうやってきたんだもの」
ふうん。と、不思議でもなく由梨菜は頷いた。
「じゃあ、どうなんだろうね。私も、人を殺したことあるけど。それも死ななきゃいけない行為かな」
殺したのは精神的に壊れたスプリーキラーだけど、と付け足した。
「…………っ、それは、ダメじゃないけど」
「犯罪者を殺すのは罪には問われないのか。シノの線引きって、どこにあるんだろうね?」
というか、シノニムもディギー=ウィンガードという殺人鬼を殺しているので、彼女の基準では罪には問われないはずだったが。
しかし、そののちに無数の罪なき人間を殺めている。
そこに罪悪感を抱くのは普通のことなのではないだろうか? それができなければ、本当に人間としての良識に欠けている、終わった人間だろう。
その過負荷に負けて、シノニムは異形に変化してしまったのだから。
「じゃあ、シノは誰かを能動的に殺したいの?」
「…………」
「今の君の在り方は自動的だって聞いてたんだけど、これって間違い?」
「…………」
「君の在り方はもう、みんな知ってるんだよ。隠さなくても」
「…………いやだよ。わたし」
震えた声で、小さく漏らした声には確かな意思が混じっていた。
由梨菜は、それに満足したのか。
「それが聞きたかったんだ。みんながね」
「あ……」
シノニムは顔を上げた。由梨菜は笑っている。その右手がシノニムの頭を軽く撫でてから、彼女はゆっくりと戻っていった。
その背をなんとなく眺めていると、その先に居る原理と目が合った。
真っ直ぐにシノニムを見ているその眼には、相変わらず気遣うような色が混じっている。何度殺しかけても折れないのは精神力ではなく、その信念だと気づくのには、時間は要らない。
原理は自分のやりたいことを、ただ気が済むまで貫き通しているだけなのだ。
忌方家の進む道、「活人道」がどれほど険しい道か解ったうえでそれを貫く。それを知らぬシノニムでさえも、おぼろげに見える危うさだ。
決して人に殺気を向けない理由は色々あるだろうけれど、それをシノニムにも適用する意味は、一つだけ。
シノニムを原理は人間として見ているから。
間違っても、殺人鬼としての色眼鏡をかけたりはしないことを、なんとなく理解できてしまっていることに気付く。
哀しいほどの正直者だと、思ってしまう。
「それでも、この衝動は消せないから」
そんな呟きが漏れるのに、どうしてか心はそれ以上は沈んでいかない。不思議だった。
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