五「蒼空を断つ二人」

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「う……」  シノニムは呻いて、泣き出しそうになるのをこらえていた。  舳先で原理と向かい合ったとき、彼はシノニムに対して全く嫌悪感を向けてこなかった。  それが解らない。  解らなくて、それでも嬉しくて。 「ダメだよ。わたし、死ななきゃいけないのに……殺してくれないなんて」  すすり泣くように独り言ちる。哀しくもないのに泣いてしまうのは、おかしいと思っているシノニムだった。 「みんな、嫌ってくれなきゃ、こうしてる意味がないのに」 「そんな悲しいこと言わないでよ、シノ」  背後から投げられた声に、はっと振り向く。その視線が向く先には、由梨菜が浮かんでいた。 「ユリナ、さん」 「みんな、何のために戦ってると思ってるの?」  詰るような口調でもなく、ただの問いかけだった。 「この壊れた世界で、それを当たり前に受け入れた人間が、どうして」 「それは……」  シノニムは俯いて、何も言えない。そもそも、彼女がこの世界を作り出した原因だ。由梨菜はそれを知らないけれど、それでもシノニムを取り巻く環境を、薄らと感じ取っていた。  罪を問うているのではない。  説得したいわけでもない。  由梨菜は、シノニムが作戦の内容を知らないからこそ、自分を討伐しようとしていると思っているらしい人々を前に。  ただ、彼女の意思を知りたかっただけだ。  由梨菜のイヤホンから尸遠の声が流れるけれど、応えることはなく、シノニムの返答を待つのみだ。 「ねえ、どう思う?」 「…………みんなが、生きたくて戦ってるのは、知ってる」  でも。 「その原因であるわたしに、それを求める資格なんて無いんだよ」 「どうして?」  単純に理由を問われて、シノニムは黙った。 「現状を作ったのがシノだとして、それで? 生きていてはいけないの? なんで?」 「え、……え? だって、その」 「罪って、死ななきゃ赦されないの? 死ぬことでしか償えないの?」 「そうでしょ……? わたし、ずっと、そうやってきたんだもの」  ふうん。と、不思議でもなく由梨菜は頷いた。 「じゃあ、どうなんだろうね。私も、人を殺したことあるけど。それも死ななきゃいけない行為かな」  殺したのは精神的に壊れたスプリーキラーだけど、と付け足した。 「…………っ、それは、ダメじゃないけど」 「犯罪者を殺すのは罪には問われないのか。シノの線引きって、どこにあるんだろうね?」  というか、シノニムもディギー=ウィンガードという殺人鬼を殺しているので、彼女の基準では罪には問われないはずだったが。  しかし、そののちに無数の罪なき人間を殺めている。  そこに罪悪感を抱くのは普通のことなのではないだろうか? それができなければ、本当に人間としての良識に欠けている、終わった人間だろう。  その過負荷に負けて、シノニムは異形に変化してしまったのだから。 「じゃあ、シノは誰かを能動的に殺したいの?」 「…………」 「今の君の在り方は自動的だって聞いてたんだけど、これって間違い?」 「…………」 「君の在り方はもう、みんな知ってるんだよ。隠さなくても」 「…………いやだよ。わたし」  震えた声で、小さく漏らした声には確かな意思が混じっていた。  由梨菜は、それに満足したのか。 「それが聞きたかったんだ。みんながね」 「あ……」  シノニムは顔を上げた。由梨菜は笑っている。その右手がシノニムの頭を軽く撫でてから、彼女はゆっくりと戻っていった。  その背をなんとなく眺めていると、その先に居る原理と目が合った。  真っ直ぐにシノニムを見ているその眼には、相変わらず気遣うような色が混じっている。何度殺しかけても折れないのは精神力ではなく、その信念だと気づくのには、時間は要らない。  原理は自分のやりたいことを、ただ気が済むまで貫き通しているだけなのだ。  忌方家の進む道、「活人道」がどれほど険しい道か解ったうえでそれを貫く。それを知らぬシノニムでさえも、おぼろげに見える危うさだ。  決して人に殺気を向けない理由は色々あるだろうけれど、それをシノニムにも適用する意味は、一つだけ。  シノニムを原理は人間として見ているから。  間違っても、殺人鬼としての色眼鏡をかけたりはしないことを、なんとなく理解できてしまっていることに気付く。  哀しいほどの正直者だと、思ってしまう。 「それでも、この衝動は消せないから」  そんな呟きが漏れるのに、どうしてか心はそれ以上は沈んでいかない。不思議だった。
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