五「蒼空を断つ二人」

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 シノニムはしかし、一切攻撃してこないその呪術師に違和感を覚えている。  ひたすらに暴れまわる殺意を向けても、相手は全く意に介さず、不敵に笑んだままこちらを挑発してくる。  それに乗っかって、右手を動かす。銃のように伸ばした指から、いくつもの小さな旋風を撃ち出していく。それを呪術師は一つ一つ丁寧に捌いていくが。  それでも風圧には耐えきれないのか、一定の感覚でバックステップしていた。 「うなあああああああああっ!」  攻撃してこない彼女に苛立つシノニムは、再び殺意の塊を右手に凝縮する。紅い光が燃えるように輝き、それを思いきり呪術師に向けて叩きつけた。 「…………あはは」  笑う。面白そうに。ただ、楽しそうに。 「全力で死合おうって言ったからね。殺しにかかってくれなきゃあ、動きようがないんだよ」  甲板を大きく凹ませる衝撃が、再び艦を揺らす。 「はっ、はっ、はっ」  全力の行動で一時的に息を切らしているシノニム。その視線の先で、呪術師は右腕に霊力を集中させて、揺らぐことなく立っている。 「……なるほど、これが僕らが手に入れた羅針盤か」  囁くような声が、離れているはずのシノニムの耳元で発されたように感じた。 「面白い。覚醒者はこれほどまで凄まじいものか」 「…………なにを、言っているの?」 「ふふ。空々翼が、陽絵空が、望んでいる未来への道筋を、君が示すと理解できたのさ」  俺も、ボクも、君を――――。  その台詞に、シノニムは苛立つ。 「バカみたいなことを、言わないで。わたしなんか」 「くすくす。君は、自分のことをまだ解っていないようだね」 「そんなことない、ただの殺人鬼なんてこと、とっくに」 「じゃあ、どうして君はここに来てから一度も、人を殺さなかったんだ?」  シノニムは沈黙した。  それは、記憶が無かったからと答えようとして、違うとすぐに思い至る。自分はあるはずの記憶を見ないふりをしていただけだし、殺人衝動に対しても単に無視を決め込んでいただけだった。  自分の意識で無理矢理に抑え込んだ末に暴走しただけ。自分の意志だけで抑えきれなかった衝動が溢れ出しただけ。  シノニムは、本当に、殺人鬼だと思っているのだろうか。 「それは、我慢してただけだよ。抑えてなかったら、この船には今頃誰も居なくなってたんだから」 「そうだろうね、今のこれを見ていれば判るけれど。じゃあ、どうして我慢していたのかな? その目的って、僕らを欺くためかな」  欺く?  そんなことをする理由があるのだろうか。皆を欺いて、油断させて? 「違うよ。そんなんじゃない」 「解ってるよ。君は、誰も殺したくないんだろう。そうでなければ、君がそこまで無垢な少女で居られる理由がない」  たとえ、人を殺めたことがあったとしても。心が歪まないのであれば。  純粋なままで居られる道理だって、この世界にはあるはずだと、呪術師は言う。  彼女が、ゆっくりと近づいてくる。シノニムは、それを動きもしないでただ見詰めていた。 「僕には、君を救うことはできないけれど」  呪術師はシノニムの胸に手を押し当てた。不快感はなく、殺気も殺意も感じない。 「俺が君を手助けできるし、ボクは君を後押しするくらいはできるんだ」  触れている手を中心にして、空色の光の筋が空中に呪術陣を描き出す。その天球儀のような球体がシノニムに入り込んでいき。  そこで空色の光は完全に消え去った。 「え……?」  通常の状態に戻った空は、その場に倒れ込んでしまう。それを驚いて見ているシノニムは、しかしそれでも手を出せない。  心の奥底から、進めと声がして、言われるままに踏み出していった。  甲板の上で、ぼんやりと横たわる空が、進んでいくシノニムを見ながら。  その内部で巡っているはずの空色の光を眺め。 「ありがと、翼。……さよなら」  呟いていた。
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